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アルバニア史 アルバニアし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アルバニア史
アルバニアし

古代においてはイリュリアと称され,前1000年頃イリュリア人が定着。前168年ローマ領となった。3~5世紀西ゴート人,フン族,6世紀スラブ族の侵攻を受け,12~13世紀十字軍国家「エピルス帝国」,次いでビザンチン帝国,13~14世紀セルビア王国の版図内に入った。14~15世紀オスマン帝国とベネチアの抗争の的となり,1434年民族的英雄スカンデルベグがオスマン帝国軍を駆逐,初めて独立を実現したが,その死後まもなくオスマン帝国に征服された。オスマン帝国支配下ではイスラム教に改宗した土豪がスルタンに進貢しつつ封建領主としてなかば独立を維持,帝国の弱体化とともにしばしば反乱を起こした。
18世紀末から 19世紀初めに代官アリー・パシャが事実上の独立を達成。1831年に再びオスマン帝国が統治権を回復したが,1878年ベルリン会議を機に国民同盟が結成され,民族意識の覚醒に大きく貢献した。1909年青年トルコ革命に刺激されて国民会議が開かれ,自治権を要求。1912年国民蜂起が勃発。イスマイル=ケマルの政府が形成され,独立を宣言した。しかし列強の圧力でドイツ出身のウィート公ウィルヘルムアルバニア大公に就任。第1次世界大戦中はセルビア,イタリアによって占領された。1922年保守的なゾグ1世が権力を掌握。1924年,自由主義的な正教司祭・作家のファン・スティリアン・ノリが首相に選ばれたが,ゾグ1世によるクーデターにより失脚。ゾグ1世は 1925年大統領,1928年国王に即位,セルビア,イタリアの支持に依拠して権威主義的独裁政治を行なった。
第2次世界大戦中はドイツ,イタリアに占領され,抵抗運動においては親共産的な国民解放運動 LNCが王党派のバリ・コンベタール(国民戦線)を圧倒。1944年11月労働党(共産党)のエンベル・ホッジャを首班とする政府が発足。1946年人民共和国を宣言,急進的な諸政策を実施した。外交政策では当初親ユーゴスラビア,1948年ユーゴスラビアのコミンフォルム追放後は親ソビエト連邦,ソ連とユーゴスラビアの国交回復,中国とソ連の対立とともに親中国路線をとった。1976年頃から中国とも対立し,国際的な孤立を深めていたが,1988年にはバルカン外相会議に参加。1989年以降東ヨーロッパの改革の波がアルバニアにも押し寄せ,1992年3月の総選挙で最大野党であった民主党による非共産政権が誕生した。

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