ヒューズ(英語表記)Howard Hughes

デジタル大辞泉 「ヒューズ」の意味・読み・例文・類語

ヒューズ(fuse)

《「フューズ」とも》電気回路に過大な電流が流れたとき、溶けて回路を遮断する配線材料。鉛・すず・銅などの合金で作られる。「ヒューズが飛ぶ」

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精選版 日本国語大辞典 「ヒューズ」の意味・読み・例文・類語

ヒューズ

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] fuse ) 一定値以上の電流が電気回路を流れると、発生する熱で溶け、回路を遮断する器具。また、それに用いる合金。鉛、錫、アンチモン、ビスマス、カドミウムなどが用いられ融点は二二〇~三二〇度程度だが、大電流用にはアルミニウム、銅などが用いられる。〔大増補改版新らしい言葉の字引(1925)〕

ヒューズ

  1. ( David Edward Hughes ディビッド=エドワード━ ) イギリスの電気技術者。音の伝達・拡大を研究、印刷電信機と、電話の原型である炭素棒による接触抵抗型送話器を発明した。(一八三一‐一九〇〇

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改訂新版 世界大百科事典 「ヒューズ」の意味・わかりやすい解説

ヒューズ
Howard Hughes
生没年:1905-76

アメリカの実業家,映画製作者,監督。航空機と女の乳房のマニアックとして知られ,ハリウッドでもっともなぞめいた伝説的人物である。テキサス州ヒューストンに生まれ,カリフォルニア工科大学で学び,18歳のとき父が死亡し,ヒューズ工作機械社を相続して経営の実権を握る。1926年,20歳のときからハリウッドへの投資を始め,ルイス・マイルストン監督《美人国二人行脚》(1927),《犯罪都市》(1931),ハワード・ホークス監督《暗黒街の顔役》(1930)などを製作し,みずからも1年半の歳月と400万ドルを投じた《地獄の天使》(1930)を撮った。空中アクション場面をとり入れた戦争メロドラマの凡作にすぎなかったものの,ジーン・ハーローを〈プラチナ・ブロンドのセックス・アピール〉として売り出し,話題になる。〈ハリウッドのカサノバ〉と呼ばれて次々にハリウッドの女優と浮き名を流すかたわら,会社を航空機製作と電子工学産業の複合体として飛躍発展させ,トランス・ワールド航空(TWA)の創立者の1人となり,また38年にはパイロットとして世界一周早まわり飛行記録をつくって名誉勲章をあたえられるなど,話題の中心人物であった。43年,史上初のエロチックな西部劇《ならず者》を製作,監督し,新人女優ジェーン・ラッセルJane Russell(1921- )を売り出すために特別にあつらえた大胆なデザインのブラジャーと衣装が,映画のプレミア後,ハリウッドの自主検閲の歴史に残る3年に及ぶ紛争を招き,46年にあらためて公開されて,戦後アメリカ男性の〈胸部への執着〉〈乳房狂い〉の一因になったといわれる。48年に,経営難のRKO(アールケーオー)映画の撮影所と劇場チェーンを900万ドルで手にいれて全権を握り,不可解な政策を強行。低コストで良質の作品を世に送ったことで知られる製作部長ドーリ・シャリー以下,会社を支えてきたスタッフを辞任させ,かつてはハリウッドの〈メジャー〉であったRKOを〈不毛地帯〉にし,ジェーン・ラッセルの魅力をさらに〈拡大〉するためにカラー・3D(立体)映画《フランス航路》(1954),シネマスコープ最初の海洋活劇《海底の黄金》(1955)を,さらにもう1人の女優,ジャネット・リーJanet Leigh(1927- )を売り出すためにジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督,ジョン・ウェイン主演による反共映画《ジェット・パイロット》(1950年に完成したが,ヒューズが追加撮影して再編集したため公開は57年になった)などが赤字をかさね,55年にはRKOをゼネラル・テレラジオ社に売却(これによってヒューズは1000万ドルの利益を得たといわれる),映画界とのつながりを絶った。

