文化人類学(読み)ぶんかじんるいがく(英語表記)cultural anthropology

精選版 日本国語大辞典 「文化人類学」の意味・読み・例文・類語

ぶんか‐じんるいがく ブンクヮ‥【文化人類学】

〘名〙 人類の社会・文化の側面を研究する学問。生活様式やものの考え方、言語や慣習など、多様な人間の諸文化を、フィールドワークによって記録、記述し、それを比較研究して、文化の側面における人類の共通の法則性を見出そうとするもの。アメリカで発達。

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デジタル大辞泉 「文化人類学」の意味・読み・例文・類語

ぶんか‐じんるいがく〔ブンクワ‐〕【文化人類学】

人類の社会・文化の側面を研究する学問。生活様式・言語・習慣・ものの考え方などを比較研究し、人類共通の法則性を見い出そうとするもの。

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改訂新版 世界大百科事典 「文化人類学」の意味・わかりやすい解説

文化人類学 (ぶんかじんるいがく)
cultural anthropology

文化人類学は,自然(形質)人類学physical anthropologyと並んで人類学の一分科をなし,人類の集団的変異と類似を,とくに文化面について記述し,説明もしくは解釈することを基本的課題とする学問である。ここでは人類学の発達を,その誕生時にまでたどって整理・詳述する。

人類学は,ある社会の人間が,身体形質や言語,風俗習慣などについて,自分たちとは異なる人間集団を発見したときに芽生えたものであるが,そのような異人種・異民族の発見は,ヨーロッパの場合,古代ギリシアにまでさかのぼることができ,そこで人類学の起源をこの時代におく科学史家もある。しかしながら,なんといってもヨーロッパ人によって開かれた近世初めのいわゆる大発見時代が,ヨーロッパ人に非ヨーロッパ的な異人種・異民族に関する情報を,前代までとは比較にならぬ量でもたらすこととなった。さらにそれに続くヨーロッパ人の世界制覇の時代は,その効果的達成のためにも,異人種・異民族に関する情報の集積を促すこととなった。このようにして,人類の多様性がヨーロッパ人に知られるようになったとき,その多様性をどのように整理し,体系的に理解するかということが,必然的に次の課題として浮かび上がってきたのである。これが人類学の誕生であった。

一口に人類の多様性といっても,人類は他の動物と異なって,言語をはじめとする文化をもつ存在であるから,人類の自然(身体,形質)と文化のどちらに着目するかによって,対象領域ばかりか研究の方法も異ならざるをえない。その際,ヨーロッパ大陸,なかんずくドイツ,オーストリアでは,人類学という名称をもっぱら身体・形質面の研究に限って用い,文化面にかかわる研究には民族学Ethnologieの名称を用いるのが普通であったし,現にそのような用法が行われている。ドイツ流の学風の影響を強くこうむってきた第2次大戦前の日本でも,そうした用法が踏襲され,その傾向は,文化人類学という名称がかなり一般化した今日でも,〈日本民族学会〉〈国立民族学博物館〉などの名まえにみるとおり,なお根強いものがある。

 ヨーロッパでもイギリスでは,人間の自然・文化両面を総合して研究する人類学に対して,とくに文化面を対象とする部門に文化人類学という名称が使われたこともあったが,後に述べる理由によって,現在では社会人類学の名称が用いられている。この場合,社会人類学は個別の独立科学であって,人類学の下位部門を構成するものとは考えられていない。これに対して,アメリカ合衆国をはじめアメリカ大陸の多くの国々では,人類学の下位概念として,人類の身体・形質面を扱う分野を自然(形質)人類学,文化面を扱う分野を文化人類学と称している。

 このように述べてくると,民族学,社会人類学,文化人類学の3者は,名称の違いにもかかわらず,実質的に同じものと思われるかもしれない。確かに3者とも人類文化の多様性,なかんずく他の諸学問によって無視もしくは軽視されがちな,いわゆる未開民族の文化に関心を向けて,比較研究を重視する点は共通しているが,3者の間には次のような相違もあるのである。

 民族学は,その主たる関心を未開民族の文化の歴史,もしくは文献・記録や考古学的資料を欠く事象についての歴史を再構成することに向け,その歴史再構成の方法として比較法を用いる。その際,一般歴史理論が導き出される場合もないではないが,概して民族学は理論的というよりは記述的な学問である。ドイツ,オーストリアはもとより,イギリスにおいてもアメリカにおいても,異民族・異文化に関する研究の初期には,こうした意味での民族学的傾向が顕著であった。社会人類学は,イギリスにおけるこの学派の創始者であるA.R.ラドクリフ・ブラウンによれば,人間の社会関係の分析に重点を置いた理論科学であり,比較社会学とも呼ばれる。彼によれば,文化は直接的な観察の不可能な抽象概念であるとして研究対象からしりぞけられ,具体的に観察できる人間の行為を介してとらえられる社会関係が,分析と理論化の対象とされる。文化人類学ではなく社会人類学と称されるゆえんである。

