改訂新版 世界大百科事典 「荘園法」の意味・わかりやすい解説
荘園法 (しょうえんほう)
Hofrecht[ドイツ]
ヨーロッパ中世で荘園の生活を律していた法。荘園は,領主による土地と人間に対する多様な内容と範囲の支配の場であり,また,領主は荘園を一つの領域として一定の公権力を行使していたから(これを領主制とよぶ),荘園法の対象となる人間と事象も一様ではなかった。人身的支配を受ける非自由人,土地保有農民などの領民だけでなく,荘園生活になんらかの形で関係を持つ外部者も,そのかぎりではこれに拘束された。さらに,中世の領主と農民の関係には双務性があったから,領主も荘園法に従わなければならなかった。荘園法の内容は,賦役や賦課租,領民の身分,平和や秩序,市と交通といった経済生活,さらには農業慣行など,領主と農民の関係だけでなく,農民相互の関係にも及んでいた。荘園と村落との関係はきわめて複雑であったから,農民の共同体による法として村落法が,荘園法とは別に成立することもありえたが,一般に両者は大きく重なり合っており,荘園法は領主制的性格と共同体的性格とを併せ持っている。
荘園は中世初期から存在するが,荘園法が明確に成立するのは,農民層の共同体的結合によって,その法的地位が安定する中世盛期である。それは,荘園裁判所Hofgerichtを中心として領主を含む荘園住民が営む法生活の中で作り出していく在地の諸慣習の総体であり,当初は口頭で伝承されていた。12~13世紀に農民層の地位が向上して,その権利を確認しようとする動向が強まると,荘園法の成文化が始まる。それは荘園裁判所の判決記録や領主と村落共同体との間で取り交わした文書などの形もとるが,最も独特な形態が,ゲルマン語圏で作成された判告書(ワイストゥーム)である。これは,領主ないしその役人の主宰する裁判集会で,主宰者の質問に応じて長老が朗唱する慣習を参加者が確認する,という手順で法を記録したもので,中世末期に多数作成された。ひとたび成文化された荘園法は他の場所に適用されることも容易で,また中世後期には同一領主による荘園所有の兼併が進行したから,いくつかの荘園法の間に同類関係や系譜関係が生じることが多くなった。
19世紀後半の学界では,中世初期における荘園の役割がきわめて大きく評価されており,それに応じて荘園法も,民衆の圧倒的大多数を占めていた農奴の生活を律する法と規定され,あたかも中世の法生活の根源にあるかのような地位に置かれていた。ことにドイツでその傾向が強く,都市法が荘園法の緩和された形だと説く中世都市成立に関する荘園法説は,その典型的な例である。しかし,荘園の多様な形態が解明され,その意義が相対化されたその後の研究状況の中で,荘園法も多面的にとらえられるようになっている。
なお,日本の荘園法については〈本所法〉の項目を参照されたい。
執筆者:森本 芳樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報