オムニバス映画(読み)オムニバスえいが(その他表記)omnibus film

改訂新版 世界大百科事典 「オムニバス映画」の意味・わかりやすい解説

オムニバス映画 (オムニバスえいが)
omnibus film

独立した短い挿話,あるいは物語が構成されて,一つの作品になっている映画エピソード映画episode film(episodic film)と呼ばれている例もある。アメリカの映画史家によると,最初のオムニバス映画はパラマウントの《百万円貰ったら》(1932)で,思いがけなく転がり込む大金を巡る八つの挿話からなるこの映画は,18人の脚本家と7人の監督が名まえを連ねているが,MGMをライバル視していたパラマウントが企画の目新しさを意図したものであった。一方,MGMの,一つのホテルに出入りする人々の挿話を組み合わせて人生の明暗を描いた《グランド・ホテル》(1932)は,アカデミー作品賞を受賞し,その立体的な構成が〈グランド・ホテル形式〉ということばまで生んだが,そもそもは〈空の星より多いスター〉と誇ったMGMがオールスターキャスト作品として企画したもので,〈オムニバス・ストーリー映画〉,あるいは〈エピソード映画〉と呼ばれた。燕尾服を巡る六つの挿話からなるJ.デュビビエ監督の《運命饗宴》(1942)は,〈オムニバス・エピソード映画〉と呼ばれた。〈エピソード・ストーリー映画〉と呼ばれたイタリア映画《戦火のかなた》(1942)は六つの挿話で構成され,形式よりも内容が高く評価された作品であるが,その成功に促されてイギリスでサマセット・モームの四つの短編小説をもとにした《四重奏》(1948)が製作され,それをモデルにしてアメリカでO.ヘンリーの五つの短編小説をもとにした《人生模様》(1953)が製作された。このほか,日本(《四つの恋の物語》1947,《にごりえ》1953)も含め各国で作られたが,もともとこの形式の映画は,スター中心のハリウッドよりもフランスやイタリアの作品の世評が高く,英語圏の市場ではテレビの30分ドラマの登場とともに1950年代半ばには魅力の薄れた形式となり,60年代になって《西部開拓史》(1962),《黄色いロールス・ロイス》(1964)などが製作されたにすぎない。83年には,50年代末のテレビの30分シリーズを劇場用にリメークし,4話構成のオムニバス映画とした《トワイライト・ゾーン》が製作された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オムニバス映画」の意味・わかりやすい解説

オムニバス映画
オムニバスえいが

厳密な意味では一個人の原作なり創作による数編の短編を集めた映画のことで,E.A.ポー原作の『世にも怪奇な物語』 Histoires extraordinaires (1968) や黒沢明監督の『夢』 (90) がその適例。一般には独立した短い物語がいくつか集って一つの作品になったものをさす。第2次世界大戦後特にイタリアやフランスで多く作られた。たとえばフェリーニがその一編を分担監督した『ボッカチオ'70』 Boccaccio'70 (61) など。

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