 アメリカ流の文化人類学は,前記したように総合的な人類学の一分科であるうえに,文化人類学自体も一個の総合科学と考えられている。すなわち,文化人類学は一般に,先史考古学,民族学,社会人類学,言語人類学linguistic anthropology,心理人類学psychological anthropologyなどの諸分野からなるとされるのである。こうしたアメリカにおける人類学および文化人類学のあり方は,アメリカ人類学の父と呼ばれるF.ボアズの学問傾向に由来する。彼の学問関心の範囲はきわめて広く,民族学的な研究に加えて言語学や考古学にも手を染め,さらに身体・形質の研究にも従事している。アメリカの人類学を特色づける総合性は,このようなボアズの影響下に生み出されたのである。とくに文化人類学の名称の定着については,ボアズとその弟子たちが,文化を〈知識,信仰,芸術,法律,道徳,風習,その他,社会の成員としての人間によって獲得された,あらゆる能力や習慣を含む複合的全体〉とした,イギリスのE.B.タイラーによる文化概念を有効として,その使用を広めたことによるところが大きい。文化人類学の諸分野のうち,言語人類学は言語学との境界領域に属し,社会や文化との関連において言語を扱うものである。心理人類学も同様に心理学にまたがる部門であり,文化とパーソナリティの関係,民族性,文化と心理的適応,文化と精神異常などの諸問題を扱う。

すでに述べたように,人類学的思考の萌芽は古代にもさかのぼってたどることができるが,近代科学としての文化人類学の歩みは,19世紀の60年代から70年代にかけて始まる。以来100年余,民族誌的資料の蓄積は着実に増大し,これを記述し分析し説明する方法も多様な発展を示してきた。しかし,大きくみて三つの時期を分けることができる。第1期は1910年代までであり,歴史的な視点に立ついわゆる民族学的傾向の顕著な時代である。現存未開民族の文化を,歴史的な意味での原始文化と同一視し,未開民族の諸文化を比較することによって,文明以前の人類文化史を再構成しようとする試みがまずあらわれた。イギリスのタイラー,アメリカのL.H.モーガンなどを代表とする古典的進化主義と呼ばれる立場である。これに対する批判からドイツ,オーストリアには極端に文化の伝播(でんぱ)を強調し,人類文化史を全世界にまたがる文化伝播の歴史として描こうとする文化圏説があらわれた。アメリカでもボアズの指導下に,歴史的特殊主義とも呼びうる綿密な局地研究が盛行する。ただし,ボアズ指導下のアメリカ学派においては,その局地研究主義およびボアズの文化概念に関連して,対象社会の文化の全面に及ぶ資料収集のために,長期にわたるフィールド・ワークが必須のこととされた。この点は,文献研究を主とした前2者と大きく異なり,やがて次の時期にアメリカの文化人類学が大きく飛躍する素地となるものであった。

 1920年代にはいって文化人類学は大きく変貌する。第2期である。それはイギリスにおける社会人類学の成立を契機とする。B.K.マリノフスキーの機能主義functionalismおよび,ラドクリフ・ブラウンの構造・機能主義structural-functionalismと呼ばれる立場がそれである。両人はフランスの社会学者É.デュルケームの理論に多くを学び,全体を部分の単なる総和ではなく,機能的統合体もしくは機能的まとまりとしてとらえ,全体の構造と部分の機能を究明することを指向した。したがって,両人の研究は文化なり社会なりの現在を対象とするものであり,歴史的観点を排除するものであった。両人ともフィールド・ワークを研究の不可欠の手段として強調するが,今日文化人類学の研究方法の一特色となっている,対象社会を内面から観察するいわゆる参与調査の方法は,とくにマリノフスキーに負うものである。しかし理論上の貢献はラドクリフ・ブラウンのほうがより大きく,批判や修正をこうむりながらも,彼の構造・機能主義的分析の方法は,基本的には依然として有効な方法として,ひとりイギリスの社会人類学者の間に限らず,アメリカを含めて世界中の多くの文化人類学者によっても継承されている。アメリカの文化人類学においては,この時期,ボアズがかつてまいた文化の多方面への関心の芽が生育し,言語人類学,心理人類学,文化型,文化変容など,さまざまな分野の研究が発展する。この点はほとんど社会構造の分析にのみ集中したイギリス社会人類学との大きな違いであるが,現在の文化に主たる関心を寄せ,文化の諸部分を全体の脈絡の中で理解しようとする立場は,文化を断片化して扱った前代の民族学との決定的相違であった。

