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エジンバラ Edinburgh

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大辞林 第三版の解説

エジンバラ【Edinburgh】

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デジタル大辞泉の解説

エジンバラ(Edinburgh)

英国北東部、フォース湾南岸にある都市。もとスコットランド王国の首都。1583年創立の大学など歴史的建造物が多い。中世の面影を残す旧市街とジョージアン様式の町並みの新市街が、1995年、世界遺産文化遺産)に登録された。エディンバラ

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百科事典マイペディアの解説

エジンバラ

エディンバラ

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世界大百科事典 第2版の解説

エジンバラ【Edinburgh】

イギリス北部,スコットランド東部のロージアン州の州都。スコットランド王国のかつての首都で,グラスゴーに次ぐスコットランド第2の都市。政治,学術,文化の中心地。人口44万8000(1995)。1973年の地方行政法が発効するまでは,国王の勅許状による自治都市であった。スコットランド中央低地帯の東部に位置し,フォース湾をへて北海に面する。北緯56゜に近く,サハリン(樺太)の北端とほぼ同緯度であるが,北大西洋海流偏西風の影響のため気候は温和。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

エジンバラ
えじんばら
Edinburgh

イギリスを構成する連合王国の一つスコットランドの首都。スコットランド東部、北海に向かって開くフォース湾の南岸に位置する。西方約70キロメートルのグラスゴーに次ぐ同王国第二の都市で、人口44万8624(2001)。行政、学術、文化の中心都市。名称は、ゲール語の「エイデンの丘」を意味するダンエイディアンDuneideannに由来する。旧市街の西端にカッスル・ロックとよばれる城山があり、市街地見下ろすようにエジンバラ城がそびえ立っている。これをアクロポリスに見立てて「北方のアテネ」と称される美しい古都である。北緯56度に近いが、海流や偏西風の影響で、気候は温和である。産業は観光が主であるが、出版・印刷、製紙、ウイスキー醸造などのほか、外港のリースLeithでは造船、機械、食料品などの工業が行われる
 ほぼ東西に走る旧市街は、西端のエジンバラ城から東端のホーリールードハウス宮殿までのロイヤル・マイルとよばれる通りが中心で、セント・ジャイルズ教会、旧議事堂、宗教改革者ジョン・ノックスの家、ホーリールード寺院などがある。同寺院は13世紀のイギリスの粋を集めたといわれる建築で、寺院の敷地の一部に、スコットランド女王メアリーの居城としてホーリールードハウス宮殿が建てられた。エジンバラ城内には1076年建立のセント・マーガレット礼拝堂がある。ロイヤル・マイルの北側にある谷を挟んで、新市街が北方に広がっている。新旧両市街を分ける谷にはエジンバラ(ウェーバリー)駅、W・スコット記念碑、ロイヤル・スコティッシュ・アカデミー、国立美術館、庭園などがある。新市街の大部分は、ジェームズ・クライブの設計による碁盤目状の市街で、1768年から1850年にかけて建設された。プリンシズ・ストリートPrinces Streetは新市街の南縁に沿う繁華街で、商店が多い。新市街にはジョージ王朝風の建築物も残っている。スコットランドの詩人バーンズは「エダイナよ、スコシアのこよなき都よ、ようこそ汝(なんじ)の宮殿よ、塔よ」とこの美しい都市をたたえている。毎年8月下旬から9月上旬にかけて、エジンバラ・フェスティバルが開かれ、音楽や演劇などが催される。なお、1995年に旧市街、新市街ともに世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。[米田 巌]

歴史

この付近には先史時代の集落の跡があり、ローマ帝政期には、フォース湾岸の村クラモンドにローマ軍が砦(とりで)を築いたといわれる。しかしエジンバラの歴史が始まるのは、ゴドウディンというケルト系部族が現在のカッスル・ロックの上に城塞(じょうさい)をつくってからである。ついで7世紀前半にはノーサンブリアの支配下に入った。やがてスコットランド王マカルピンの子孫が、10世紀なかばにエジンバラを手中に収め、マルコム3世の王妃マーガレットはカッスル・ロックの上に礼拝堂を建てた。これが現存するエジンバラ最古の建物である。その子デイビッド1世は、1128年、ホーリールード寺院を建てた(1220年ごろ再建)。セント・ジャイルズ教会もほぼ同じ時期につくられた。スコットランドの封建的上長であると主張するイングランド諸王、とくにエドワード1世により、エジンバラはしばしば略取されたが、イングランドの支配から脱しようとする独立戦争の最中、1329年に、ロバート1世から特許状を与えられた。市は15世紀には大いに伸展し、スチュアート諸王はエジンバラをしだいに首都とみなすようになった。1560年のスコットランドの宗教改革はエジンバラを舞台に遂行され、1583年にはジェームズ6世の名を付した市立大学ができた(後のエジンバラ大学)。1603年ジェームズ6世がイングランド王を兼ねてロンドンへ移ったため、エジンバラには宮廷がなくなり、その地位は低下した。祈祷(きとう)書の強制に端を発するセント・ジャイルズ教会での暴動(1637)も、宮廷を失った市民のいらだちの一つの現れである。また、1640年代の政治的、宗教的革命に際しては、エジンバラが主導的役割を果たした。
 18世紀に入り、エジンバラは新しい時代を迎えた。名誉革命後のウィリアム2世の無関心、パナマ地峡に植民地を建設しようとしたダリエン計画の失敗、1707年のイングランドとの連合は、ふたたびエジンバラ市民をいらだたせたが、彼らは文化面における北部の首都を目ざすようになった。「スコットランド啓蒙(けいもう)主義」は主としてエジンバラの所産である。1760年以降、市の拡張が行われ、北側にはプリンシズ街をはじめとする新市街がつくられた。詩人で小説家のW・スコットや、判事のコウバーンCockburn卿(きょう)などの活躍はこの時期のことである。産業革命は市に大きな変化はもたらさなかった。20世紀に入り、住宅区は郊外に広がり、かつてのエジンバラは急速に変貌(へんぼう)を遂げつつある。1947年にエジンバラ・フェスティバルが開始された。[飯島啓二]

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世界大百科事典内のエジンバラの言及

【スコットランド】より

…イギリス(連合王国)の一地方で,グレート・ブリテン島の北部を占める地域。主都エジンバラ。ローマ時代にはケルト語で〈森林〉を意味する〈カレドニアCaledonia〉と呼ばれたが,アイルランドからのスコット人の移住にともない,11世紀には〈スコシアScotia〉の名称が与えられ,現在の地名の語源となった。…

※「エジンバラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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