オレゴン問題(読み)オレゴンもんだい(その他表記)Dispute over Oregon

改訂新版 世界大百科事典 「オレゴン問題」の意味・わかりやすい解説

オレゴン問題 (オレゴンもんだい)
Dispute over Oregon

アメリカのカリフォルニア北部からアラスカ南端に至るオレゴン地域の領有をめぐる英米間の国境画定問題。同地域は,19世紀初めまではスペインロシアイギリス,アメリカの4国が領有権を主張して譲らなかったが,1819年と24年にそれぞれスペインとロシアが請求権を放棄して以後は,英米2国が1818年の合意にもとづいて共有する形になった。しかし,30年代の後半に始まるアメリカ人のオレゴン移住熱の高まりは,40年代に入って,北緯54°40′線を北端とするオレゴン全域を合衆国に併合しようとする国家膨張熱へと発展し,これに反対するイギリス側との間に幾度か交渉がくり返された。44年の選挙で〈オレゴンの再占有〉を掲げて当選したポーク大統領は,初めは北緯54°40′までの領有を唱えていたが,46年のオレゴン条約では結局北緯49°線による分割という妥協に同意した。ここに太平洋岸における米英の国境が確定し,両国とも初めて太平洋岸に領土を獲得した。
マニフェスト・デスティニー
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オレゴン問題」の意味・わかりやすい解説

オレゴン問題
おれごんもんだい
Oregon Question

19世紀前半に、北米オレゴン地域の領有をめぐって起こった外交問題。北アメリカの太平洋に面し、カリフォルニア北端からアラスカの南に至る広大なオレゴン地域は、19世紀初めまでスペイン、ロシア、イギリス、アメリカの4国が領有権を主張していたが、スペインとロシアが相次いでその主張を取り下げたため、1824年以降は、米英両国が共同で領有する形になっていた。しかし、1840年前後から同地域に移住するアメリカ人が増えるにしたがい、オレゴン全域の獲得を求める声がアメリカ国内に高まり、「北緯54度40分か、さもなければ戦争!」というスローガンを掲げて大統領に当選したポークのもと、イギリス政府との交渉が重ねられた。その結果、1846年、アメリカと英領カナダ既定境界の延長線、すなわち北緯49度線をもってオレゴンを分割することで妥協が成立した。このオレゴン協定により、アメリカ合衆国とカナダの国境線が最終的に確定した。

平野 孝]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オレゴン問題」の意味・わかりやすい解説

オレゴン問題
オレゴンもんだい
Oregon Question

アメリカ西部オレゴン地方の領有をめぐるイギリス,アメリカ,ロシア,スペイン4ヵ国の紛争。スペインとロシアは手をひき,アメリカとイギリスの係争は 1846年のオレゴン条約で北緯 49度線を国境とすることで決着をみた。

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