 ヒューズは,46年,自分で設計した空中撮影偵察飛行機のテスト飛行で重傷を負ってから人が変わって世間から〈自己隔離〉をはじめ,1800万ドルの政府融資を取りつけ,5年の歳月を費やして設計建造した大型木造飛行艇が47年に完成したが使いものにならず,その件で上院の調査委員会に証人として出席したのが公に姿を見せた最後であるといわれる。66年11月から世間との関係をまったく絶ち,病的なまでのプライバシーを保持しながらラスベガス,ロンドン,〈税金回避の地〉バハマ諸島,アカプルコなどの一流ホテルのペントハウスを転々とし,1956年に結婚した女優ジーン・ピータース(1971年に離婚)の前にも姿を見せず,〈幻の経営者〉〈なぞの人物〉としてさまざまな事件やスキャンダルに名まえが登場し,64年に映画化されたハロルド・ロビンズの小説《大いなる野望》をはじめヒューズをモデルにした小説や伝記が多数書かれ,とくに71年,ニューヨークの大手出版社をだました無名の作家夫妻のにせ伝記事件まで起きて話題となった。76年4月,アカプルコからヒューストンへ向かう自家用ジェット機のなかで〈なぞの富豪〉が死亡したとき,アメリカのサイモン財務長官は,病院での遺体解剖と指紋によって〈間違いなく〉ヒューズであることを確認したと伝えられる。財務長官の関心は,20億ドルちかい遺産の処理方法と〈ヒューズ帝国〉の資金操作にあり,72年に起きたウォーターゲート事件の発端は,要所要所に政治献金をばらまいたことでも有名なヒューズのニクソン再選委員会への不法献金が暴露されるのを恐れたことである,とも噂された。
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ヒューズ
Ted Hughes
生没年:1930-98

イギリスの詩人。ヨークシャー地方に生まれ,ケンブリッジ大学卒業後,空軍に2年間入隊。1956年にアメリカの女流詩人シルビア・プラスと結婚,2児をもうけるが,62年別居,翌年彼女は自殺した。詩集《雨の中の鷹》(1957)でデビュー。強烈で異様なイメージによって歌われたその動物世界は,温和な詩風が支配していた当時の詩壇に衝撃を与えた。《ルーパーカス祭》(1960)や《ウォドウォー》(1967)のあと,カラス(クロー)を主人公にして宇宙創造における秩序と混沌のドラマを神話的・幻視的に歌った野心的連作《クロー》(1970)によって,現代イギリス最大の詩人の一人と認められるにいたった。その後も《季節の歌》(1976),《汝ら喜べ》(1977),《洞窟の鳥》(1978)などの力作詩集を発表。演出家ピーター・ブルックのために《セネカのオイディプス》(1968初演),《オルガスト》(1971初演)などの劇作品を書いたり,子どものために絵本《ネス湖のネッシー大あばれ》(1964)を出版するなど,精力的に活動している。84年桂冠詩人に任命された。
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ヒューズ
fuse

規定値以上の過大な電流が流れると溶断して電流を自動的に遮断する装置。電気機器,電子通信機器,配線などを過電流から保護するために用いられる。従来,屋内配線や低圧機器の保護に用いられていたので家庭で取り扱うことも多かったが,最近はブレーカー(配線用遮断器)が使用されるようになったのでこのような機会は減った。

 ヒューズの材料としては鉛とスズの合金で代表される低融点金属材料と,タングステンのような高融点金属材料の両者が用いられている。低融点の合金としてセルロー(Sn,Bi,Pb,Cd,In),ウッドメタル(Sn,Bi,Pb,Cd)などがある。

 ヒューズの種類は多く,糸状の糸ヒューズ,板状の板ヒューズ,両端に端子をつけたつめ付きヒューズなどがふつう用いられるが,大電流としては銀などを絶縁筒内に納めた筒形ヒューズ,可溶体のまわりに石英粒などの消弧剤を充てんし,電流が上昇しようとすると速やかに溶断して生じたアーク放電の電圧降下によって過電流の上昇を制限する限流ヒューズなどがある。タングステンは融点は高いが精密な加工ができるので,細いタングステン線をガラス円筒に納めたものがミリアンペア程度の微小電流用に用いられる。
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ヒューズ
William Hughes
生没年:1864-1952

