改訂新版 世界大百科事典 「ワイストゥーム」の意味・わかりやすい解説
ワイストゥーム
Weistum
ドイツ法史の用語。慣習法の支配下にあったドイツ中世では,妥当する法の確認が必要とされる場合,それを慣習に通じた人々にたずね,彼らの判告Weisungを求めることが広く行われたが,そうした手続によって確定された法が一般にワイストゥームとよばれる。ブラウンシュワイクの帝国集会(1252)やレンスの選帝侯会議(1338)の場で国王選挙法に関して下された帝国ワイストゥームは最も有名な事例である。
しかし,この語はまた狭義では,とくに農村レベルでの判告慣習法の記録をさす(この場合,複数形のワイステューマーWeistümerを用いることが多い。また判告集などと訳される)。その数はきわめて多く,スイス,オーストリアを含む南ドイツを中心として数千点に達するが,今日に伝えられているものによる限り,この事象は13世紀に始まり,15~16世紀に最盛期をむかえ,18世紀にはまったく衰退したとみることができる。それは農村レベルで開かれる各種の定期裁判集会において,裁判主宰者の問いに対し,〈長老〉ないし〈陪審〉などとよばれる農民中の有識者が,当該共同体に〈古来仕来たれる法〉として判告した条々をなんらかの機縁に記録したものであり,それが記録される以前には毎回この手続が口頭で繰り返されたものと考えられている。最も多くのワイステューマーは,裁判領主と農民共同体との対抗関係の場である村落的下級裁判集会で成立し,その内容は主として地縁的共同社会の秩序と平和を維持するための規定から成る。土地領主とその領民によって構成される荘園裁判集会で成立したものも多く,そこでは領主と領民の関係とりわけ貢租にかかわる規定が重要事項となる。また,マルク共同体の集会で成立し,入会慣行などを規定したものも少なくない。この農民的慣習法は,彼らの生活をきわめて具象的に,ときにはユーモアあふれる表現で記録しており,法史研究のためばかりでなく,中世農民の社会史・心性史を研究するためにも第一級の史料となっている。
執筆者:山田 欣吾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報