文化人類学の次の転機は1960年代に訪れる。その兆しはすでに50年代に認められるが,60年代以降急速に文化人類学の新しい主流が形成をみるのである。それは一口にいって認識にかかわる研究の傾向である。その一つは象徴人類学symbolic anthropologyと呼ばれるもので,C.ギアツ,シュナイダーD.Schneider,ターナーV.Turner,ダグラスM.Douglasなどを代表とする。彼らは文化をシンボル体系としてとらえようとする点で共通の立場に立っている。他の一つはエスノサイエンスethnoscienceまたは新民族誌new ethnographyと称する立場で,これは基本的に方法論である。グッドイナフW.Goodenoughを代表とするこの立場の人々は,文化はその担い手の心の中にのみ存在すると考えるところから,民族誌的情報を研究者の先入見的カテゴリーの中に置かずに引き出す方法を考えるのである。民俗分類学folk taxonomyと呼ばれるものがその一つであるが,それにしても一個人の認識の全容を完全に復元することが可能であるとはとうてい考えられない。それにもかかわらず,この方法が,民族誌資料の収集のうえで,従来の方法を補強する有効な手段として大きな価値をもつことは否定できぬであろう。以上二つの立場は認識人類学cognitive anthropologyの名で総称される。

 認識のプロセスを扱ういま一つの立場は,フランスのC.レビ・ストロースに代表される構造主義structuralismeである。レビ・ストロースのいう構造は経験的実在に関係しているのでなく,経験的実在に基づいて作られたモデルである。しかも彼は構造のモデルを意識されたものと意識されないものとに分け,意識されない構造のモデルを問題とするのである。この構造概念は,構造言語学から借用されたものであった。要するにレビ・ストロースは,人間のもつ普遍性,人間の精神に関する真の事実をとらえようとしているのである。それが成功しているか否かは評価の分かれるところであるが,レビ・ストロースの構造主義の出現によって,文化人類学が著しく抽象度の高い学問に向けて,大きな刺激を与えられたことは事実であり,文化人類学の今後の一つの方向を示すもののように思われる。
社会人類学 →人類学 →民族学
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「文化人類学」の意味・わかりやすい解説

文化人類学
ぶんかじんるいがく
cultural anthropology

文化人類学という学問は、アメリカでは人類学のなかに含まれるとされている。つまり文化人類学は人類の生物学的人類学と並んで、人類の社会的・文化的側面の研究を行う学問とされている。その背景には、人類の生物学的研究には、社会的・文化的要因の考慮が必要であり、人類の文化的側面の研究には、その生物学的条件の考察が必要であるという考え方が潜んでいる。したがって、アメリカの大学においても、人類学科には、文化人類学者とともに形質人類学者が所属している。文化人類学はアメリカでは先史考古学、民族学、社会人類学、生態人類学、言語人類学、心理人類学などを含むとされている。

 先史考古学は、遺物や遺跡を通じて過去の文化を研究し、民族学は主として未開民族の文化を比較研究する。特定の社会(未開社会、村落社会など)の現地調査による研究は民族誌(エスノグラフィー)とよばれている。社会人類学は、家族・親族組織、政治組織などを含む社会組織に重点を置く分野であるが、宗教や神話、シンボリズムの研究も行う。生態人類学は、社会の環境との適応関係を中心に研究する分野である。

 心理人類学は、かつて「文化とパーソナリティー」という名称でよばれた分野であるが、その後、社会的知覚や認知体系の研究が盛んになり、最近では心理人類学、認知人類学とよばれている。認知体系の研究というのは、諸民族は自然界をどのように分類しているかを実証的に研究するものである。たとえば中央アメリカのマヤ系インディオであるチェルタルが動植物をどのように分類しているかについて詳しい報告がある。こういう研究はエスノサイエンス、エスノセマンティクスともよばれる。これは、特定の社会における語彙(ごい)の分析を通じて、自然界がいかに分類されているかをとらえようとする。それに対して、言語の分類からは把握できないような分類体系、とくに象徴的分類を儀礼活動の分析を通じて摘出しようとする研究もあり、象徴人類学と総称される分野である。

