エルスハイマー
えるすはいまー
Adam Elsheimer
(1578―1610)
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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エルスハイマー
Adam Elsheimer
生没年:1578-1610
ドイツの画家。フランクフルト・アム・マインに生まれ,同地でウッフェンバハPhilipp Uffenbachからデューラーの伝統を,フランケンタールに亡命中のファン・コニンクスローからフランドルの風景画様式を学ぶ。1598年にベネチアに赴いて同国人ロッテンハンマーHans Rottenhammerの工房で制作。1600年以後没するまでローマで活動し,カラッチおよびカラバッジョの自然主義的傾向,とりわけ後者の明暗法に影響をうけつつ,宗教的・神話的主題を詩情に富む風景と結びつけた小絵画を制作した。細やかな自然観察に支えられた直截な物語表現,劇的明暗対比,色彩の豊かさにより,バロック様式の創始者の一人に数えられている。その影響は親交のあったルーベンス,のちにローマで活動するクロード・ロラン,さらにはラストマンを介してその弟子レンブラントにも及んでいる。
執筆者:高橋 裕子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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「エルスハイマー」の意味・わかりやすい解説
エルスハイマー
ドイツの画家。フランクフルト・アム・マイン生まれ。後のプッサン,ロランなどに代表される理想風景画の創始者の一人で,カラバッジョ風の明暗法と,光の効果の表現にすぐれる。作品は小品が多く,《エジプトへの逃避》(1609年,ミュンヘン,アルテ・ピナコテーク蔵)が有名。ルーベンスと交流をもち,レンブラントに感銘を与えるなど,17世紀の画家たちに多大な影響を及ぼした。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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エルスハイマー
Elsheimer, Adam
[生]1578.3.18. フランクフルトアムマイン
[没]1610.12.11. ローマ
ドイツの画家。フランクフルトの画家 P.ウッヘンバハのもとで修業。 1598年にはベネチアの H.ロッテンハンマーのもとで制作。 1600年から死ぬまでローマで制作。カラバッジオ,カラッチ,ルーカス・ファン・ファルケンボルヒなどの影響を受けながら独自の画境を開き,神話的および宗教的主題の小品のなかで,北方のロマン的ビジョンとイタリア的明瞭性とを調和させた理想風景を明暗豊かに描き,ルーベンスをはじめレンブラント,ロランなどに大きな影響を与えた。作品は『キリストの洗礼』 (1600頃,ロンドン,ナショナル・ギャラリー) ,『エジプトへの逃避』 (09,ミュンヘン,アルテ・ピナコテーク) など。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のエルスハイマーの言及
【バロック美術】より
…他方,ミラノで修業したロンバルディア出身の[カラバッジョ]も,1590年ころローマにあって,リアリズムと明暗様式を特色とする宗教画によって大成功をおさめ,この両者の勢力がツッカロらの後期マニエリスムを圧倒し,新時代を画した。カラバッジョの流派からは,ジェンティレスキ,サラチェーニCarlo Saraceni(1579‐1620),マンフレディBartolomeo Manfredi(1587ころ‐1620か21),ボルジャンニOrazio Borgianni(1578ころ‐1616)など,迫力ある明暗様式の画家が輩出したほか,17世紀初頭にローマにあったオランダのテルブリュッヘン,ファン・ホントルスト,ファン・バブーレンDirck van Baburen(1595ころ‐1624),ドイツのエルスハイマー,フランスのバランタン・ド・ブーローニュ,ブーエ(彼はボローニャ派との折衷派であった),いわゆる〈[バンボッチアンティ]〉と呼ばれた北方出身の風俗画派のリーダーでオランダ人のファン・ラールPieter van Laer(1599ころ‐1642ころ)などは,みなカラバッジョ主義者となり,各々自国にこの様式を伝え,17世紀ヨーロッパ芸術の土台をつくった。 ローマ・カトリック教会が安定期を迎えるに及んで,教皇ウルバヌス8世(在位1623‐44)の信任をうけた巨匠[ベルニーニ]の登場とともに盛期バロック期に入る。…
※「エルスハイマー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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