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アレクサンダー アレクサンダー Alexander, Harold (Rupert Leofric George), 1st Earl Alexander of Tunis

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アレクサンダー
アレクサンダー
Alexander, Harold (Rupert Leofric George), 1st Earl Alexander of Tunis

[生]1891.12.10. ロンドン
[没]1969.6.16. バッキンガムシャースロー
イギリスの軍人,将軍。 1940年ダンケルク撤退を指揮。 42年8月イギリス中東軍総司令官。 43年7月シチリア島進攻を,10月イタリア作戦を指揮し,44~45年イタリア戦線の連合軍総司令官。

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アレクサンダー
アレクサンダー
Alexander, Samuel

[生]1859.1.6. シドニー
[没]1938.9.13.
イギリスの哲学者。メルボルン大学オックスフォード大学で学び,1888年"Moral Order and Progress"でグリーン道徳哲学賞を獲得。オックスフォード大学にフェローとして残ったが,90~91年ドイツへ行き,フーゴー・ミュンスターベルクのもとで心理学を学び,93年イギリスに戻りマンチェスター・オーエンズ大学の哲学教授となった。

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アレクサンダー
アレクサンダー
Alexander, Grover Cleveland

[生]1887.2.26. ネブラスカエルバ
[没]1950.11.4. ネブラスカ,セントポール
アメリカ合衆国プロ野球選手。コントロールのよさに定評があり,大リーグ史上最強の右腕投手の一人といわれた。 1911~17年および 1930年フィラデルフィア・フィリーズ,1918~26年シカゴ・カブズ,1926~29年セントルイス・カーディナルズにそれぞれ在籍。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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百科事典マイペディアの解説

アレクサンダー

建築家。ウィーンに生まれ,1938年イギリスに移住。ケンブリッジ,ハーバードの各大学で学ぶ。その後教職につき,現在カリフォルニア大学バークレー校教授。1967年環境構造センターを設立。

アレクサンダー

英国の軍人。第2次大戦において各地で武勲をあげた。1940年ダンケルク撤退作戦を指揮し,撤収の最後のひとりとして有名になる。日本軍のビルマ進攻に際してはビルマ方面軍を指揮,ついで中東軍司令官となりエル・アラメインにおいて敵将ロンメル機動部隊を完全に撃破し,ドイツの野心を潰(つい)えさせた。

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世界大百科事典 第2版の解説

アレクサンダー【Alexander von Roes】

中世の著作家。生没年不詳。ホーエンシュタウフェン朝没落後の13世紀後半期に活躍。国家思想に関するドイツで最も初期の理論家。処女作《ローマ帝国の大権に関する覚書》(1281)で,帝権はドイツに,聖権はイタリアに,学問はフランスに属するとしてヨーロッパ諸国の特性を明らかにし,諸民族均衡の上に帝国の再建を論じた。政治的風刺詩《クジャク》(1285)は,当時のドイツ民族意識をよく示す。【今野 国雄】

アレクサンダー【Franz Alexander】

1891‐1964
ハンガリー生れの精神分析者。1930年アメリカに渡り,ボストン,シカゴ,ロサンゼルスなどで精神分析を教えたり,精神分析研究所を設立して活躍した。彼の理論はいわゆるフロイト左派などのようにフロイトから離れていないが,正統派でもなく,いろいろな面でフロイト理論を修正し,発展させた。とくに治療面で,患者の幼児期記憶,解釈の呈示,知的洞察などの価値をそれほど重視せず,患者がかつて親との関係で受けたゆがんだ感情体験を分析者との関係のなかで修正してゆく療法を提唱した。

アレクサンダー【Harold Rupert Leofric George Alexander】

1891‐1969
イギリス陸軍の軍人。第2次世界大戦に活躍。北アイルランドの伯爵家の三男としてロンドンで生まれる。第2次世界大戦初頭,師団長として大陸に派遣され,ダンケルク撤退時後衛戦闘で武名をあげ,イギリス本土戦では南部軍を,また日本軍のビルマ進攻時にはビルマ方面軍を指揮した。沈着かつおおらかな人柄で,1942年8月敗北続きの中東方面の最高司令官に任命され,指揮下のモンゴメリー第8軍司令官としてエル・アラメインの戦ロンメルの軍を完全に撃破した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アレクサンダー
あれくさんだー
Samuel Alexander
(1859―1938)

イギリスの実在論的哲学者。オーストラリアに生まれ、イギリスのオックスフォード大学に学ぶ。マンチェスター大学教授。生理学的心理学の成果に基づき、科学の一種としての経験論的形而上(けいじじょう)学体系の構築を試みた。実在の根源は四次元的連続体である時空間、とくに時間であり、世界はこれを母胎として、「偶発物」emergentが生成進化する過程であると考えた。カントの強い影響を受けながらも、認識は世界を静観contemplateし、意識する主体としての精神作用と意識される客観的対象との間の共存関係を看取することにある、と考えることによってカントを批判した。主著は『空間・時間・神性』(1920)。[宮下治子]

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