オーストラリアの政治家。ロンドン生れ。1884年オーストラリアに移住し,90年の海員スト後,仲仕組合の委員長,1901年労働党の連邦議会議員となった。15年首相となり(在職1915-23),労働党内閣を前任者フィッシャーから引き継いだ。第1次大戦では直接戦場を視察し,リトル・ディッガーLittle Digger(ちびのオーストラリア兵)と愛称された。極端な愛国主義から徴兵制を実現しようと16年,17年の2度にわたり国民投票を行ったが,労働党内の反対もあって敗れた。そこで彼は1回目の国民投票の直後,党を割って国民党を結成した。ベルサイユ講和会議では賠償問題委員会副委員長となり,ドイツ領ニューギニアを自国の委任統治領として獲得した。また日本代表牧野伸顕と白豪主義問題で渡り合った。さらに国際連盟憲章への人種平等条項挿入に反対し,これを葬り去った。
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ヒューズ
James Langston Hughes
生没年:1902-67

アメリカの黒人詩人,小説家。ミズーリ州出身。その生涯の大部分をニューヨークの黒人居住区ハーレムで過ごした。1920年代の〈ニグロ・ルネサンス〉期に登場して以来,17冊に及ぶ詩集をはじめ,劇作30,短編小説集3,長編小説6,自伝2等々,旺盛な活動を示した。彼の芸術の特質は,ブルースや黒人霊歌などの民俗遺産の本質を,洗練されたモダニスティックな言葉の駆使のなかへ昇華していることであり,民衆の詩人たることが彼の作風の基本であり,またその現実の生き方でもあった。詩《ものういブルース》(1926),短編集《白人たちの流儀》(1934),自伝《大いなる海》(1940)をはじめ彼の作品の大半は十数ヵ国語に翻訳されている。長編小説《笑いなきにあらず》(1930)は20年代黒人文学のある種の決算としての意味をもつ作品である。
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ヒューズ
Charles Evans Hughes
生没年:1862-1948

アメリカの政治家,法律家。ニューヨーク出身。弁護士として保険会社の不正調査で名をあげ,1906年共和党からニューヨーク州知事に当選,2期4年間在任。10年,連邦最高裁判所判事に就任。16年,共和党の大統領候補に指名され,最高裁判所を辞して選挙戦に出馬したが,民主党の現職候補ウィルソンに僅差で敗れた。21年,共和党の政権復帰とともに国務長官となり,ハーディング,クーリッジ両大統領の下で25年まで在任した。国務長官としては,ワシントン海軍軍縮会議(1921-22)の成功に指導的役割を果たした。30年に連邦最高裁判所首席判事となり41年まで在任した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒューズ」の意味・わかりやすい解説

ヒューズ(Ted Hughes (Edward James Hughes))
ひゅーず
Ted Hughes (Edward James Hughes)
(1930―1998)

イギリスの詩人。ヨークシャー西部の山の町マイズアムロイドに生まれる。父は大工。ケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジの英文学公開奨学金を獲得するが、専攻を数学と考古学に切り替える。1954年卒業後、バラ園の園丁や夜警をして暮らす。1956年アメリカ、ボストン生まれの女性詩人シルビア・プラスと結婚し、一男一女をもうけるが、シルビアは1963年に自殺。シルビアとは生活面で苦労をともにし、作風面でも互いに影響しあった。1970年キャロル・オーチャードCarole Orchardと再婚。1984年桂冠(けいかん)詩人となる。彼の詩は自然をつき動かす力をとらえ、現代民主主義社会の状況のなかで、文明生活の矮小(わいしょう)さを鋭くつく。詩集に『雨の中の鷹(たか)』(1957)、『ルペルカリア祭』(1960)、『ウードゥ(森の人)』(1967)、『烏(からす)』(1970)、『ガウデテー(汝(なんじ)ら喜べ)』(1977)、『エルメットの遺跡』(1979)、『ムアタウン』(1979)、『ムアタウン日誌』(1989)、『狼(おおかみ)の観察』(1989)、『王族公領からの雨よけのお守りと桂冠詩人の詩篇(しへん)』(1992)がある。またシルビアの死後35年目(1998)に、自身と彼女との情念の絡み合いを綴(つづ)った詩集『誕生日の手紙』が出された。詩集のほかに、散文の大著『シェイクスピアと完璧(かんぺき)な存在の女神』(1992)がある。

