旅客の輸送を主目的とする船。旅客船ともいう。法律上は旅客定員が12名を超える船はすべて客船として取り扱われ,復原性,救命設備,居住設備などについての規制を受ける。したがって,貨客船,連絡船,フェリーボートなどもそのほとんどが法律上は客船である。しかし,一般には客船といえば,クイーン・メアリー号(イギリス),クイーン・エリザベス号(イギリス)に代表される巨大で豪華な高速定期客船を指す場合が多い。このように高速定期客船は,1880年代から1950年代までの約80年にわたって世界中の航路で活躍し,とくにヨーロッパとアメリカを結ぶ大西洋航路では,当時の列強諸国がその国威をかけた優秀船が投入され性能を競った。
旅客輸送を目的とする定期客船時代の幕は19世紀後半に開かれた。第一次産業革命を背景として,ヨーロッパ諸国から新大陸アメリカへ,あるいは世界に広がる各国の植民地への旅客,貨物の輸送需要は急激に増大した。これにこたえて,この時期造船技術も目覚ましい発展をしている。帆船にかわり蒸気機関が推進に用いられるようになり,それも初期の往復動機関から20世紀に入ると蒸気タービンへとかわり,さらにディーゼルエンジンも使われるようになった。蒸気機関の利用は天候に大きく支配されていた船の運航の定期化を可能とし,1838年大西洋を汽力だけで初めて横断したシリウス号Sirius(イギリス,1838建造,703総トン,8.5ノット)に大西洋定期船の名称が初めて使われた。推進器も初めの外車にかわり,スクリュープロペラが使われるようになり,グレート・ブリテン号(イギリス)の成功によりその傾向が決定づけられた。構造材料も木から鉄,さらに鋼へと進んで大型船の建造が可能となり,50年から90年の間に1000トンクラスから1万トンクラスへと大型化している。
20世紀に入ると,各国の優秀船建造競争が激しくなり,とくに大西洋定期客船航路において高速性と巨大さを競うようになった。当時の新興国であったドイツは,97年にカイザー・ウィルヘルム・デア・グローセ号,1900年にはドイッチュラント号を建造し,最高速船に与えられるブルーリボンを獲得,それまではイギリス国内の各社で競っていたものを外国へもち去った。これに対し,イギリスは,07年ルシタニア号,モーレタニア号を建造し,大西洋の覇権を取り戻した。その後もこの航路には,ブレーメン号(ドイツ),ノルマンディー号(フランス),クイーン・メアリー号などの優秀船が活躍し,第2次大戦による中断を経て,52年にはアメリカのユナイテッド・ステーツ号がブルーリボンを獲得した。
大西洋航路の歴史の中で特筆すべき船に,タイタニック号(イギリス)がある。この船は姉妹船オリンピック号とともに初めて4万トンを超えた巨大船であり,もはや海難などは起こり得ないと考えられていた。その船が1912年の処女航海において氷山と衝突して沈没し,多数の犠牲者を出したことは船の安全性に対する考え方に強烈な衝撃を与え,SOLAS条約(海上における人命の安全のための国際条約)成立の口火となった。タイタニックはその巨大さのために沈没などとは無縁の船と考えられていたこともあって,旅客・乗組員数に比べて救命艇の数が不足していたこと,衝突破口からの浸水を一部に止めることができなかったこと,霧中の安全航法が不十分であったことなどが大きな惨事につながってしまい,この事故は以後の客船に大きな教訓を与えた。
上記のように客船が高速,巨大,豪華を競った背景として,当時は船が海を渡る唯一の交通手段であり,また国際的交易の発展による要請があったことは事実としても,純粋にそれだけの要求によってこのような豪華客船の経営が成り立つはずはない。当時の列強諸国は優秀船をもつことを誇りとし,国威をかけて客船の建造に手厚い補助を与えている。このような補助は,戦時における兵員輸送手段としての客船を意識したものでもある。近代戦は輸送力の戦いであり,高速で兵員輸送を行う手段をもつことは,戦略上重要な条件であった。クイーン・エリザベス号は40年に完成したが,直ちに第2次世界大戦に徴用され,世界最大・最高速の豪華客船として登場したのは戦後の46年である。52年完成のユナイテッド・ステーツ号はこのような半軍用の性格を非常に強くもつ船で,有事には1万4000人の兵員輸送ができるといわれていた。完成後直ちにブルーリボンを獲得したが,主機出力,最高速力についての性能は軍事上の機密として公表されなかった。
