日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒューズ)」の意味・わかりやすい解説
ヒューズ(Ted Hughes (Edward James Hughes))
ひゅーず
Ted Hughes (Edward James Hughes)
(1930―1998)
イギリスの詩人。ヨークシャー西部の山の町マイズアムロイドに生まれる。父は大工。ケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジの英文学公開奨学金を獲得するが、専攻を数学と考古学に切り替える。1954年卒業後、バラ園の園丁や夜警をして暮らす。1956年アメリカ、ボストン生まれの女性詩人シルビア・プラスと結婚し、一男一女をもうけるが、シルビアは1963年に自殺。シルビアとは生活面で苦労をともにし、作風面でも互いに影響しあった。1970年キャロル・オーチャードCarole Orchardと再婚。1984年桂冠(けいかん)詩人となる。彼の詩は自然をつき動かす力をとらえ、現代民主主義社会の状況のなかで、文明生活の矮小(わいしょう)さを鋭くつく。詩集に『雨の中の鷹(たか)』(1957)、『ルペルカリア祭』(1960)、『ウードゥ(森の人)』(1967)、『烏(からす)』(1970)、『ガウデテー(汝(なんじ)ら喜べ)』(1977)、『エルメットの遺跡』(1979)、『ムアタウン』(1979)、『ムアタウン日誌』(1989)、『狼(おおかみ)の観察』(1989)、『王族公領からの雨よけのお守りと桂冠詩人の詩篇(しへん)』(1992)がある。またシルビアの死後35年目(1998)に、自身と彼女との情念の絡み合いを綴(つづ)った詩集『誕生日の手紙』が出された。詩集のほかに、散文の大著『シェイクスピアと完璧(かんぺき)な存在の女神』(1992)がある。
[羽矢謙一]
『皆見昭訳『クロウ――烏の生活と歌から』(1978・英潮社事業出版)』▽『丸谷才一訳『ネス湖のネッシー大あばれ』(1980・小学館)』▽『片瀬博子訳『テド・ヒューズ詩集』(1982・土曜美術社)』▽『澤崎順之助訳『詩の生まれるとき』(1983・南雲堂)』▽『羽矢謙一訳『パイク』(D・パウナル他編『雨の日の釣師のために(新装版)』所収・1991・TBSブリタニカ)』▽『神宮輝夫訳『アイアン・マン――鉄の巨人』(1996・講談社)』▽『長田弘訳『そらとぶいぬ』(1999・メディアファクトリー)』▽『河野一郎訳『クジラがクジラになった日』(2001・岩波書店)』▽『『世界文学全集35 現代詩集』(1968・集英社)』▽『皆見昭著『詩人の素顔』(1987・研究社出版)』▽『加島祥造訳『倒影集――イギリス現代詩抄』(1993・書肆山田)』▽『熊谷ユリヤ『心理ドラマ』劇場の二重構造 : Ted Hughes Birthday Letters」(『JAPAN POETRY REVIEW』8号所収・2002・日本現代英米詩学会)』
ヒューズ(Henry Stuart Hughes)
ひゅーず
Henry Stuart Hughes
(1916―1999)
アメリカの歴史学者、思想史家。ニューヨークに生まれる。ハーバード大学で学位取得後、第二次世界大戦前にヨーロッパに留学した。戦争中はイタリア、ドイツなどで情報将校として活躍し、戦後は国務省ヨーロッパ研究部門の部長を務めた。1948年ハーバード大学助教授、1955年スタンフォード大学教授、1957年ハーバード大学歴史学教授、1975年カリフォルニア大学サン・ディエゴ校歴史学教授などを歴任した。
