ウスマン・ダン・フォディオ(読み)うすまんだんふぉでぃお(英語表記)'Uthmān dan Fodio

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ウスマン・ダン・フォディオ
うすまんだんふぉでぃお
'Uthmān dan Fodio
(1754―1817)

19世紀初頭、現在のナイジェリア北部、ハウサランドで活動し、ソコト大守国とよばれるフラニ人が支配する王国を建設したイスラム革命指導者。15世紀なかばにセネガルのフータ・トロ地方からハウサランドに移住した、フラニ人のイスラム教師の家に生まれ、父に教育を受けた。青年時代に知識人として、またアラビア語、フラニ語詩人として名声を得た。イスラム教は数世紀前からこの地方に浸透していたが、教義は守られず腐敗していた。ウスマンはスーフィー派のイスラム教師・知識人としてイスラム信仰の純化を図った。ウスマンの信仰や英知に対する支持者は拡大し、この地方を支配していたゴビール王の王子の家庭教師に任命された。しかし彼の影響力が強大になるにしたがって、かつての教え子であるゴビール王国のユンファ王と対立し、王はウスマンに対する軍隊を派遣するに至った。ウスマンは支持者とともに武装して対抗した。1804年ウスマンはイスラム聖戦(ジハード)を宣言、近隣諸国のフラニ人指導者にも呼びかけて兵を進め、12年には現在のナイジェリア北部を支配した。しかし戦争指揮統治は弟のアブド・アッラーフ息子のモハメッド・ベロに任せ、ウスマン自身は09年に隠退し晩年勉学に努めた。

[中村弘光]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

ウスマン・ダン・フォディオ
‘Usmān dan Fodio

1754~1817

19世紀初め,現ナイジェリア北部のハウサランドでジハードを主導したイスラーム改革指導者。祖先は現セネガルのトゥクロール人。ソコトを王都フラニ王国を建設し,ハウサランド全域を支配したが,政治権力を弟アブダッラ,息子ムハンマド・ベッロに譲り,自身はイスラーム教義の研究に専心した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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