日本でも1929年から30年にかけて,サンフランシスコ航路用に浅間丸,竜田丸,秩父丸(のち鎌倉丸と改称)の優秀船が建造され,太平洋航路においてその性能を誇っている。その後,ヨーロッパ航路向けに,八幡丸,新田丸,春日丸の建造が計画され,八幡丸,新田丸は完成したものの第2次大戦が始まると,建造中途の春日丸とともに航空母艦に改装された。
60年代に入り,ジェット旅客機の就航が本格化してくるに従い,旅客輸送の主力は客船から航空機へと急速に移行した。しかし,その移行があまりにも早かったため,1950年代後半では客船の将来についての見通しがつかず,大西洋航路の花形になろうとする豪華客船の建造が続いている。フランス号(フランス),クイーン・エリザベス2世号(イギリス)はこのような考え方で建造された船で,大西洋定期客船の伝統を受け継いだ最後の客船といえよう。
一方,60年前後からイタリアでは客船新時代の発端となるような船の建造が行われている。レオナルド・ダ・ビンチ号(1960)は3万3000総トン,ミケランジェロ号(1965),ラファエロ号(1965)などは4万5000総トン,26ノットクラスの船で,大西洋定期客船としてはフランス号に及ぶべくもないが,建造費はおよそ半分といわれている。60年代後半は,まだ夏季は大西洋航路の人気が高く,これらの船は夏の間は大西洋定期船として動き,冬季はカリブ海クルーズに向けるという運航により比較的好成績をおさめた。客船の冬季運航としては,カリブ海クルーズのほか世界一周クルーズも行われたが,クイーン・メアリー号,クイーン・エリザベス号などの巨船は,パナマ運河の通過ができないため用途が限定され,非常に苦しい経営状態となった。
70年代に入ると,航空機旅客輸送が本格化し,客船の性格は旅客輸送から船旅を楽しむためのクルージングへと完全に移行した。1960年代後半から,ノルウェー系の船主を中心としてカリブ海クルーズに焦点をしぼった客船の建造が意欲的に行われ始めた。これらの船は2万総トン,20ノットクラスが主流で,マイアミに集まった観光客に1週間程度の船旅を提供している。クルーズ用客船の人気の高まりとともに,80年代には多くの大型客船の建造が計画された。これらの中にはかつての大西洋航路の華であったオイローパ号(ドイツ)の名を継ぐものもある。
船として客船をみた場合の特徴は,非常に広い空間,ある程度の高速性,厳重な安全性があげられる。
空間的にみれば,飛行機の場合,旅行時間はたかだか10時間程度であり,いす席で十分であるのに対し,客船の場合その上での生活を考える必要がある。寝室のほか,食堂,劇場,スポーツ設備,散歩のためのデッキなどが必要であり,しかもこれらはなるべく上甲板上,少なくとも喫水線上に設けたい。かつての客船の下級船室は喫水線下で,窓のないところに30名以上を押し込めるものであったが,現在の客船の目的は輸送からクルージングにかわり,モノクラスの傾向が強いため,広い空間への要求はますます強まっている。したがって,客船の船型は,上甲板上の構造物が大きく,窓のある部屋を多くとるために,船の長さが幅に比べて大きくなるのが特徴である。
客船に要求される速力は時代とともにかわってきた。大西洋定期船時代までは高速であることは客船にとって第1の誇りであり,ブルーリボンを競った。ユナイテッド・ステーツ号は1952年平均速力35.59ノット,3日10時間40分で大西洋を横断(東航)し,この記録はいまだ破られていない。もちろん軍艦にはこれより高速の船もあるが,軍艦の最高速力は短時間のものであり,巡航速力は20ノット台であることを考慮すれば,大西洋定期客船はその時代を代表する最高速船であったといってよい。しかし,現在では高速旅客輸送という機能は客船には要求されず,クルーズ用客船の速力は20~25ノットが主流となっている。ただし,客船と同じような設備をもつフェリーボートの場合は,スケジュールに合わせた高速性が要求され,ガスタービンエンジンにより30.5ノットの高速を出せるものも建造されている。