ヨーロッパ史、アメリカ史関係の多数の論著があるが、『意識と社会』Consciousness and Society(1958)、『ふさがれた道』The Obstructed Path(1968)、『大変貌(へんぼう)』The Sea Change(1975)という20世紀ヨーロッパ社会思想史研究の三部作が彼の代表作と目される。1890年から1930年に至る社会理論の知的革新の試みを扱った第一作のあと、第二作では1930年以降1960年に至るフランスの社会思想、第三作では同年代の亡命による知的変貌を描いて、現代ヨーロッパ思想史のみごとなパースペクティブの提示に成功した。
[生松敬三 2018年10月19日]
『生松敬三・荒川幾男訳『意識と社会――ヨーロッパ社会思想1890―1930』新装版(1999・みすず書房)』▽『生松敬三・荒川幾男訳『ふさがれた道――失意の時代のフランス社会思想1930―1960』新装版(1999・みすず書房)』▽『生松敬三・荒川幾男訳『大変貌――社会思想の大移動1930―1965』新装版(1999・みすず書房)』
ヒューズ(Langston Hughes)
ひゅーず
Langston Hughes
(1902―1967)
アメリカの黒人詩人、小説家。ミズーリ州出身。コロンビア大学中退後、ホテルのボーイ、水夫など雑多な職を転々としながら詩作を続け、やがてV・リンゼー、カール・バン・ベクテンらの助力もあって詩壇にデビューし、1920年代のいわゆる「ハーレム・ルネサンス」の中心的存在として活躍した。黒人大衆との連帯感のなかで黒人意識の高揚と黒人生活の哀歓を、伝統にとらわれない自由詩型でみごとに歌い上げ、アメリカ黒人が生んだブルースの気分を芸術にまで高めた。詩集は『もの憂いブルース』(1926)以下、軽妙なタッチの『黒人街(ハーレム)のシェークスピア』(1942)、叙情詩集『驚異の野原』(1947)など。ほかに長編小説『笑いなきにあらず』(1930)、短編集、戯曲、2冊の自伝などがある。
[齊藤忠利]
『齊藤忠利訳『驚異の野原』(1977・国文社)』▽『木島始編訳『黒人芸術家の立場』(1977・創樹社)』▽『木島始訳『ラングストン・ヒューズ詩集』(1969・思潮社)』
ヒューズ(電気回路)
ひゅーず
fuse
電気回路に過大電流が流れたとき、自ら溶断して回路を開き(遮断し)、機器を保護するもの。鉛、スズ、ビスマス、カドミウム、銀、銅などを組み合わせた合金で、組成の配合により、融点を70~100℃間の値にもたせることができる。数ボルトから数万ボルトの電気回路に使用され、100~200ボルトあるいはそれ以下の回路には、つめ付きヒューズや筒形ヒューズが多く使用される。それ以上の回路には一般的な限流ヒューズのほか、特別なものとして、真空ヒューズ、放出ヒューズなどが使われることもある。
以上のヒューズはいずれも溶断することで役目を果たすため、動作後は取り替えないと使用できない。これに対し、自己復旧型限流素子(永久ヒューズ)とよばれるものがある。これは金属ナトリウムを可溶体とするもので、過大電流が流れると、可溶体自身の発熱によってガス化し、電気抵抗が高まる。抵抗が高まれば当然電流が制限され、直列に接続されているスイッチまたは小容量の遮断器によって回路は遮断される。遮断後はガス化した可溶体をピストンにより圧縮すると、ふたたび固体化して電気抵抗が小さくなって電流が流れるようになり、再使用できる。
[岡村正巳]
ヒューズ(David Edward Hughes)
ひゅーず
David Edward Hughes
(1831―1900)
イギリスの電気技術者。ロンドンに生まれ、少年のころ両親とともにアメリカに移住した。ケンタッキー州のバーズタウン大学に学び、1850年、同大学の音楽教授になったが、やがて音の伝達・拡大に関心をもち、1854年教授を辞した。1855年、1分間に250~300字が処理できる印刷電信機を発明、これはフランスなどで広く使用された。1878年には炭素棒を二つの炭素塊の間に緩く挟んだ接触抵抗型送話器を発明した。これはエジソンの送話器の性能をもしのぐ「マイクロホン」としてベル電話会社に買い取られ、電話の原型となり、重要な意義をもつものとなった。1877年からロンドンに戻って居住した。
