日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルードルフ」の意味・わかりやすい解説
ルードルフ(1世)
るーどるふ
Rudolf Ⅰ
(1218―1291)
ハプスブルク家の初代ドイツ国王(在位1273~91)。名目的国王にすぎなかったリチャード・オブ・コーンウォールの死(1272)後、統一選挙を行うようにとのローマ教皇の勧告に基づき、諸侯は一致して、南ドイツのグラーフ(伯)であったルードルフを国王に選出し、大空位時代が終わった。即位後ルードルフは、鋭意王権の再建に努め、諸侯中ただ1人彼の王位を認めなかったボヘミア王オトカール2世を破り、その支配下にあったオーストリア、ケルンテン、クラインを奪回し、これを息子たちに帝国レーンとして授封し、ハプスブルク家の領土的基礎を置いた。他方、西南ドイツでも大空位時代に失われた帝国領の回収に努め、ライヒス・ラント・フォークト(帝国領国守護職)を置いて帝国領の支配・経営にあたらせると同時に、帝国平和令を発して国内の治安の回復を図り、自らも盗賊騎士たちの根拠地の一掃に従事した。シュタウフェン朝の滅亡後空位となっていたシュワーベン大公位の復活をももくろんだが、これはウュルテンベルク伯を中心とする諸侯の反対を受け、また王位をハプスブルク家に固定させることにも成功せず、有力諸侯間に王位が転々とするシュプリンゲンダー・ワール(跳躍選挙)の時代に入る結果となった。
[平城照介]
ルードルフ(2世)
るーどるふ
Rudolf Ⅱ
(1552―1612)
ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(在位1576~1612)。幼時スペインでイエズス会の教育を受けたので、即位後は反宗教改革の動きがドイツに波及するのに強力な支援を与えた。そのためボヘミアではシュテファン・ボクスカイの反乱が起こり、またドイツ国内でも新教派諸侯が新教徒同盟(ウニオン)を結成し、旧教派諸侯の同盟(リガ)と対立し、皇帝の死後、三十年戦争が勃発(ぼっぱつ)する素地がつくられた。子供がなかったので、従兄弟(いとこ)のフェルディナントを後継者に指名しようとして弟のマティアスと争い、ハンガリーとオーストリアの支配権を奪われ、名目的皇帝にすぎない存在となった。ルードルフは学芸の保護者としても有名で、天文学者のティコ・ブラーエやケプラーらをプラハの宮廷に招いた。
[平城照介]