広い意味で陪審juryとは,司法に関与し一定の役割を担うために一般国民から選出された一団の法律の素人で構成される機関をいう。一般国民を,法律の専門家が中心となって運営する司法制度にどのような形で関与させるかは,国によりさまざまである。このなかで陪審の制度はイギリスやアメリカ合衆国の法制に特徴的なもので,素人が専門職の裁判官とは独立に,一定の職分を果たすところに特色がある。これに対して,ドイツなどヨーロッパ大陸法系の諸国では,一般人が専門職の裁判官とともに裁判官として事件を審理・裁判する〈参審制〉が行われている。
陪審には大別して〈大陪審grand jury〉と〈小陪審petit jury,petty jury〉があり,おのおのその役割を異にする。〈大陪審〉は,通常23名以下の陪審員(アメリカの連邦では16名以上23名以下)で構成され,ある者の刑事訴追を相当とするに足るだけの証拠があるかどうかを審査する役割を果たす。12名以上の決定で起訴が行われることになるので〈起訴陪審〉とも呼ばれる。根拠のない不当な起訴を防止するのが制度のねらいであったが,大陪審が検察官の刑事訴追の要求をそのまま承認することも多く,最近ではその機能を疑問とする意見もあり,イギリスでは1933年に廃止されている。またアメリカでも,州のなかには大陪審を廃止したり,その権限を制限するところがある。しかしアメリカの連邦およびいくつかの州では,連邦憲法や州憲法によって重大な犯罪について大陪審の審査を受ける権利を保障している。なお,日本の〈検察審査会〉の制度は,事後に検察官の不起訴処分の当否を審査するもので,その議決には拘束力がなく,アメリカの大陪審とは機能を異にしているが,国家の公訴権の行使に民意を反映させるという趣旨において,通ずるところがある。
〈小陪審〉は,伝統的には12名の陪審員で構成される。専門職の裁判官から独立した別個の機関として裁判に関与し,法廷に提出された証拠に基づいて事件の事実関係を審理し判断するのがその役割である。ここから〈公判陪審,審理陪審trial jury〉とも称される。普通〈陪審制〉〈陪審裁判〉という場合には,この〈小陪審〉を意味する。アメリカでは民事・刑事の訴訟で広く用いられている。アメリカの連邦裁判所における陪審員の選任は次のような方法による。まず,裁判所の管轄地区内に居住する18歳以上の一般市民(英語を解すること,前科のないこと,刑事訴追を受けていないことなどの資格要件が定められている)の中から無作為で一定数の候補者が選ばれる(社会の各層,人種,性別等を公正に代表した選出が行われるようにさまざまなくふうがなされている)。その候補者名簿からさらに訴訟事件ごとに陪審員候補が選ばれるが,裁判官と事件の両当事者の弁護士(刑事では被告人の弁護士と検察官)は,候補者に質問し,両当事者はこれに基づいて事件に対する偏見のおそれや利害関係のあることなどの理由を示した忌避の申立てをすることができる。さらに両当事者の弁護士(刑事では被告人の弁護士と検察官)が,一定数に限り,理由を示さずに陪審員を忌避することができる制度が認められている。このような選任手続を経て忌避されなかった者は陪審員となる義務を負い,原則としてこれを辞退することはできない。陪審員には旅費・日当が支給されることになっている。陪審員は法廷での審理に臨み,最後に裁判官から事実に適用すべき法などについての説示を受けた後,外部との連絡をいっさい断って陪審員のみで評議を行い,事件について評決verdictする。評決は全員一致でなければならない。評決がまとまると,陪審員は再び入廷し,陪審員長が公開の法廷で裁判官に対し評決を告げる。これが伝統的な陪審裁判の手続であるが,最近では12名未満の陪審や12名全員一致でない評決による例もある。
陪審裁判の起源については法制史家の意見が分かれており,アングロ・サクソンの古い審理方式にその起源を求める説や,フランク王国の時代に王が住民に宣誓させて審問を行った慣行がノルマン人のイングランド征服によってイギリスに伝えられたとする説が唱えられている。イギリスでは12世紀ヘンリー2世の時代になって陪審が裁判の手続に利用されるようになり,しだいにそれまでの神判や決闘など不合理な審理方式に取って代わるようになった。刑事ではまず起訴陪審が生まれ,起訴された者は神判で裁かれていたが,13世紀に神判が禁止されてからは事件の審理にも陪審が用いられるようになり,これが小陪審へと発展した。14世紀以降,陪審は制度としてしだいに整備されてゆき,小陪審が大陪審から分離し,陪審員の数は12名で,評決は全員一致によること,法律問題は裁判官が判断し,陪審は事実問題を判定するという役割の分担など,現在の制度の原型が確立されていったのである。なおフランス革命直後には,イギリス法の影響を受けてフランスの刑事裁判に採用された時期もあったが,後に参審制に変わった。現在,陪審発祥の地であるイギリスでは,民事で陪審が用いられる事件は限定されるようになっている。しかしアメリカでは,植民地時代に陪審が導入されて以来,これが同輩の手による裁判として本国法の過酷な強制から人民の自由を守る役目を果たしたこともあり,建国当初から民事,刑事ともに陪審審理を受ける権利は基本的人権の一部であると考えられ,連邦憲法も陪審裁判を受ける権利を保障している。