[羽矢謙一]

『皆見昭訳『クロウ――烏の生活と歌から』(1978・英潮社事業出版)』『丸谷才一訳『ネス湖のネッシー大あばれ』(1980・小学館)』『片瀬博子訳『テド・ヒューズ詩集』(1982・土曜美術社)』『澤崎順之助訳『詩の生まれるとき』(1983・南雲堂)』『羽矢謙一訳『パイク』(D・パウナル他編『雨の日の釣師のために(新装版)』所収・1991・TBSブリタニカ)』『神宮輝夫訳『アイアン・マン――鉄の巨人』(1996・講談社)』『長田弘訳『そらとぶいぬ』(1999・メディアファクトリー)』『河野一郎訳『クジラがクジラになった日』(2001・岩波書店)』『『世界文学全集35 現代詩集』(1968・集英社)』『皆見昭著『詩人の素顔』(1987・研究社出版)』『加島祥造訳『倒影集――イギリス現代詩抄』(1993・書肆山田)』『熊谷ユリヤ『心理ドラマ』劇場の二重構造 : Ted Hughes Birthday Letters」(『JAPAN POETRY REVIEW』8号所収・2002・日本現代英米詩学会)』


ヒューズ(Henry Stuart Hughes)
ひゅーず
Henry Stuart Hughes
(1916―1999)

アメリカの歴史学者、思想史家。ニューヨークに生まれる。ハーバード大学で学位取得後、第二次世界大戦前にヨーロッパに留学した。戦争中はイタリア、ドイツなどで情報将校として活躍し、戦後は国務省ヨーロッパ研究部門の部長を務めた。1948年ハーバード大学助教授、1955年スタンフォード大学教授、1957年ハーバード大学歴史学教授、1975年カリフォルニア大学サン・ディエゴ校歴史学教授などを歴任した。

 ヨーロッパ史、アメリカ史関係の多数の論著があるが、『意識と社会』Consciousness and Society(1958)、『ふさがれた道』The Obstructed Path(1968)、『大変貌(へんぼう)』The Sea Change(1975)という20世紀ヨーロッパ社会思想史研究の三部作が彼の代表作と目される。1890年から1930年に至る社会理論の知的革新の試みを扱った第一作のあと、第二作では1930年以降1960年に至るフランスの社会思想、第三作では同年代の亡命による知的変貌を描いて、現代ヨーロッパ思想史のみごとなパースペクティブの提示に成功した。

[生松敬三 2018年10月19日]

『生松敬三・荒川幾男訳『意識と社会――ヨーロッパ社会思想1890―1930』新装版(1999・みすず書房)』『生松敬三・荒川幾男訳『ふさがれた道――失意の時代のフランス社会思想1930―1960』新装版(1999・みすず書房)』『生松敬三・荒川幾男訳『大変貌――社会思想の大移動1930―1965』新装版(1999・みすず書房)』


ヒューズ(Langston Hughes)
ひゅーず
Langston Hughes
(1902―1967)

アメリカの黒人詩人、小説家。ミズーリ州出身。コロンビア大学中退後、ホテルのボーイ、水夫など雑多な職を転々としながら詩作を続け、やがてV・リンゼー、カール・バン・ベクテンらの助力もあって詩壇にデビューし、1920年代のいわゆる「ハーレム・ルネサンス」の中心的存在として活躍した。黒人大衆との連帯感のなかで黒人意識の高揚と黒人生活の哀歓を、伝統にとらわれない自由詩型でみごとに歌い上げ、アメリカ黒人が生んだブルースの気分を芸術にまで高めた。詩集は『もの憂いブルース』(1926)以下、軽妙なタッチの『黒人街(ハーレム)のシェークスピア』(1942)、叙情詩集『驚異の野原』(1947)など。ほかに長編小説『笑いなきにあらず』(1930)、短編集、戯曲、2冊の自伝などがある。

[齊藤忠利]

