ルシタニア号事件(読み)ルシタニアごうじけん(その他表記)Lusitania Incident

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルシタニア号事件」の意味・わかりやすい解説

ルシタニア号事件
ルシタニアごうじけん
Lusitania Incident

第1次世界大戦中の 1915年5月7日アイルランド沖でドイツ潜水艦U-20が,イギリス豪華客船ルシタニア』号 (3万 2000t) を魚雷攻撃し,乗客 1959名中,中立国アメリカ市民 128名を含む 1198名を溺死させた事件。ドイツによる無制限潜水艦戦のはしりであり,またアメリカの対ドイツ参戦を促す要因となった。ドイツ側は『ルシタニア』号が武装し,かつ多数の弾薬を積載していたと主張したが,アメリカ駐在ドイツ大使館付き武官の計画という説もあり,また多くの婦女子が乗船していたことから,アメリカの世論を沸立たせた。ドイツも当時は食料およびその原料を中立国アメリカに依存していたため,一時潜水艦攻撃をゆるめたが,17年以降は再び無制限潜水艦戦に転換した。

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百科事典マイペディア 「ルシタニア号事件」の意味・わかりやすい解説

ルシタニア号事件【ルシタニアごうじけん】

第1次大戦中の1915年5月7日,ドイツ潜水艦が大西洋航路の英国汽船ルシタニア号をアイルランド沖で無警告撃沈した事件。1100余名の乗客が溺死(できし)したが,その中には中立国人たる米国人100余名が含まれていたため,米国の世論を刺激し,後の対独参戦の一因ともなった。ルシタニア号は1907年に建造された総トン数3万1550トンの世界最大級の客船で,同年に5日間で大西洋横断の世界記録を達成した。
→関連項目アニメーション

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルシタニア号事件」の意味・わかりやすい解説

ルシタニア号事件
るしたにあごうじけん

第一次世界大戦中の1915年5月7日、イギリス商船ルシタニアLusitania号が、ドイツ潜水艦に無警告撃沈された事件。同年2月、ドイツはイギリス海域に商船の立入禁止水域を設け、違反する商船はすべて無警告で撃沈すると宣言していた。ルシタニア号の1198人の犠牲者なかアメリカ人乗客128人が含まれていた。このためアメリカ国内ではドイツ非難の声が高まり、米独関係は緊張した。アメリカ政府の抗議でドイツは一時、潜水艦作戦を中止したが、のちにアメリカが参戦するときの口実を与えることとなった。

[藤村瞬一]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ルシタニア号事件」の解説

ルシタニア号事件(ルシタニアごうじけん)
Lusitania

第一次世界大戦中の1915年5月7日,イギリスの大西洋航路の客船ルシタニア号がアイルランド沖でドイツ潜水艦に無警告で撃沈された事件。乗客,船員1850名以上のうち1198名が水死した。そのなかに100名以上のアメリカ人が含まれていたためアメリカの世論を刺激して反ドイツ気運を高め,やがて17年アメリカの参戦を招くに至る。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ルシタニア号事件」の解説

ルシタニア号事件
ルシタニアごうじけん
Lusitania

第一次世界大戦中の1915年5月7日,イギリスの汽船ルシタニア号がドイツ潜水艦に撃沈された事件
乗っていたアメリカ人100余名が犠牲となり,アメリカの世論は激昂,のちのアメリカ参戦の原因となった。

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