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エリセ

百科事典マイペディアの解説

エリセ

スペインの映画監督。バスク地方生れ。マドリード大で政治学を学んだ後,国立映画研究所に入る。1968年オムニバス映画の一編で監督デビュー。1940年代のスペインの村を舞台に,精霊の存在を信じた少女の世界を繊細に描いた《ミツバチのささやき》(1972年)で世界的な注目を受ける。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

エリセ
えりせ
Vctor Erice
(1940― )

スペインの映画監督。バスク自治州ビスカヤ県カランサ生まれ。彼の生まれた1940年は、スペイン内戦(市民戦争)におけるフランコ将軍側の勝利の翌年にあたり、「内戦直後の世代」としての自己形成が、彼の撮る映画の多くに影を落とすことになる。1959年、隣接するギプスコア県サン・セバスティアンで毎年開かれる映画祭で上映されたフランソワ・トリュフォー監督の『大人はわかってくれない』(1959)に衝撃を受け、この作品についての文章を綴ると同時に、映画監督への道を志すようになる。高校を卒業するとマドリードに出て、マドリード中央大学政治学科に入学する一方、1960年には映画研究養成学校に入学。16ミリや35ミリによる短編の習作を撮り、最終年次には35ミリで卒業製作『失われた日々』(1962~1963)を完成させて監督号を取得。国立映画学校(映画研究養成学校が改組されたもの)を修了する。また、マドリード大学哲文学部が発行していた『芸術思想手帖』Cuadernos de Arte y Pensamientoや映画批評誌『ヌエストロ・シネ(我らの映画)』Nuestro cineの同人となり、批評執筆活動も並行して展開。とりわけ後者を拠点に1960年代を通して、映画理論や内外の映画評や作家論を執筆、映画に対する思考や方法論を深めていく。他方、映画製作にも関わりを持ち始め、『秋になれば』El Proximo Otoo(1963。監督アンチョン・エセイサAntxon Exeiza、1935― )で脚本と助監督、『八月の暗い夢』Osucuros Sueos De Agosto(1967。監督ミゲル・ピカソMiguel Picazo 、1927― )で脚本といった仕事をこなした後に、国立映画学校で優秀な成績を残したクラウディオ・ゲリンClaudio Guern(1938―1973)、ホセ・ルイス・エヘアJos Luis Egea(1940― )とともに取り組んだオムニバス映画『対決』(1969)で、最終の第3章を監督。この作品は1969年のサン・セバスティアン国際映画祭で銀の貝殻賞(第2位)を受けた。
 監督デビューを果たしたエリセは、広告やコマーシャル・フィルムの仕事もこなしながら、彼の生まれた1940年代のカスティーリャ地方の小さな村を舞台とする脚本を執筆。村に巡回してきたアメリカ映画『フランケンシュタイン』(1931。監督ジェームズ・ホウェールJames Whales、1889―1957)を公民館で見たことをきっかけに、少女アナが子供の世界から大人の世界へと旅立つ過程を描く『ミツバチのささやき』(1973)は、サン・セバスティアン国際映画祭でスペイン映画として初の黄金の貝殻賞(グランプリ)を獲得したほか、ロンドンやシカゴ、カンヌなどの各国際映画祭で称賛され、スペイン映画史上に残る名作との評価を決定づけた。エリセのいうところの「沈黙の言語」に支配された、極端に台詞(せりふ)の少ない映画だが、エリセ自身、とりわけアナの両親の沈黙については、だれもが勝利者たりえず、空虚さや不信感に覆われた内戦後のスペイン社会を象徴するものであると説明している。
 実質的なデビュー作の大成功によって「子供の映画」や「芸術的な映画」を撮る監督とのレッテルを貼られ、それに苦しむ局面を経て、ようやく10年後に新作『エル・スール』(1983)が発表される。謎めいた父親の行動に憧憬(どうけい)と困惑を抱きつつ成長した一人娘が、父親を等身大の人間として認めるまでの過程を描くもので、やはり少女の通過儀礼的な物語である。スペイン語の「南」というタイトルをもつこの映画は、当初、娘エストレリャが父親の死後に彼の故郷であるスペイン南部アンダルシア地方で体験する出来事も含まれる予定だったが、プロデューサー側から突然の撮影中止が宣告され、結局、エリセにとって不本意なことに、父親の死と少女の旅立ちのシーンで終わらざるをえなくなった。それでも公開された作品の完成度の高さはだれの目にも明らかで、カンヌ国際映画祭など各地の国際映画祭に出品された。主人公の少女はエリセと同世代で、両親はやはり内戦の傷跡を色濃く背負っている。『ミツバチのささやき』と同様に、物語のなかで映画が重要な役割を果たす点も注目に値する。アナやエストレリャにとっての映画は、現実から逃避する手段としてあるのではなく、むしろ、そこで現実と出会い、成長するための契機となる。彼女たちは映画を見ることで、それまで接することのなかった世界と出会い、大人となるための過程を勇敢に歩み始めるのだ。これは現代の映画がなかば必然的に、映画というメディアに対する自己言及性をもち、どこかで「映画についての映画」であるほかない、というエリセの信念にも由来する。
 やはり10年近くの歳月を経て発表されたエリセの第三作『マルメロの陽光』(1992)は、映画についてではなく、絵画についての映画である。現代スペインを代表する画家アントニオ・ロペスAntonio Lopez(1936― )が、自宅の庭に植えられたマルメロの樹をそこに注がれる陽光共々、油絵で描こうとする様子を追うこのドキュメンタリー映画で、イメージであふれかえった現代社会において、もっともプリミティブなイメージの作り手である画家の創作に立ち返り、イメージの意味を問い直してみたかった、とエリセは説明する。同作は、カンヌ国際映画祭で審査員賞と国際批評家連盟賞に輝いた。加えてこの作品で、「時間」の問題も浮上する。つねに変化し、過ぎ去りつつある陽光を、画家は静止された画布に定着させようと努め、ついにはあきらめる。だが、作品の終わりで、地面に落ちた果実が朽ち果てる過程を描くなどして、映画では「時間」について絵画とは異なるアプローチが可能なのだ、とエリセは告げる。こうした「時間」を巡る問いは、やはりほぼ10年後に世界の著名監督が競演したオムニバス映画『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』(2002)にエリセが寄せた10分間の短編『ライフライン』にも引き継がれるが、ちなみにここでも舞台となるのは、1940年代のスペイン北部の田園風景である。[北小路隆志]

資料 監督作品一覧

失われた日々 Los Dias Perdidos(1962~1963)
対決[第3章] Los desafios(1969)
ミツバチのささやき El espiritu de la colmena(1973)
エル・スール El sur(1983)
マルメロの陽光 El sol del membrillo(1992)
セレブレートシネマ101(1996)
10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス~「ライフライン」 Ten Minutes Older : The Trumpet - Lifeline(2002)
3.11 A Sense of Home Films~「アナ、3分」 Ana, Three Minutes(2011)
『金谷重朗監修、遠山純生編『ビクトル・エリセ』(2000・エスクァイア マガジン ジャパン)』

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