『齊藤忠利訳『驚異の野原』(1977・国文社)』『木島始編訳『黒人芸術家の立場』(1977・創樹社)』『木島始訳『ラングストン・ヒューズ詩集』(1969・思潮社)』


ヒューズ(電気回路)
ひゅーず
fuse

電気回路に過大電流が流れたとき、自ら溶断して回路を開き(遮断し)、機器を保護するもの。鉛、スズ、ビスマス、カドミウム、銀、銅などを組み合わせた合金で、組成の配合により、融点を70~100℃間の値にもたせることができる。数ボルトから数万ボルトの電気回路に使用され、100~200ボルトあるいはそれ以下の回路には、つめ付きヒューズや筒形ヒューズが多く使用される。それ以上の回路には一般的な限流ヒューズのほか、特別なものとして、真空ヒューズ、放出ヒューズなどが使われることもある。

 以上のヒューズはいずれも溶断することで役目を果たすため、動作後は取り替えないと使用できない。これに対し、自己復旧型限流素子(永久ヒューズ)とよばれるものがある。これは金属ナトリウムを可溶体とするもので、過大電流が流れると、可溶体自身の発熱によってガス化し、電気抵抗が高まる。抵抗が高まれば当然電流が制限され、直列に接続されているスイッチまたは小容量の遮断器によって回路は遮断される。遮断後はガス化した可溶体をピストンにより圧縮すると、ふたたび固体化して電気抵抗が小さくなって電流が流れるようになり、再使用できる。

[岡村正巳]


ヒューズ(David Edward Hughes)
ひゅーず
David Edward Hughes
(1831―1900)

イギリスの電気技術者。ロンドンに生まれ、少年のころ両親とともにアメリカに移住した。ケンタッキー州のバーズタウン大学に学び、1850年、同大学の音楽教授になったが、やがて音の伝達・拡大に関心をもち、1854年教授を辞した。1855年、1分間に250~300字が処理できる印刷電信機を発明、これはフランスなどで広く使用された。1878年には炭素棒を二つの炭素塊の間に緩く挟んだ接触抵抗型送話器を発明した。これはエジソンの送話器の性能をもしのぐ「マイクロホン」としてベル電話会社に買い取られ、電話の原型となり、重要な意義をもつものとなった。1877年からロンドンに戻って居住した。

[山崎俊雄]


ヒューズ(Richard Hughes)
ひゅーず
Richard Arthur Warren Hughes
(1900―1976)

イギリスの小説家、詩人、劇作家。ウェールズの名家に生まれ、オックスフォード大学に学び、W・B・イェーツ、T・E・ローレンス、R・R・グレーブズらに出会った。寡作だが天才的な作家。『危険』(1924。邦訳『炭坑の中から』)は最初のラジオ放送劇といわれる。西インド諸島からイギリスへ帰る子供たちが、彼らをとらえた海賊を翻弄(ほんろう)するさまを描いた『ジャマイカの烈風』(1929)は、子供の非情さと体制というものの不条理を暴いて意表をつく古典的名作。二つの世界大戦間にアメリカ、カリブ海を広く旅し、1934年以後ウェールズに定住してジャーナリズムに寄稿した。劇的状況に倫理的主題を盛り込む『大あらし』(1938)ののち、現代史を扱う連作小説『人間の窮状』に取り組んだが、全4巻の予定のうち第2巻(1973)までで未完に終わった。

[小野寺健]

『小野寺健訳『ジャマイカの烈風』(1970・筑摩書房。1977・晶文社)』『北山克彦訳『大あらし』(1975・晶文社)』『矢川澄子訳『まほうのレンズ』『ジャングル学校』(1979・岩波書店)』


ヒューズ(Charles Evans Hughes)
ひゅーず
Charles Evans Hughes
(1862―1948)

