アンサール
anṣār
〈助ける人〉を意味するアラビア語で,一般に預言者ムハンマド時代のメディナの住民をいう。622年のムハンマドの移住(ヒジュラ)以前,メディナのアラブ人社会は内戦状態にあった。ごく少数の人々がムハンマドの宗教を受け入れ,彼を招くことによって内戦状態を終結しようと行動し,これがしだいに多数の人々の共感を得て,ヒジュラが実現した。当初は,積極的なアンサールは数のうえでは少数派であったが,ヒジュラ後6年の初めごろには,メディナの住民の大多数はアンサールになった。メッカなど外部からの移住者(ムハージルーン)とともに,ムハンマドの指導する教団国家の構成員であったが,両者の間には微妙な対立があった。ムハンマドの死の直後,アンサールは独自に指導者を擁立しかけたが,結局はムハージルーンの一人であるアブー・バクルのカリフ位を承認した。アンサールの子孫は,氏族名を名のることより,単にアンサーリーanṣārīと称することが多い。
執筆者:後藤 晃
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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アンサール
ansār
「援助を与える人々」を意味するアラビア語。預言者ムハンマドがメッカからメジナに移住したとき (ヒジュラ ) ,メッカから彼とともに移ってきた人々をムハージルーンと呼び,これに対して,メジナのアラブでムハンマドを助けた人々をアンサールと呼んだ。メジナのアラブはアウスとハズラジの2部族に分れていたが,これ以後はアンサールとして一つにまとまっていった。彼らはイスラム国家の発展過程で政治的にはほとんど重要な役割を果さなかったが,イスラム社会の形成期にムハンマドを助けた意義は大きく,彼らの子孫はアンサーリーと称してその家系を誇った。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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アンサール
《Ansaru》ナイジェリアで活動するテロ組織。2012年、「ボコ・ハラム」から分離して結成。ナイジェリアおよび西アフリカ地域でのイスラム法国家の樹立を目的とする。2013年11月13日、米国FTOに指定。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内のアンサールの言及
【スーダン】より
…反乱には身分・出身のいかんにかかわらず広範な住民が参加,13年間にわたりスーダン人民族意識に支えられたマフディー国家が続いた。マフディーの組織した教団,[マフディー派]の成員は自らをアンサールAnṣār(支持者)と称し,反乱の中核を占めた。マフディーはシャリーアの実現に向け絶対的平等を維持したが,ムハンマド・アフマドの死後(1885),反乱は内部矛盾が表面化し,98年イギリス・エジプト連合軍により鎮圧された。…
【ムハージルーン】より
…622年の預言者[ムハンマド]のヒジュラ前後にメッカからメディナに移住した70余名の成年男子とその家族が最初のムハージルーンである。メディナにおけるムハンマドの支持者である[アンサール]とともに形成期のイスラム教団国家の中核であった。その生計は,当初,アンサールに頼っていた。…
※「アンサール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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