1969年モロッコのラバトに集まったイスラム諸国首脳の会議で提案され、1971年に正式に成立した国際機構。略称OIC。世界のイスラム諸国が相互に結束して協力関係を築き、国際舞台においてイスラム世界の声を代表することを目的とした。加盟国に対する厳密な規定はなく、中東、アフリカ、アジアからの30か国で発足し、2010年時点で57か国。そのほか多数の団体、政府がオブザーバーとして存在した。2011年、名称をイスラム協力機構とした。
イスラム諸国は長年国際組織の成立を望んでいたが、1967年の第三次中東戦争でアラブ諸国が敗北し、イスラムの第三の聖地エルサレムがイスラエルの占領下に置かれたのを契機として、同機構は発足した。最高意思決定機関は加盟国の首脳が参加して3年に一度開催される「イスラムサミット」で、2010年までに11回(および臨時サミットが3回)開催された。次に重要なのは毎年開かれる「イスラム外相会議」。事務総長は5年の任期(2期まで)で、事務局はサウジアラビアのジッダに所在。そのほか政治、経済、文化の分野にわたった個別の専門委員会、機関があった。その一つであるイスラム開発銀行はイスラム法に基づいて運営され、参加国や世界各地のムスリム(イスラム教徒)共同体の経済開発、社会事業の金融援助を目的とし、これまでにかなりの実績をあげている。
同機構の目的は、OIC憲章に示されている。OIC発足時から受け継がれる主要な柱としては、参加国間の連帯、経済をはじめとする諸分野での相互協力の促進、ムスリムの権利獲得の支援、パレスチナ人の権利と独立運動の支援、さらには、国連をはじめとする国際機構との協力関係の維持、相互の内政不干渉と領土保全、紛争の平和的解決などである。
同機構は世界規模の単一のイスラム共同体の成立を目ざすものではなく、現存の独立国家が緩やかに連帯して、協力関係を結ぶものであった。したがって個々の主権国家の利益が優先され、エジプト・イスラエル間の国交成立、イラン・イラク戦争、湾岸戦争などにみられるように、内部の対立が機構の運営をしばしばむずかしくした。しかし、国際舞台で一国では発言力の弱い参加国がまとまって意見を提言してきた意義は評価すべきである。たとえば1997年12月のテヘラン・サミットでは全参加国が首脳あるいは代表を送り、アメリカのイラン孤立策に対して一石を投じた。
冷戦終結そして21世紀を迎えてからの国際情勢やイスラムを取り巻く環境の変化は、同機構にも影響を与えた。対話、協調、発展の概念が強調され、また人権問題やテロリズムなどにも焦点をあてるようになった。これを象徴するのが、セネガルの首都ダカールで開催された2008年の第11回サミットにおける新しい憲章の採択であった。1972年に採択された憲章にとってかわって、新しい内容が多く盛り込まれた。たとえば、他文明との対話による相互理解の促進、女性や子供を含む人権問題、民主主義やグッド・ガバナンスの促進、テロリズムの撲滅、さらには2005年の臨時サミットで取り上げられたイスラムの穏健性の強調やイスラム中傷問題への対処も、新しい目標となった。
[池田美佐子]
(最上敏樹 国際基督教大学教授 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
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