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アフガン戦争

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

アフガン戦争

01年9月の米同時多発テロへの報復として米国は同年10月、首謀者とみなす国際テロ組織アルカイダオサマ・ビンラディン容疑者をかくまうアフガニスタンタリバーン政権を攻撃した。約2カ月で同政権は崩壊。04年10月には大統領選挙が実施され、カルザイ大統領が就任したが、国軍や警察などの治安機構の確立が遅れている。北大西洋条約機構(NATO)主体の国際治安支援部隊(ISAF)が全土に展開しているが、治安は再び悪化している。

(2007-01-03 朝日新聞 朝刊 1外報)

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デジタル大辞泉の解説

アフガン‐せんそう〔‐センサウ〕【アフガン戦争】

英国とアフガニスタンとの、1838年から1919年にかけての3回にわたる戦争。19年、ラワルピンディ条約でアフガニスタンの独立が承認された。

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百科事典マイペディアの解説

アフガン戦争【アフガンせんそう】

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アフガン戦争
アフガンせんそう
Afghan Wars

3次にわたるアフガニスタンとイギリスの戦争。第1次 (1838~42) は,1818年ドゥラーニー朝に代って勢力を得たバーラクザーイー朝ドースト・ムハンマドに対して,ドゥラーニー朝シャー・シュジャーをあと押しするイギリスがイラン軍のヘラート攻撃を退けてアフガニスタンをその保護下におこうとして起した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アフガン戦争
あふがんせんそう

インドを支配するイギリスとアフガニスタンとの一連の戦争。19世紀に入ってアフガニスタンは、中央アジアからのロシアの南下とイギリスのインド防衛の接点となり、3次にわたるアフガン戦争はいずれもイギリスの干渉で起こった。[加賀谷寛]

第一次

1838年から1842年までにわたった戦争。この直前の1837年、ロシア人に指揮されたイラン軍がヘラートを包囲し、イギリス人将校がこの防衛にあたっていた。イギリスはこのロシアの進出に危機感を抱き、カブールで権力を握っていたドースト・ムハンマドを退けて、親英的なシュジャー・ウル・ムルクを王位につけようと干渉に踏み切った。1838年2月、進入したイギリス軍はカンダハールを落とし、カブールに進んだ。ドースト・ムハンマド王は逃げ、1839年8月シュジャー・ウル・ムルクが王位についた。しかし、カブールでは反英の反乱が起き、1842年1月イギリス軍はカブールから東方への撤退を決定した。1万余のイギリスならびにインド人兵隊は撤退の際に殲滅(せんめつ)された。ジャララバード、カンダハールを保持していたイギリス軍は、カブールを懲罰的に再占領したが、引き揚げざるをえず、1843年イギリスは、抑留していたドースト・ムハンマドをインドから送ってふたたび統治させた。[加賀谷寛]

第二次

1878年から1880年までにわたった戦争。ドースト・ムハンマド王の第3子シェール・アリー王が、イギリスによる王朝の内紛の調停とイランとの紛争に対する仲介に不満を抱いてロシアに接近した。これに対し、イギリス軍がカブールを占領、シェール・アリー王はロシアに援助を求めて逃亡した。シェール・アリー王の死後、その子ヤークーブが1879年王を宣し、イギリスと講和(ガンダマク協定)した。アフガニスタンはこの講和により、インドに領土を割譲し、イギリス使節駐在を認めた。しかし、数か月後、カブールで反英蜂起(ほうき)が起こり、使節団が皆殺しにされ、ここに戦争が再開された。イギリスはカブールを奪回したがマイワンドで撃破されて、1880年ドースト・ムハンマドの孫アブドゥル・ラフマーンを、外交権をイギリスに譲ること、侵略に対しては援助することを条件に王位につけて撤退した。1901年アブドゥル・ラフマーンの死後即位した子のハビーブッラーは、1915年、父がイギリスと取り決めた条約を批准したので、アフガニスタンはイギリスの保護国となった。[加賀谷寛]

第三次

1919年2月、軍部を握ったハビーブッラーの第3子アマーヌッラー・ハーンが即位し、イギリスに敵対して独立を求めたが、空襲を受けて休戦を申し入れ、同年8月ラワルピンディ条約を結んだ。ここに独立が正式に承認された。[加賀谷寛]

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世界大百科事典内のアフガン戦争の言及

【イギリス・アフガニスタン戦争】より

…イギリスとアフガニスタンの3回にわたる戦争(1838‐42,1878‐80,1919)。アフガン戦争とも呼ばれる。インドの支配者たるイギリスは,中央アジアを征服しつつ南下するロシアの勢力を,インドに対する脅威とみなした。…

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