精選版 日本国語大辞典 「文化人類学」の意味・読み・例文・類語
ぶんか‐じんるいがく ブンクヮ‥【文化人類学】
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文化人類学という学問は、アメリカでは人類学のなかに含まれるとされている。つまり文化人類学は人類の生物学的人類学と並んで、人類の社会的・文化的側面の研究を行う学問とされている。その背景には、人類の生物学的研究には、社会的・文化的要因の考慮が必要であり、人類の文化的側面の研究には、その生物学的条件の考察が必要であるという考え方が潜んでいる。したがって、アメリカの大学においても、人類学科には、文化人類学者とともに形質人類学者が所属している。文化人類学はアメリカでは先史考古学、民族学、社会人類学、生態人類学、言語人類学、心理人類学などを含むとされている。
先史考古学は、遺物や遺跡を通じて過去の文化を研究し、民族学は主として未開民族の文化を比較研究する。特定の社会(未開社会、村落社会など)の現地調査による研究は民族誌(エスノグラフィー)とよばれている。社会人類学は、家族・親族組織、政治組織などを含む社会組織に重点を置く分野であるが、宗教や神話、シンボリズムの研究も行う。生態人類学は、社会の環境との適応関係を中心に研究する分野である。
心理人類学は、かつて「文化とパーソナリティー」という名称でよばれた分野であるが、その後、社会的知覚や認知体系の研究が盛んになり、最近では心理人類学、認知人類学とよばれている。認知体系の研究というのは、諸民族は自然界をどのように分類しているかを実証的に研究するものである。たとえば中央アメリカのマヤ系インディオであるチェルタルが動植物をどのように分類しているかについて詳しい報告がある。こういう研究はエスノサイエンス、エスノセマンティクスともよばれる。これは、特定の社会における語彙(ごい)の分析を通じて、自然界がいかに分類されているかをとらえようとする。それに対して、言語の分類からは把握できないような分類体系、とくに象徴的分類を儀礼活動の分析を通じて摘出しようとする研究もあり、象徴人類学と総称される分野である。
イギリスでは、社会人類学を文化人類学の一分野とはみなさず、考古学、言語学などを含めるアメリカの文化人類学とは異なる独立の学問と考えられている。心理人類学も含まれていない。イギリスでは文化人類学という名称を使わず、社会人類学を独立の学名としている。しかし1970年以降は、この英米の用語の違いは厳密ではなくなっている。ドイツ・オーストリアでは、人類学という学問は形質人類学だけをさし、文化面を扱うものとして民族学が置かれている。この民族学は歴史的研究を中心にしているので、先史考古学を含んでいる。当初ドイツ・オーストリアの学問の影響の強かった日本では、人類学と民族学を二分して、「日本人類学会」と「日本民族学会」という二つの学会が生まれ、これは現在まで続いている。しかし研究内容としては、戦後にアメリカの文化人類学、イギリスやフランスの社会人類学が導入され、異なる見方が共存している。
文化(社会)人類学の研究法は簡単にいえば現地調査法と比較研究法からなるといえる。本格的な現地調査は20世紀初めにマリノフスキーとラドクリフ・ブラウンによって始められた。彼らによって機能主義が唱えられ、それ以前の進化主義的人類学は衰退した。機能主義は比較的最近まで支配的であったが、フランスのレビ(レヴィ)・ストロースの構造主義が1949年以降学界に登場して以来、イギリス、アメリカの文化(社会)人類学もその影響を受けるようになった。
文化人類学は方法論的に二つの相反する流れに分けることができる。一つは、とくにアメリカにおける科学主義的、普遍主義的アプローチで、これは生態人類学や交差文化的比較研究に顕著であり、法則を求める科学的方法を重視する。もう一つは、文化(社会)人類学の人文学との接近を説き、分析や説明より、解釈を重んずる立場である。法則を求めるのではなく、理解を目ざすべきであるとする。
現在の動向として、以下のようなことがいえる。
(1)いわゆる未開社会や農村の研究から、現在では、非西欧、西欧に限らず都市の調査が盛んになり、研究対象も資本主義、ジェンダー、ナショナリズム、エスニシティ、開発、環境問題などを含むようになった。
