ルントシュテット(読み)るんとしゅてっと(英語表記)Karl Rudolf Gerd von Rundstedt

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルントシュテット」の意味・わかりやすい解説

ルントシュテット
るんとしゅてっと
Karl Rudolf Gerd von Rundstedt
(1875―1953)

ドイツ陸軍元帥。第一次世界大戦には少佐として参戦。1932年大将。第二次世界大戦では軍集団司令官としてポーランド作戦、西部戦線東部戦線指揮をとり、1940年元帥昇進。1941年ソ連軍の反攻にあい、軍を一時後退させたことでヒトラー衝突、軍集団司令官を辞任。1942年西部戦線総司令官に任命されたが、1944年6月の連合国軍のノルマンディー上陸直後、ふたたび後退命令を出したことで解任された。3か月後再任されアルデンヌ作戦によって一時反攻に成功したが、翌1945年春、連合国軍のライン川突破によりまたも解任された。戦後イギリス軍事裁判に付されたが病気のため釈放、1953年ハノーバーで死去した。

[藤村瞬一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルントシュテット」の意味・わかりやすい解説

ルントシュテット
Rundstedt, Karl Rudolf Gerd von

[生]1875.12.12. マクデブルク近郊アッシャースレーベン
[没]1953.2.24. ハノーバー
ドイツの軍人。第1次世界大戦では参謀総長をつとめ,その後ドイツ軍の再軍備を推進,1938年 10月上級陸軍司令官で退役。 39年第2次世界大戦勃発前に現役に復帰し,ポーランド,フランス,ロシアの各作戦に軍団を指揮,陸軍元帥となる。対ロシア作戦でヒトラーと衝突,41年解任されたが,ただちに西部戦線の総司令官に任命され連合軍の侵入防御のための準備を行なった。 44年7月交代させられたが,9月再び総司令官として復帰,アルデンヌの反攻を指揮した。 45年5月アメリカ軍に捕えられたが,病身のため釈放された。なお彼はヒトラーを快く思っていなかったが暗殺計画には反対した。当時の連合国遠征軍最高司令官であった D.アイゼンハワーによれば,ドイツで最もすぐれた司令官の一人であったという。

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