アメリカの法律家、政治家。コロンビア大学で法学士となり(1884)、ニューヨーク市で弁護士を開業。ニューヨーク州立法委員会(アームストロング委員会)顧問(1905~06)として生命保険会社の調査で活躍し、ついで共和党からニューヨーク州知事(1907~10)に当選し、州政治の改革に努めた。アメリカ合衆国最高裁判所判事(1910~16)を経て、1916年共和党候補として大統領選挙に出馬したがウィルソンに敗れた。第一次世界大戦後はハーディング大統領により国務長官(1921~25)に任命され、とくにワシントン会議を主宰して九か国条約を結び(1922)、門戸開放主義を列強に認めさせた。その後ハーグ仲裁裁判所判事(1926~30)、常設国際司法裁判所判事(1928~30)として国際的に活躍を続けた。30年代にはフーバー大統領により合衆国最高裁判所長官(1930~41)に任命されたが、ニューディールに対しては保守的であった。

[高橋 章]


ヒューズ(Howard Robard Hughes)
ひゅーず
Howard Robard Hughes
(1905―1976)

アメリカの実業家、富豪。テキサス州ヒューストンに生まれる。父親の創設したヒューズ・ツール社を引き継ぎ、同社の技術をいかして飛行機を作製、自らパイロットとしてスピード記録に挑戦し、一躍有名になった。一方、映画事業では数々の名作と新人の発掘、著名女優とのロマンスで世の注目を集めた。さらに不動産や航空事業のほか政府関係事業に積極的に投資し、「ヒューズ帝国」とよばれる一大企業組織をつくりあげた。しかし50歳過ぎごろから人嫌いの奇癖が募り、外国のホテルで外界から遮断された生活を送った。このため彼の晩年は謎(なぞ)に包まれた部分が多い。

[小林袈裟治]

『ノア・ディートリッヒ著、広瀬順弘訳『ハワード・ヒューズ 謎の大富豪』(角川文庫)』


ヒューズ(Thomas Hughes)
ひゅーず
Thomas Hughes
(1822―1896)

イギリスの小説家、思想家。バークシャー生まれ。ラグビー校に学び、オックスフォード大学を卒業して、弁護士となる。C・キングズリーらと「キリスト教社会主義」の社会改革運動に走り、代議士となる(1865~74)。現在は、小説『トム・ブラウンの学校時代』(1857)の作者として知られる。続編に『オックスフォード大学のトム・ブラウン』(1861)がある。

[小松原茂雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヒューズ」の意味・わかりやすい解説

ヒューズ
Hughes, (James Mercer) Langston

[生]1902.2.1. ミズーリ,ジョプリン
[没]1967.5.22. ニューヨーク
アメリカの黒人詩人,小説家。 1922年コロンビア大学中退後,アフリカ,ヨーロッパを放浪,25年『オポチュニティ』誌のコンテストで詩部門第1席に入選,詩人 V.リンゼーに認められ,処女詩集『悲しいブルース』 The Weary Blues (1926) ,第2詩集『ユダヤ人の晴れ着』 Fine Clothes to the Jew (27) を発表,ブルースや民謡を巧みに用いる詩風によって 20年代の「ハーレム・ルネサンス」の重要なにない手となった。第2次世界大戦後は,黒人新聞『シカゴ・ディフェンダー』のコラムを担当して一連の「ジェス・B.シンプル物語」を発表。おもな作品に,詩集『片道切符』 One-Way Ticket (49) ,『ママにお聞き』 Ask Your Mama (61) ,小説『笑いなきにあらず』 Not Without Laughter (30) ,短編集『シンプル胸中を語る』 Simple Speaks His Mind (50) ,自伝『大洋』 The Big Sea (40) 。

ヒューズ
Hughes, Ted

[生]1930.8.17. イギリス,ヨークシャー,マイザムロイド
[没]1998.10.28. イギリス,デボン
イギリスの詩人。本名 Edward James Hughes。ケンブリッジ大学に学び,人類学に興味をもつ。 1956年アメリカの詩人 S.プラース (1963自殺) と結婚,相互に影響を与え合った。 57年処女詩集『雨中の鷹』 The Hawk in the Rainを出版,一切の感傷を排して動物的な力を荒々しくうたい上げ,詩壇に衝撃を与えた。『スケープゴートと狂犬病』 Scapegoats and Rabies (67) ,『ウォドウォー』 Wodwo (67) ,『烏』 Crow (70) などの詩集のほか,児童向けの詩,戯曲 (P.ブルックと協力) がある。 84年桂冠詩人となった。

