アルタ(英語表記)Árta

デジタル大辞泉 「アルタ」の意味・読み・例文・類語

アルタ(Alta)

ノルウェー北部、アルタフィヨルドの湾奥にある町。紀元前4200年から紀元前500年頃に描かれた岩絵群があり、1985年に「アルタのロックアート」の名称で世界遺産文化遺産)に登録された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルタ」の意味・わかりやすい解説

アルタ
Árta

古代名アンブラキア Ambrakia。ギリシア西部,イピロス (古代名エピルス) 地方の都市。アンブラキコス湾北岸の平野にあり,アラフソス川にのぞむ。前 650~625年頃コリントの植民市として建設された。前 294年からエピルス王国の首都となったが,前 189年ローマ人により攻略された。前 31年オクタウィアヌス (アウグスツス) がアクチウムの戦勝を記念して南西約 20kmの地に新市ニコポリス・アクチアを建設し,住民を移住させたので,アンブラキアは衰退。 11世紀ニコポリス・アクチアがブルガル人により破壊されてのち,アンブラキアの跡にアルタの名で新しい集落が形成され,この地方の中心都市に発展した。 15世紀なかば以降トルコ領となったが,16~17世紀にはギリシア文芸が繁栄。バルカン戦争 (1912~13) 後ギリシア領。現在オレンジ,レモン,シトロンなどを栽培する肥沃な農業地帯の中心地で,家畜酒類,タバコ,果実などの集散が行われるほか,織物 (毛,綿) ,刺繍製品などを産する。市内外にはビザンチン時代の要塞跡,13~14世紀の聖堂修道院などが保存されている。人口2万 451 (1991推計) 。

アルタ
Alta

ノルウェー最北部,フィンマルク県の町。この町の近郊ヒェンメルフトでは,1973年に多数の岩石画群が発見された。岩石画群は,アルタフィヨルドの湾に面した斜面,幅およそ 5kmにわたる区域の 45ヵ所に点在し,花崗岩の表面に人間トナカイ,クマ,クジラ,魚などの輪郭線が彫られ,顔料も塗られている。 6000年以上前,最後の氷河期が終わり,陸地が上昇するにつれて新しく現れた岩肌に順次描かれたものとみられ,最上部の絵と最下部の絵の間は 18mも離れている。海に面した場所に描いたのは,そこが神々と人間の交流の場と考えられたためと推測されるが,極北の地に人間がいた事実と合わせて謎とされている。 1985年世界遺産の文化遺産に登録。

アルタ
artha

サンスクリット語で,実利意味する。古代よりインドで,ダルマ (法) ,カーマ (性愛) とともに,人生の三大目的の一つとされている。ほかに,もの,意味,内容,主題,目的などという意義をも有する。

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改訂新版 世界大百科事典 「アルタ」の意味・わかりやすい解説

アルタ
Árta

ギリシア西部エピロス地方の町。人口1万8000(1981)。アンブラキア湾(古称アクティウム湾)の北に位置し,古代にはアンブラキアAmbraciaと呼ばれた。前7世紀にコリント人が開いた町で,古代の遺跡は神殿跡がわずかに残るばかりだが,中世の城砦,教会などは見るに値し,13世紀に造られたパラゴリッツァ教会はキリスト教の遺物を収めた博物館となっている。近くに,ある石工が妻を人柱として建造したという伝説が歌として広く知られた〈アルタの橋〉がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルタ」の意味・わかりやすい解説

アルタ
あるた
Arta

ギリシア北西部、エピロス地方南部にあるアルタ県の県都。アラクトスArakhthos川の河口より13キロメートル、古代のアムブラキアAmbrakiaとほぼ同位置にある。人口1万7000(2003推計)。中世にはアカルナニアAkarnaniaともよばれた。13世紀にエピロス主教座が置かれた。そのころに建てられた豪華な教会が今日も残っている。1430年からのオスマン帝国の支配を経て、1881年ギリシア領となる。農産物、軽工業製品の集散地。市街にはアクロポリスを中心に古代の遺跡がある。

 アルタ県はアラクトス川下流域を占める農業地帯で、面積1613平方キロメートル、人口7万8500(2003推計)である。

[真下とも子]

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百科事典マイペディア 「アルタ」の意味・わかりやすい解説

アルタ

ノルウェー北部,北極圏に近い小さな町。1973年,先史時代の岩石画が3000点以上も発見されて話題を呼んだ。岩石画は海面から約8−27mの高さのところにあり,前4200年−前500年のものと推定される。岩を削った太い線で人間,トナカイ,クマ,シカ,鳥などが描かれており,狩りをしている図や長い髪の人などの絵もある。先史時代の極北の人々の生活と環境を知る貴重な資料。この岩石画は1985年,世界文化遺産に登録。

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世界大百科事典(旧版)内のアルタの言及

【カーマスートラ】より

…バーツヤーヤナ(マッラナーガ)作であり,およそ4~5世紀ころに成立したと推定されるが,この成立年代はなんら確定的なものではない。古来,インドではダルマ(法),アルタ(実利),カーマ(性愛)を人生の三大目的(トリ・バルガ)とするが,バーツヤーヤナは特にカーマを学ぶ意義を強調してこの書を著したものである。彼は本書の最後で,〈この書は最高の禁欲と精神統一により,世人の生活に役立てるべく作られたもので,情欲を目的として編まれたものでない〉と述べている。…

【スペイン舞踊】より

…そのようにスペインにおける舞踊の起源はきわめて古いが,こんにちスペインの古典舞踊といえば,ルネサンス期以降,16~17世紀に行われた宮廷舞踊や市民社会の舞踊を母体にしたものだといえる。16~17世紀のスペイン舞踊の代表的なものとしてはアルタalta,バハ・ダンサbaja danza,カナリオcanario,チャコーナchacona,エスパニョレータespañoleta,フォリーアfolía,サラバンダzarabanda等が知られ,ほかにも舞踊の形式はきわめて多い。以上のうちチャコーナはシャコンヌ,サラバンダはサラバンドとしてヨーロッパ各地に広まり,やがて器楽曲の重要な形式として定着したものである。…

※「アルタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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