タイタニック号の悲劇を口火として,客船の安全性には大きな注意が払われている。乗客および乗組員定員に応じて,十分な救命設備の設置を義務づけているほか,船を水密隔壁により区画し(このような区画を水密区画という),衝突その他により破口が生じた場合も,2個の区画に浸水しても船の復原力を保つことができるよう設計されている(貨物船の場合,区画を細かく分けると貨物の積付け上不ぐあいが多く,1個の区画に浸水した場合のみについて規制している)。荒天時の復原性については,54年の青函連絡船洞爺丸事件以来研究が進み,日本では客船の復原性についてきびしい基準が定められている。
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
おもに旅客を運ぶ商船。旅客だけを運ぶ船を純客船、旅客と貨物の両方を運ぶ船を貨客船というが、内容、外観ともに純客船に近ければ一般には客船とよばれる。ただし法規上は、貨物設備の多少にかかわらず、13名以上の旅客設備をもった船は客船として扱われ、人命の安全のためにもっとも厳しい安全基準が課される。客船は、豪華な設備やデザイン、快速性、乗り心地のよさ、安全性などを誇り、かつてはその国の工業水準を代表するものとされた。クイーン・メリー号(1936年建造、8万0774総トン、イギリス)、クイーン・エリザベス号(1940年建造、8万3673総トン、イギリス)などの豪華客船が現れ、日本でも秩父(ちちぶ)丸(1930年建造、1万7498総トン)、浅間丸(1929年建造、1万6947総トン)などを外航航路に就航させていた。しかし客船の収益性はしだいに悪化し、また航空機の発達により旅客を奪われ、有名な客船は次々と姿を消していった。
日本の外航純客船は、にっぽん丸(1972年に旧2代目あるぜんちな丸が改装され初代にっぽん丸として運航し76年に引退。1977年旧セブンシーズ号が改装され2代目にっぽん丸として運航、9745総トン、1990年竣工の新造船3代目にっぽん丸の就航とともに引退)と新さくら丸(1981年見本市船から純客船に改装、1万6431総トン)の2隻のみであった。その後、この2隻にかわって、1989年(平成1)日本初の本格的新造客船ふじ丸(2万3340総トン)、おせあにっくぐれいす(5218総トン)の2隻が就航を開始し、この年は「クルーズ元年」といわれた。その後も3代目にっぽん丸(1990年就航、2万1903総トン)、飛鳥(あすか)(1991年就航、2万8856総トン)、ぱしふぃっくびいなす(1998年就航、2万6518総トン)など大型豪華客船が就航、2000年現在おもなものは7隻(うち2隻は日本資本の外国籍船)となった。世界的な高速化、効率化の下で客船の活動分野は狭まる一方であったが、欧米においては1980年代から、日本でも1990年代から、定期横断客船にかわって巡航客船(クルーザー)の旅が普及し始めた。日本では飛鳥などが世界一周クルーズを運行している。
[森田知治]
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…貨物を運ぶことを目的とする商船。各国とも法規(日本の場合は〈船舶安全法〉)によって旅客定員12名以下のものを貨物船と定義しており,旅客定員が12名を超えるものは客船の扱いを受ける。 19世紀中ごろから20世紀前半までは国際間の旅客輸送においては船がその中心を占め,客船全盛の時代であり,貨物船も旅客設備をもつものが多かった。…
…商船とは経済上の目的に用いられる船の中で,とくに旅客および貨物を運搬するものを指し,日本の商法でも,商行為を為す目的を以て航海の用に供するものと定義している。商船はさらに法規上では,旅客定員が12名を超える旅客船(客船)と12名以下の貨物船(非旅客船ということもある)に分類される。貨客船は旅客定員のうえでは客船に入るが,旅客のほかに貨物を積むものである。…
※「客船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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