ルドフスキー(読み)るどふすきー(英語表記)Bernard Rudofsky

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルドフスキー」の意味・わかりやすい解説

ルドフスキー
るどふすきー
Bernard Rudofsky
(1905―1988)

オーストリアモラビア(現在のチェコ)生まれのアメリカの建築家文化史家。1928年ウィーン工科大学で建築学、英文学修士号を取得し、同年よりベルリン工科大学助手を務める。1930~1931年ウィーン工科大学建築学科助教授。1931年博士号取得。ナポリでのカプリ島プロジェクト(1932~1935)、アメリカへの遊学を経てカサ・オロ(1936、ナポリ)を設計する。その後イタリアの建築雑誌『ドムスDomus誌の編集長(1937~1938)などを務めた後、ブラジルサン・パウロで建築事務所(1938~1940)を設立し、住宅やショップの設計などを行う。

 1941年汎アメリカ・デザイン・コンペティションの優秀賞受賞を機にMoMAニューヨーク近代美術館)から招聘(しょうへい)され渡米し、その後アメリカに永住する。

 1942~1943年アメリカの建築雑誌『ニュー・ペンシル・ポインツ』New Pencil Points(現、『プログレッシブ・アーキテクチャー』Progressive Architecture)の副編集長、アートディレクター、『インテリアInteriors誌の編集長、アートディレクターを務める。1945年ニューヨーク市建築士資格を取得。おもな作品は、ブリュッセル万国博アメリカ館設計(1957~1958)であるが、主要な活動は著作と展覧会のための調査と研究であった。

 MoMAのゲスト・キュレーターとしてテキスタイル什器(じゅうき)をはじめ民族学的建築、日本の地図などをテーマとする展覧会を準備、開催し、それらをまとめて出版する。著書には『建築家なしの建築』Architecture without Architects(1964)、『人間のための街路Streets for People(1969)、『みっともない人体』The Unfashionable Human Body(1971)、『驚異の工匠たち』The Prodigious Builders(1977)、『さあ横になって食べよう』Now I lay me down to eat(1980)などがある。MoMA建築部門のコンサルタントも務め、1958~60年(昭和33~35)には早稲田(わせだ)大学の研究員として日本に滞在した。

 なかでもルドフスキーの名を世界に広めたのは、著書『建築家なしの建築』である。建築家がつくった建築や著名な建物はこの本に一つも出てこないが、世界各地の民家や集落がふんだんに収められている。いわゆるバナキュラー(土着的)な建築の魅力が建築家、建築学生の心をとらえた。世界中で建築家や建築教育プログラムが文化人類学、地理学に接近し、都市や集落の調査、フィールドワークが盛んに行われるきっかけをつくった。ルドフスキーは衣食住そして都市生活をアメリカ近代文明に侵されていない時代や文化に建築の原点を探り、根元的な批判を投げかけるが、他方ではさまざまなアイデアや楽しみを現代のデザイナーや建築家に示すことを忘れなかった。

[鈴木 明 2018年12月13日]

『平良敬一・岡野一宇訳『人間のための街路』(1973・鹿島研究所出版会)』『加藤秀俊・多田道太郎訳『みっともない人体』(1979・鹿島出版会)』『渡辺武信訳『驚異の工匠たち――知られざる建築の博物誌』(1981・鹿島出版会)』『渡辺武信訳『建築家なしの建築』(1984・鹿島出版会)』『多田道太郎監修、奥野卓司訳『さあ横になって食べよう』(1985・鹿島出版会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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