(2)どんな文化も「そこに存在するもの」あるいは実体であるかのようにとらえるのでなく、つねに変化し、構成され、再構成されていく過程として文化をみるという考え方が強くなりつつある。この傾向は当然、歴史的研究をいっそう重視することになる。イギリスのラドクリフ・ブラウンとその後継者たち、アメリカの人類学の創設者フランツ・ボアズとその後継者たちは現時点での研究を重んじ、歴史的研究を軽んじたが、その後もサーリンズMarshall Sahlins(1930―2021)のフィジー島やハワイのかつての王国の研究、フォックスJames J. Fox(1940― )の東インドネシアの政治的・生態学的な歴史研究をはじめ、多くの歴史的研究が行われている。
(3)人類学と植民地時代との関係。また西欧的科学合理主義の立場から、非西欧の思考、コスモロジーが理解できるかという研究の視点が認識されている。
(4)従来の西欧の人類学者その他によるイスラムや中近東の研究には、親イスラエル、反アラブ的な偏見があったのではないかという問題提起がなされている。
[吉田禎吾]
『祖父江孝男・蒲生正男編『文化人類学』(1969・有斐閣)』▽『吉田禎吾・蒲生正男編『社会人類学』(1974・有斐閣)』▽『吉田禎吾編『文化人類学読本』(1975・東洋経済新報社)』▽『R・E・リーチ著、長島信弘訳『社会人類学案内』(1985・岩波書店)』▽『石川栄・梅棹忠男・祖父江孝男他編『文化人類学事典』縮刷版(1994・弘文堂)』▽『山下晋司・船曳建夫編『文化人類学キーワード』有斐閣双書(1997・有斐閣)』
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… ドイツ,オーストリアなどヨーロッパ大陸の大多数の国では,この二つの人類学のうち身体特徴に関する自然科学的研究だけを人類学とよび,文化の研究はこれを民族学と称して人文科学の範疇に入れている。これに対して,イギリスやアメリカでは,人類学の名称を広義にとるものが多く,とくにアメリカでは,ヒトと他の生物との決定的な違いが文化の有無である点を重視し,文化の研究を主体としながらも生物学的側面の研究をも含めた人類学を自然人類学と文化人類学の二つの専門分野に分けている。 日本には,明治10年代にイギリス流の広義の人類学がもちこまれたが,その後,ドイツの学風の影響が強まるにつれて,自然人類学に限定された人類学と民族学とが使われるようになった。…
…社会人類学とは何であるかを説明するとき,最初に問題となるのは文化人類学との関係,または相違である。社会人類学を一つの学問分野と考えると,それには二つのとらえ方がある。…
…化石人類の進化の大筋は19世紀末までに理解されるにいたったが,第三紀霊長類から猿人,原人,旧人,新人と続く進化の系列は1930年代以後に確認されたもので,今日でも彼らの生息年代や進化のプロセスについては議論が続いている。 人類学は人間の身性を研究する自然人類学と,諸民族の文化を対象とする文化人類学に大別される。ヨーロッパとくにドイツやオーストリアでは自然人類学をたんに人類学と呼び,未開社会や文化を研究する学問には民族学という名称が用いられてきた。…
…ギリシア語のanthrōpos(人間)とlogos(言葉,理論,学)とに由来する16世紀のラテン語anthropologium,anthropologiaにさかのぼる用語で,〈人間の学〉を意味する。訳語の歴史は複雑で,1870年(明治3)西周(にしあまね)による〈人身学〉〈人学〉〈人道〉〈人性学〉の試みのあと,81年の《哲学字彙(じい)》は人と人類を訳し分け,anthropologyを〈人類学〉と訳し,84年の東京人類学会創立以来,明治・大正期には,もっぱら獣類・畜類と区別された人類の自然的特質の経験科学すなわち〈自然人類学〉の意味で使用され,人類の文化的特質に関する〈文化人類学〉としての使用は昭和期のことである。これに対し〈人間学〉は,1871‐73年西周によりコントのsociologieの訳に当てられたが(人間は人間(じんかん)として人の世,世間を指すから),これは一般化せず,92年には倫理学を人間学と呼びうるという主張が生じ,97年に〈人間知〉〈世間知〉の意味で初めて著書の題名となった。…
※「文化人類学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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