ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブリタニカ百科事典」の意味・わかりやすい解説
ブリタニカ百科事典
ブリタニカひゃっかじてん
Encyclopædia Britannica
第2版(10巻 8595ページ)は 1777年6月から 1784年9月にかけて出版された。既存項目に新たな記述を書き加えただけでなく,論文や新項目も増えた。伝記的項目が追加され,歴史が地理項目に含められ,範囲も「技術と科学の事典」をこえたものになった。第3版(1788~97)はさらに長くなって 18巻 1万4579ページとなり,2巻の追補版が 1801年に刊行された。第3版と追補版の新鮮で活力にあふれた記述は,有益かつ魅力的でブリタニカの不朽の名声を築いた。第4版(20巻 1万6033ページ)は 1801~09年に出版され,1810年に完結した。第3版の改訂再版で論文の追加と延長,歴史項目の改訂,伝記的項目の充実のために 2巻が加えられた。第5版は第4版の改訂版,第6版は第5版の項目の一部を改訂した再版で,第4,5,6版の追補版に比べると重要度は高くなかった。それらは同時に準備印刷され,6巻の追補版は 1815~24年に刊行された。1830~42年に刊行された第7版(21巻 1万7011ページ。図版 506点)は過去の版の改訂版であったが,便利な総索引が別冊につき,以後の版に受け継がれた。第8版(約230ページの総索引を含む 21巻計 1万7957ページ。図版 402点)は 1852~60年に出版された。過去の版の項目も一部使われたが,全面改訂版といえるものであった。最大の分量を誇る第9版(24巻と別冊索引)は 1875~89年に出版された。「学者の百科事典」として知られる第9版は,当時の科学や宗教の議論に対する進歩的で見識ある立場をとり話題となった。1100人にも及ぶ寄稿者のなかには 70人以上のアメリカ合衆国の学者と 60人ほどのヨーロッパ大陸の学者が含まれていた。1901年にアメリカの出版業者ホーレス・E.フーパーが所有権を買って,以後版権はアメリカに移った。
第10版は『ロンドン・タイムズ』の後援で出版された(1902~03)。第9版に追補版 11冊を加えたもので,歴史に関する項目の大半を改訂した。有名な第11版(29巻)はケンブリッジ大学出版局によって刊行された(1910~11)。ロンドンとニューヨークで編集が行なわれ,編集方針の大幅変更によって,総合的で長い項目をより専門化したものに改訂したため,9版の倍以上の 4万項目に増えた。1920年シアーズ・ローバックに版権が買い取られ,1922年に 3巻の追補版が加えられ第12版(32巻)となった。1926年には全面改訂された 3巻の追補版が刊行され第13版となった。この間に所有権は再びフーパー家に移ったが,1928年シアーズ・ローバックが再び版権を買い戻した。1926年から作業にほぼ 3年を要した第14版(索引と世界地図を含む 24巻)は大不況の直前の 1929年に出版された。シアーズ・ローバックの副社長エルカン・ハリソン・パウエルは直販制度を導入して売り上げを伸ばすとともに,編集方針も変え,継続的に改訂を行なって毎年改訂再版を刊行するようにした。1941年シカゴ大学がシアーズ・ローバックから全版権の寄贈を受けたが,大学が経営を望まなかったため,シカゴ大学副総長ウィリアム・ベントンが資金を提供して,総長のロバート・メイナード・ハッチンズが編集委員長に就任した。1974年,10年の歳月と 3200万ドルの巨費を投じてプロペディア(総論・手引),マイクロペディア(小項目事典),マクロペディア(大項目事典)の計 28巻からなる第15版が刊行された。1985年には大幅な改訂が行なわれて全 32巻となった。1994年にインターネットによるオンライン・サービスを開始,1995年には 2枚組のCD-ROM版も製作された。1996年,スイスのジェイコブ・サフラ財団に経営権が譲渡された。2012年印刷本の形態での発行・販売が終了し,インターネットをはじめとするさまざまな電子版で提供されることになった。
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