[山崎俊雄]
ヒューズ(Richard Hughes)
ひゅーず
Richard Arthur Warren Hughes
(1900―1976)
イギリスの小説家、詩人、劇作家。ウェールズの名家に生まれ、オックスフォード大学に学び、W・B・イェーツ、T・E・ローレンス、R・R・グレーブズらに出会った。寡作だが天才的な作家。『危険』(1924。邦訳『炭坑の中から』)は最初のラジオ放送劇といわれる。西インド諸島からイギリスへ帰る子供たちが、彼らをとらえた海賊を翻弄(ほんろう)するさまを描いた『ジャマイカの烈風』(1929)は、子供の非情さと体制というものの不条理を暴いて意表をつく古典的名作。二つの世界大戦間にアメリカ、カリブ海を広く旅し、1934年以後ウェールズに定住してジャーナリズムに寄稿した。劇的状況に倫理的主題を盛り込む『大あらし』(1938)ののち、現代史を扱う連作小説『人間の窮状』に取り組んだが、全4巻の予定のうち第2巻(1973)までで未完に終わった。
[小野寺健]
『小野寺健訳『ジャマイカの烈風』(1970・筑摩書房。1977・晶文社)』▽『北山克彦訳『大あらし』(1975・晶文社)』▽『矢川澄子訳『まほうのレンズ』『ジャングル学校』(1979・岩波書店)』
ヒューズ(Charles Evans Hughes)
ひゅーず
Charles Evans Hughes
(1862―1948)
アメリカの法律家、政治家。コロンビア大学で法学士となり(1884)、ニューヨーク市で弁護士を開業。ニューヨーク州立法委員会(アームストロング委員会)顧問(1905~06)として生命保険会社の調査で活躍し、ついで共和党からニューヨーク州知事(1907~10)に当選し、州政治の改革に努めた。アメリカ合衆国最高裁判所判事(1910~16)を経て、1916年共和党候補として大統領選挙に出馬したがウィルソンに敗れた。第一次世界大戦後はハーディング大統領により国務長官(1921~25)に任命され、とくにワシントン会議を主宰して九か国条約を結び(1922)、門戸開放主義を列強に認めさせた。その後ハーグ仲裁裁判所判事(1926~30)、常設国際司法裁判所判事(1928~30)として国際的に活躍を続けた。30年代にはフーバー大統領により合衆国最高裁判所長官(1930~41)に任命されたが、ニューディールに対しては保守的であった。
[高橋 章]
ヒューズ(Howard Robard Hughes)
ひゅーず
Howard Robard Hughes
(1905―1976)
アメリカの実業家、富豪。テキサス州ヒューストンに生まれる。父親の創設したヒューズ・ツール社を引き継ぎ、同社の技術をいかして飛行機を作製、自らパイロットとしてスピード記録に挑戦し、一躍有名になった。一方、映画事業では数々の名作と新人の発掘、著名女優とのロマンスで世の注目を集めた。さらに不動産や航空事業のほか政府関係事業に積極的に投資し、「ヒューズ帝国」とよばれる一大企業組織をつくりあげた。しかし50歳過ぎごろから人嫌いの奇癖が募り、外国のホテルで外界から遮断された生活を送った。このため彼の晩年は謎(なぞ)に包まれた部分が多い。
[小林袈裟治]
『ノア・ディートリッヒ著、広瀬順弘訳『ハワード・ヒューズ 謎の大富豪』(角川文庫)』
ヒューズ(Thomas Hughes)
ひゅーず
Thomas Hughes
(1822―1896)
イギリスの小説家、思想家。バークシャー生まれ。ラグビー校に学び、オックスフォード大学を卒業して、弁護士となる。C・キングズリーらと「キリスト教社会主義」の社会改革運動に走り、代議士となる(1865~74)。現在は、小説『トム・ブラウンの学校時代』(1857)の作者として知られる。続編に『オックスフォード大学のトム・ブラウン』(1861)がある。
[小松原茂雄]