フランスの画家。近世フランス絵画の父とされる。ノルマンディー地方のレザンドリLes Andelys生れ。父は地方貴族の出で,アンリ4世の戦役にも参加した。1612年この町を訪れた画家バランQ.Varinに出会う。12-21年が修業時代で,ジュブネN.Jouvenetのアトリエに出入りしたが,かなり早く(おそらく1612年ごろ)パリに出てラルマンL.G.Lallemand(Lallemant)等に学んだといわれる。フォンテンブロー派のマニエリスムに影響を受け,22-23年にはフィリップ・ド・シャンペーニュとともにリュクサンブール宮殿の装飾にたずさわる。しかし,パリ時代の作品は伝わらない。パリ滞在中のイタリアの詩人G.マリーノの称賛をうけ,24年その援助で年来のローマ行きが実現する。マリーノはまもなく没するが,マリーノの知人であったバルベリーニ枢機卿の後見もあり,しだいにこの地で名声を得るようになる。ローマ初期バロックの激しい動きによる多人数構図を好み,オウィディウスの文学世界(神話主題)をティツィアーノ風の色彩を用いて描く。しかしやがて《ゲルマニクスの死》(1628)に見られるように,安定した構図のなかに堅牢な構成をもつ歴史画や寓意画を描きはじめる。30年大病に陥り,快癒後,アンヌ・デュゲAnne Dughetと結婚。このころからは,ラファエロの作品に強く刺激される。またフランスの美術愛好家の目にもとまり,38-39年フランスの時の宰相リシュリューの強い招きを友人の美術批評家フレアール・ド・シャントルーFréart de Chantelou兄弟を介して受ける。迷ったのちに40年パリに出発。41年ルイ13世から〈首席画家〉に任命される。精力的に仕事をするが,彼に敵意をもつ画家たちとの交渉に嫌悪を感じ,妻を連れに行くとの名目で42年再度ローマに赴き,以後再び故国に戻ることはなかった。家族と親しい友人だけにかこまれた生活のなかで,しだいに古典主義的世界を完成していく。パリ滞在期ころまでは,大構図の注文画も扱うが,その後は作品が小型化し,主題もみずからの哲学的世界を表明するものが多くなる。彼は新ストア派的な理念を強く抱き,〈自由思想家〉の立場に近かった。47-49年ローマに滞在した若きフェリビアンと親交を結び,フェリビアンは後にプッサンの伝記(《談話集》第8巻)を書く。48年前後に,いわゆる〈英雄主義的風景画〉と呼ばれる,広大な自然の中に人物を配した一連の作品群を完成する(《ディオゲネスのいる風景》《フォキオンのいる風景》等)。プッサンにとっては,絵画とは〈高貴な人間の行為action〉を描き出すことであり,この理念はG.P.ベローリやフェリビアンによって伝えられ,のちにフランスのアカデミーの規範とされた。60年,従来からの病が悪化。ふるえる手で,没するまで,汎神論的世界観にもとづく《四季》の連作(1660-64)や,幻想的な寓意的風景画を残す。フランスでは時代を超えて長く敬愛され,新古典主義の画家のみならず,E.ドガや〈自然にならってプッサンをやり直し〉たP.セザンヌなどの手本ともなった。
義弟ガスパール・デュゲGaspar Dughet(1615-75)も画家で,プッサンを崇敬し,ガスパール・プッサンGaspar Poussinと名のった。彼はローマで生まれ,ニコラ・プッサンに教わり,風景画を描く。C.ロランやニコラと並び,古典的風景画家の一人である。体質的にはロマン主義的なものが強く,自然は荒々しく,ニコラのように抑制されることがない。長く忘れられていたが,18世紀イギリスでは,S.ローザとともに好まれた。現在もイギリスに作品が多い。
執筆者:木村 三郎
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…16世紀末,ボローニャでA.カラッチがアカデミーを創設して古典主義の復興を試み,レーニ,ドメニキーノなどを生み出したが,長くは続かず,古典主義は17世紀のフランスに移植されて大きな成果をもたらした。建築では,S.deブロス,F.マンサール,彫刻ではジラルドンなどがその成立に貢献したが,とくに絵画において,ル・シュウール,G.deラ・トゥール,ル・ナン兄弟,それにバロックの中心であったローマでもっぱら活躍したN.プッサン,クロード・ロランなどによって,深い精神性と静謐な調和に満ちた絵画様式が,しだいに形づくられていった。なかでも,30歳以降のほとんどの時期をローマで過ごしたプッサンは,初期にはバロック的傾向も強く残していたが,やがて古代の思い出と,厳しい構成感覚とがみごとに融け合った堂々たる古典主義様式(《アルカディアの羊飼い》等)を完成した。…
…たとえば,公共建築などで中央にドームのある主屋,両脇に低い翼部を配するといった構成は,彼の手法そのままであり,〈異人館〉の開放的ベランダなども,もとは彼の手法から出ている。建築以外の分野でもパラディオの影響には無視しえないものがあり,絵画におけるN.プッサンやルーベンス,文学におけるゲーテなどは,いずれも熱心なパラディオ主義者であった。【福田 晴虔】。…
…これは本質をつく見解ではあるが,今日では克服された一面性をもっている。なぜならば,ルーベンスの画面は開かれた空間をもっているが,つねに対角線によるバランスと調和を保っており,プッサンは深奥的であるが構築的である。またウェルフリンのいう反古典主義の最も典型的な作例はマニエリスムの芸術,たとえばティントレット,エル・グレコ等にみることができる。…
…事実,長い歴史を通じて多様な展開を示してきたフランス絵画の最も大きな特質の一つとして,秩序と構成への意志を指摘することができる。ランブール兄弟の《ベリー公のいとも豪華なる時禱書》からプッサン,シャルダン,セザンヌを経て20世紀のマティス,ブラックにいたるまで,その多彩な表現はつねに厳しい造形性に支えられている。ゴシックの建築家やデカルトの合理主義に代表されるような知性への信頼を特色とするフランス精神は,絵画の分野においても,奔放な想像力の飛翔や激しい情熱の吐露を厳しい秩序に従属させることを忘れない。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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