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1907年8月成立したイギリスとロシアの間の協約。ペルシア,アフガニスタン,チベットに関する三つの協定からなる。ペルシアについては英露の勢力範囲を画定し,アフガニスタンはイギリスの勢力範囲内にあるものと認められ,チベットについては内政不干渉が約された。これは英仏協商と同様に植民地,従属国の犠牲による大国の妥協であって,イギリスとロシアの広範な地域における対立を終わらせたものであった。これによって三国協商が成立して,三国同盟との対抗関係が明確に形成され,第一次世界大戦の原因となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…1891‐94年にかけて成立した露仏同盟,1904年の英仏協商,07年の英露協商により生じたイギリス,ロシア,フランス3国間の友好関係の総称。三国協商についての特定の規約はない。…
…このためイギリスはむしろドイツとの同盟の締結を期待し,98年,99年,1901年の3回にわたり交渉したが,ドイツ側がもっと有利な条件で締結できるときを待つという態度をとったために英独同盟は成立せず,そこでイギリスはフランスへの接近に政策を転換し,04年4月8日に英仏協商を締結した。ついで05年の日露戦争終結とともにこれまでの英露対立も解消すると,イギリスは07年8月31日に英露協商を締結することができた。これは第1次大戦前史における三国協商体制の成立を意味する画期的な出来事であるが,さらに巨視的に展望すると,ドイツの急激な膨張により,かえってクリミア戦争以来の長年にわたる英露両超大国の対立が解消したことを示す,国際関係史上の一大変動であった。…
…この結果1904年チベット側とチベット・インド条約を結び,チベットをその勢力範囲に組み込んだ。07年の英露協商成立によって,イギリスのチベットでの地位は幾分後退するものの,この条約締結以降イギリスはチベット問題に強い影響力をもつこととなった。【中見 立夫】。…
※「英露協商」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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