ヒューズ
Hughes, Charles Evans

[生]1862.4.11. アメリカ,ニューヨーク,グレンズフォールズ
[没]1948.8.27. アメリカ,マサチューセッツ,オスタービル
アメリカの法律家,政治家。マディソン大学,ブラウン大学などで学んだ。 1891~93年コーネル大学教授を経て,1905~06年ニューヨーク州立法委員会の弁護士。 06~10年ニューヨーク州知事。 10年連邦最高裁判所判事となり,特に市民権の分野で活躍。 16年大統領選挙に共和党から立候補したが W.ウィルソンに惜敗。 21~25年 W.ハーディング,C.クーリッジ各大統領の国務長官。 21~22年ワシントン会議の議長として活躍,10年間の海軍休戦を提案し,四ヵ国条約,九ヵ国条約などの締結にあたった。 29年常設国際司法裁判所判事,30年連邦最高裁判所長官となり,ニューディール政策実施に伴う行政部と司法部の対立の調整に貢献した。

ヒューズ
Hughes, Thomas

[生]1822.10.20. バークシャー,アフィントン
[没]1896.3.22. ブライトン
イギリスの小説家,思想家。 T.アーノルドが校長をしていたラグビー校を経てオックスフォード大学に学ぶ。 F.D.モーリスとともにキリスト教社会主義運動に参加し,労働者学校の設立に尽力,1872~83年にはその校長をつとめた。のち地方裁判所判事。自身の体験に基づく『トム・ブラウンの学校時代』 Tom Brown's School Days (1857) は,伝統的パブリック・スクールの生活を鮮かに描いた古典的学園小説。続編『オックスフォードのトム・ブラウン』 Tom Brown at Oxford (61) のほか,社会運動の論文などがある。

ヒューズ
Hughes, William Morris

[生]1864.9.25. ロンドン
[没]1952.10.28. ニューサウスウェールズ,シドニー
イギリス生れのオーストラリアの政治家。ウェストミンスターで教育を受けたのち,1884年にオーストラリアに移住。その後労働運動に入り,1901年労働党下院議員。 08~15年法務長官をつとめた。 15年首相となり,第1次世界大戦下および大戦直後のオーストラリアを指導した。 16年徴兵制実施で労働党多数派と分れ,国民党に加わり,党首となった。 23年首相を辞したのちも長く下院議員をつとめた。

ヒューズ
Hughes, Richard (Arthur Warren)

[生]1900.4.19. サリー,ウェイブリッジ
[没]1976.4.28. ウェールズ
イギリスの詩人,小説家,劇作家。オックスフォード大学卒業。アメリカ,カナダ,西インド諸島を旅行し,多くの小説を書いた。海賊に捕えられた少年たちを描く『ジャマイカの烈風』A High Wind in Jamaica (1929) が出世作。『屋根裏の狐』 Fox in the Attic (61) 以下の連作小説「人間の苦境」 The Human Predicamentがある。

ヒューズ
Hewes, Joseph

[生]1730.1.23. ニュージャージー,キングストン
[没]1779.11.10. フィラデルフィア
アメリカ独立革命期の政治家。独立宣言署名者の一人。ノースカロライナに移住し,同植民地議会議員,1774~77年に大陸会議代表となる。 79年に再選されたがまもなく死亡。海軍の創設に貢献した。

ヒューズ
Hughes, David Edward

[生]1831.5.16. ロンドン
[没]1900.1.22. ロンドン
イギリス生れのアメリカの発明家。7歳のときに両親とともにアメリカに移住した。 1850年ケンタッキー州のセントジョーゼフ・カレッジの音楽教授。 56年同期式の印刷電信機を実用化し,欧米で広く使用された。 78年マイクロホンを発明し,電話器の発展に大きな役割を果した。

ヒューズ
fuse

電気回路に入れる器具で,回路に異常電流が流れると,ジュール熱により溶けて切れ,装置や回路の損傷を防ぐようにした安全装置。鉛やアルミニウム,亜鉛など融点の低い金属を線状または帯状としたものを材料とする。

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百科事典マイペディア 「ヒューズ」の意味・わかりやすい解説

