エサルハッドン(読み)えさるはっどん(英語表記)Esarhaddon

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エサルハッドン」の意味・わかりやすい解説

エサルハッドン
Esarhaddon

アッシリア帝国の王 (在位前 681~669) 。アッシリア名アッシュール=アヘ=イディンナ。センナケリブの第3子。アッシュールバニパルの父。父王によって後継者と定められ,バビロン総督となったが,前 681年兄弟によって父王が暗殺されたため,兄弟の軍を破り王位につく。この機に乗じてバビロニア南部で反乱を起したメロダク=バラダン2世をただちに制圧し,その地を兄弟に与え,忠誠を誓わせた。メロダク=バラダンの父王が寇掠破壊したバビロニア北部の諸都市に対しては親バビロニア政策をとり,バビロンを再建した。前 678年カルデアのダクリ族の侵入を阻止し,スキタイ人と通婚して和を保ったが,キンメリ人にはキリキアなど北西部の州を奪われた。前 675年第1回のエジプト侵攻は失敗したが,前 671年には成功し,メンフィスを落してヌビアまで征服した。しかしエジプト,アッシリアで反乱が起り,エジプトの反乱鎮圧を企て,その途上に没した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エサルハッドン」の意味・わかりやすい解説

エサルハッドン
えさるはっどん
Esarhaddon

生没年不詳。古代のアッシリア王(在位前681/680~前669)。父王センナケリブがその子らに暗殺されたのち、兄弟たちと王位を争い、内乱を鎮圧して、寵子(ちょうし)の彼が王位を占めた。もっとも重要な功績は、父王が破壊したバビロン市と同市の神殿を復興して人心を収めたことと、かつて父王をその国境から撃退し、いまはエジプトの王位にある第25王朝のエチオピア(ヌビア)王のタハルカ(在位前690~前663)を破り、首都メンフィスを陥れ、ヌビア国境まで征服し、ここに西アジア諸国の支配者たちの長年の夢を初めて実現したことである。また、イラン高原のエラムの反乱を平定し、イラン系のスキタイ人などの北方からの外敵を追放した。王の治世にアッシリア帝国の版図は最大に達した。ちなみに、『旧約聖書』「申命記」の契約の呪(のろ)いのことば(27~28章)は、アッシリア王が属王と締結した条約にかならず付加した厳しい呪いのことばと比較することが近年の研究によって可能となった。

[高橋正男]

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