 イギリスでは、社会人類学を文化人類学の一分野とはみなさず、考古学、言語学などを含めるアメリカの文化人類学とは異なる独立の学問と考えられている。心理人類学も含まれていない。イギリスでは文化人類学という名称を使わず、社会人類学を独立の学名としている。しかし1970年以降は、この英米の用語の違いは厳密ではなくなっている。ドイツ・オーストリアでは、人類学という学問は形質人類学だけをさし、文化面を扱うものとして民族学が置かれている。この民族学は歴史的研究を中心にしているので、先史考古学を含んでいる。当初ドイツ・オーストリアの学問の影響の強かった日本では、人類学と民族学を二分して、「日本人類学会」と「日本民族学会」という二つの学会が生まれ、これは現在まで続いている。しかし研究内容としては、戦後にアメリカの文化人類学、イギリスやフランスの社会人類学が導入され、異なる見方が共存している。

 文化(社会)人類学の研究法は簡単にいえば現地調査法と比較研究法からなるといえる。本格的な現地調査は20世紀初めにマリノフスキーとラドクリフ・ブラウンによって始められた。彼らによって機能主義が唱えられ、それ以前の進化主義的人類学は衰退した。機能主義は比較的最近まで支配的であったが、フランスのレビ(レヴィ)・ストロースの構造主義が1949年以降学界に登場して以来、イギリス、アメリカの文化(社会)人類学もその影響を受けるようになった。

 文化人類学は方法論的に二つの相反する流れに分けることができる。一つは、とくにアメリカにおける科学主義的、普遍主義的アプローチで、これは生態人類学や交差文化的比較研究に顕著であり、法則を求める科学的方法を重視する。もう一つは、文化(社会)人類学の人文学との接近を説き、分析や説明より、解釈を重んずる立場である。法則を求めるのではなく、理解を目ざすべきであるとする。

 現在の動向として、以下のようなことがいえる。

(1)いわゆる未開社会や農村の研究から、現在では、非西欧、西欧に限らず都市の調査が盛んになり、研究対象も資本主義、ジェンダー、ナショナリズム、エスニシティ、開発、環境問題などを含むようになった。

(2)どんな文化も「そこに存在するもの」あるいは実体であるかのようにとらえるのでなく、つねに変化し、構成され、再構成されていく過程として文化をみるという考え方が強くなりつつある。この傾向は当然、歴史的研究をいっそう重視することになる。イギリスのラドクリフ・ブラウンとその後継者たち、アメリカの人類学の創設者フランツ・ボアズとその後継者たちは現時点での研究を重んじ、歴史的研究を軽んじたが、その後もサーリンズMarshall Sahlins(1930―2021)のフィジー島やハワイのかつての王国の研究、フォックスJames J. Fox(1940― )の東インドネシアの政治的・生態学的な歴史研究をはじめ、多くの歴史的研究が行われている。

(3)人類学と植民地時代との関係。また西欧的科学合理主義の立場から、非西欧の思考、コスモロジーが理解できるかという研究の視点が認識されている。

(4)従来の西欧の人類学者その他によるイスラムや中近東の研究には、親イスラエル、反アラブ的な偏見があったのではないかという問題提起がなされている。

[吉田禎吾]

『祖父江孝男・蒲生正男編『文化人類学』(1969・有斐閣)』『吉田禎吾・蒲生正男編『社会人類学』(1974・有斐閣)』『吉田禎吾編『文化人類学読本』(1975・東洋経済新報社)』『R・E・リーチ著、長島信弘訳『社会人類学案内』(1985・岩波書店)』『石川栄・梅棹忠男・祖父江孝男他編『文化人類学事典』縮刷版(1994・弘文堂)』『山下晋司・船曳建夫編『文化人類学キーワード』有斐閣双書(1997・有斐閣)』

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百科事典マイペディア 「文化人類学」の意味・わかりやすい解説

文化人類学【ぶんかじんるいがく】

自然人類学と並ぶ人類学の二大分野の一つ。人類文化の全体的把握(はあく)を目的とする。ヨーロッパにおける民族学が基礎となり,〈未開社会〉を主な研究対象としてきた。19世紀後半,未開の諸文化を比較研究することで人類史を再構成する古典的進化主義の流れとともにE.B.タイラー,L.H.モーガンらが先駆者となった。1920年代にはマリノフスキーが参与観察にもとづくフィールド・ワーク(現地調査)の方法を確立。ラドクリフ・ブラウンとともに機能主義の潮流を創り,社会構造の分析・比較に主眼をおく英国社会人類学として発展した。米国ではボアズらが出て,隣接諸分野を含む文化の科学として発展した。1960年代以降,文化をシンボル体系としてとらえるV.ターナーギアツ,M.ダグラスらの象徴人類学,レビ・ストロースによる構造人類学(構造主義)が主流となり,人類の普遍性を追求する方向が生まれた。→人類学
→関連項目泉靖一行動科学富永仲基部族民族音楽学