陪審制の利害得失についてはさまざまな意見がある。批判としては,専門的訓練を受けていない陪審員が事実の認定を適正に行えるか疑問があり,とくにマスコミなど外部の意見や弁護士の戦術などに左右されるおそれがあること,社会の複雑化・高度技術化にともない,とくに民事事件で素人の理解が困難と思われる複雑な事件が増加していること,感情に流された判断をして司法への信頼を失わせるなどの意見がある。他方陪審制の利点としては,司法への民衆参加により国家による専断的な司法が行われることを防止し,また司法に対する国民の関心を高めるとともに,司法制度に対する攻撃をやわらげる緩衝の役割をも果たすこと,法が国民の常識とかけ離れたものになることを防ぐ効果があることなどが挙げられている。このような賛否の意見のなかで,陪審発祥の地イギリスでは退潮のきざしがみえる。しかしアメリカにおいては陪審制度に対する信頼は根強く,陪審はアメリカ法制の一大特色として維持され,機能しているのが現状である。
日本には現在陪審の制度はないが,1923年に制定された〈陪審法〉は,刑事事件について陪審審理を認めたものであった。しかし法律施行以来の陪審審理の実施状況は芳しくなく,被告人側の陪審裁判の辞退が相次ぐなどして,その件数は年々減少して年間数件にまで落ち込み,43年に施行を停止されたままになっている。今日そのままの形で復活される見込みはない。日本で陪審が失敗した原因としては,イギリス,アメリカのような伝統を欠き一般国民や関係者に不慣れな面があったことのほかに,陪審法自体にも多くの問題点があったことが挙げられる。政治犯罪は陪審審理にかけられないとされていたこと,陪審の結論には拘束力がなく,裁判所は結論が気に入らないときは別の陪審に新たに判定を出し直させることができたこと,陪審に付した事件に対しては控訴が許されなかったこと,また被告人が陪審を請求して有罪となった場合多額の陪審費用の負担を命ぜられることなど被告人に不利益な点が多かったのである。現在〈裁判所法〉は,刑事について法律で陪審の制度を設けることを妨げないという規定を設けており(3条3項),英米流の陪審制度の導入を望む意見もある。しかし,単に外国の法制を直輸入するという方法で陪審制の利点が移入できるわけではない。陪審の導入を考慮するならば,ひろく司法への民衆参加のあり方や訴訟手続の全体にわたる制度の見直し,陪審員に偏見を与えないための事件報道の取扱いなど検討すべき課題は多い。
→裁判
執筆者:酒巻 匡
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…第4に,具体性を重んずる思考形態は,問題の法的処理において実際に有効な救済を与えうるか否かを重視する態度を生んでいる。また,司法の面でのおもな特徴としては,弁護士その他として法律実務を長年積んだ者の中から裁判官を選任するという法曹一元の制度,並びに,一般人の中から基本的には無作為抽出的な方法で選ばれた陪審員が,(軽微なものを除き)刑事事件と一部の民事事件において審理に加わり,事実認定を担当する陪審制を挙げることができる。 英米法という概念は,このような法文化的概念である。…
… 12世紀後半のイギリスでは,アングロ・サクソン時代からの地域共同体の裁判所およびそのつかさどる法や,封建制の発展に伴う農民に対する荘園裁判所あるいは封主封臣関係に基づく封建裁判所およびそのつかさどる法が,一般的な裁判所および法であり,国王の裁判所および王国に共通する法はむしろ例外であった。しかし12世紀後半のヘンリー2世時代に国王裁判所においては,増大した国王権力を背景にして,当時一般的な審理方式であった神判に代わる合理的な陪審による審理等,新訴訟手続や裁判制度の改革が行われた。そのために国王裁判権は,封建裁判権および地域共同体の裁判権を犠牲にして,飛躍的に増大し,その結果,国王裁判所の判決例を基礎に,各種の封建裁判所や地域共同体の裁判所がつかさどる法とは異なり全王国に共通の法が漸次作られてきた。…
…主役のヘンリー・フォンダが,ローズとともに製作を担当。父親を刺殺した容疑で起訴された少年にたいする評決をめぐって,ニューヨーク市民の中から任意に選ばれた12人の陪審員が論議をかさね,予備投票による1対11の有罪から12対0の無罪へと評決が逆転する過程を克明に描く。アメリカ民主主義の一つのシンボルである陪審制度をめぐる,〈法廷ドラマcourtroom drama〉のように組み立てられたディスカッションドラマである。…
※「陪審」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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