ヒューズ

英国の詩人。詩集《雨中の鷹》(1957年),《ルーパーカス祭》(1960年)では動植物界の暴力的・根源的な生命力をうたい,自然詩人としての評価を確立。原始的混沌と創造の神話を描き,《ウッドウォー》(1967年),《クロウ》(1970年),《ゴーディーティ》(1977年),《ムーアタウン》(1979年)などを発表。他に詩論《詩の生まれるとき》(1967年)や子供のための詩集もある。1956年S.プラスと結婚,1984年桂冠詩人に任命された。

ヒューズ

電気回路の簡易な安全装置で,熱によって溶けやすい金属を回路に入れ,規定値以上の過大な電流が流れたとき溶断して,自動的に回路を遮断(しゃだん)するもの。ヒューズ材料は,使用回路に応じて各種金属の単体,合金が用いられるが,屋内配線用には易融合金を多用。一般に定格の2倍以下程度で溶断されるものを使う。家庭用屋内配線では最近はブレーカーが多用されるようになった。

ヒューズ

米国の法律家,政治家。ニューヨーク州知事,米国最高裁判事を経て1916年の共和党大統領候補となるが,W.ウィルソンに敗れる。ハーディング政権の国務長官(1921年―1925年)としてワシントン会議で国際軍縮の実現に努力した。のち国際司法裁判所判事,米国最高裁長官。AAANIRAに違憲判決を下した。

ヒューズ

英国の物理学者,電気技術者。幼時両親とともに1838年米国に渡り,1850年−1854年ケンタッキーのバーズタウン大学で教職に就いた後,1879年ロンドンへ帰り,ロイヤル・ソサエティ会員,王立科学研究所副会長。主な発明は,1855年の印刷電信機,1878年−1879年の炭素マイクロホンとインダクションバランスなど。のちに電気に関する発明研究で優れた業績をあげた人物に与える〈ヒューズ賞〉が設定された。

ヒューズ

米国のアフリカ系詩人。大学中退後,雑多な職業に従事しつつ,1920年代の黒人文学復興(〈ニグロ・ルネサンス〉)の波の中で,ジャズやブルース,黒人霊歌などのリズムを生かした詩を書く。詩集《ものういブルース》(1926年),《ハーレムのシェークスピア》(1942年),小説《笑いなきにあらず》,短編集《白人たちの流儀》など。
→関連項目ハーレム

ヒューズ

英国の小説家,弁護士。キリスト教社会主義運動に従事,米国に理想社会コロニーの建設を企てたりした。代表作は,名門ラグビー校の生活を描いた《トム・ブラウンの学校時代》(1857年)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヒューズ」の解説

ヒューズ
Charles Evans Hughes

1862~1948

アメリカの政治家。共和党の有力者。第一次世界大戦後ハーディング政権の国務長官(在任1921~25)となり,1921~22年ワシントン会議を主宰して海軍軍縮条約の締結などで活躍,28年国際司法裁判所判事,30年連邦最高裁長官に就任。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のヒューズの言及

【RKO映画[会社]】より

…40年代に迎えた財政的危機はバル・ルートン製作の《キャット・ピープル》(1942),《死体を売る男》(1945),《恐怖の精神病院》(1946)など,この会社の売物の一つである低額予算の〈心理的スリラー〉あるいは恐怖映画と,ヒッチコックの《汚名》(1946)などの成功によって救われた。しかし,48年にハワード・ヒューズが支配権を握ったことが混乱を招き,この後MGMに移って才腕を振るう製作部長ドーリ・シャリーをはじめ,多くの人材が去って製作が停滞。その間にハリウッドの〈赤狩り〉によって,作曲家のハンス・アイスラーら進歩的映画人も次々に去った。…

【屋内配線】より

…過負荷,短絡(ショート)の過電流による過熱で火災などを起こしたりすることを防ぐため,必要な個所に過電流遮断器を設ける。過電流遮断器は,昔はヒューズが主であったが,今日では配線用遮断器(ブレーカー,安全ブレーカーともいう)がふつうである。絶縁低下による漏電により火災や感電が生ずることを防ぐために,水気のある場所などの電気設備の露出された金属部分などには接地(アース)を施し,漏電遮断器を施設する。…

※「ヒューズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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