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「文化人類学」の意味・わかりやすい解説

文化人類学
ぶんかじんるいがく
cultural anthropology

諸民族の文化・社会を比較研究する学問。アメリカでは,人類学は人間についての総合的研究であるとして,自然人類学,考古学,文化人類学,ときには言語学も含めた3ないし4部門から成るが,文化人類学の占める割合が大きいことから,人類学としばしば同義に用いられる。一方ヨーロッパでは,アメリカでいう文化人類学を民族学あるいは社会人類学と呼ぶ。非西欧的な習俗・習慣についての興味に始り,18世紀に関心が高まって,1839年フランスの哲学者 W.F.エドワールの提唱によりパリ民族学会が誕生。 43年ロンドン民族学会が発足し,84年にはオックスフォード大学で民族学が開講され,E.B.タイラーが初代講師となった。その後イギリスでは,社会組織の分析が中心となり,社会人類学という名称が用いられるようになった。ドイツ,オーストリアでは,20世紀前半にウィーン学派と呼ばれる歴史民族学が成立。日本へは 20世紀初頭に民族学が輸入されるが,本格的な研究は第2次世界大戦後になって始った。一般に,文化人類学は諸分野に専門化されており,言語,生態,社会,法,政治,経済,宗教,象徴,芸術,音楽,映像,心理,認識,教育,都市,医療人類学などがあるほか,応用人類学と呼ばれる人類学的知識の活用研究も行われる。

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世界大百科事典(旧版)内の文化人類学の言及

【自然人類学】より

… ドイツ,オーストリアなどヨーロッパ大陸の大多数の国では,この二つの人類学のうち身体特徴に関する自然科学的研究だけを人類学とよび,文化の研究はこれを民族学と称して人文科学の範疇に入れている。これに対して,イギリスやアメリカでは,人類学の名称を広義にとるものが多く,とくにアメリカでは,ヒトと他の生物との決定的な違いが文化の有無である点を重視し,文化の研究を主体としながらも生物学的側面の研究をも含めた人類学を自然人類学と文化人類学の二つの専門分野に分けている。 日本には,明治10年代にイギリス流の広義の人類学がもちこまれたが,その後,ドイツの学風の影響が強まるにつれて,自然人類学に限定された人類学と民族学とが使われるようになった。…

【社会人類学】より

…社会人類学とは何であるかを説明するとき,最初に問題となるのは文化人類学との関係,または相違である。社会人類学を一つの学問分野と考えると,それには二つのとらえ方がある。…

【人類学】より

…化石人類の進化の大筋は19世紀末までに理解されるにいたったが,第三紀霊長類から猿人,原人,旧人,新人と続く進化の系列は1930年代以後に確認されたもので,今日でも彼らの生息年代や進化のプロセスについては議論が続いている。 人類学は人間の身性を研究する自然人類学と,諸民族の文化を対象とする文化人類学に大別される。ヨーロッパとくにドイツやオーストリアでは自然人類学をたんに人類学と呼び,未開社会や文化を研究する学問には民族学という名称が用いられてきた。…

【人間学】より

…ギリシア語のanthrōpos(人間)とlogos(言葉,理論,学)とに由来する16世紀のラテン語anthropologium,anthropologiaにさかのぼる用語で,〈人間の学〉を意味する。訳語の歴史は複雑で,1870年(明治3)西周(にしあまね)による〈人身学〉〈人学〉〈人道〉〈人性学〉の試みのあと,81年の《哲学字彙(じい)》は人と人類を訳し分け,anthropologyを〈人類学〉と訳し,84年の東京人類学会創立以来,明治・大正期には,もっぱら獣類・畜類と区別された人類の自然的特質の経験科学すなわち〈自然人類学〉の意味で使用され,人類の文化的特質に関する〈文化人類学〉としての使用は昭和期のことである。これに対し〈人間学〉は,1871‐73年西周によりコントのsociologieの訳に当てられたが(人間は人間(じんかん)として人の世,世間を指すから),これは一般化せず,92年には倫理学を人間学と呼びうるという主張が生じ,97年に〈人間知〉〈世間知〉の意味で初めて著書の題名となった。…

※「文化人類学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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