カリブ海の古代文化(読み)かりぶかいのこだいぶんか

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カリブ海の古代文化
かりぶかいのこだいぶんか

カリブ海地域の北部には、北アメリカのフロリダ半島などと関係の深い採集漁労民の文化が早くから存在していたと考えられるが、農耕を伴う高い文化は、南アメリカ北部の現ベネズエラ沿岸地方から、小アンティル諸島を経てプエルト・リコ、イスパニョーラ、キューバ、ジャマイカなどの大きな島々に伝播(でんぱ)している。南アメリカ北部においては、紀元前1000年ごろには土器を伴う農耕文化が発生していたが、おそらくアラワク語族に属する民族集団が、西暦紀元開始直後からマニオク栽培の農耕技術を小アンティル諸島に伝え始め、やがてトウモロコシ、サツマイモなどの栽培も定着していった。赤地に白色で装飾文を描くサラドイド型式の土器がこの文化の指標であり、おそらく紀元後150年ごろまでに、プエルト・リコ島まで達している。この型式の土器は、大アンティル諸島の島々においてオスティオノイド、メイリャコイドなどの土器型式に発展し、紀元1000年以後になると、オスティオノイドの伝統が、ベネズエラから新たに伝播したバランコイド型式の土器伝統と統合されて、チコイドという新たな型式が生み出された。その中心地は現ドミニカ共和国、すなわちイスパニョーラ島の東部であり、そこから現ハイチ共和国、プエルト・リコ、キューバ東部、バハマ諸島、バージン諸島などに波及した。この土器の流れは、イスパニョーラ島東部に興った新しい農耕文化を代表していると考えられ、ゴムまりを使う球戯がこの文化の特徴的な要素であった。そして、球戯場の遺構や、球戯に用いられたと推定される石製用具の様式などから、この文化が、メソアメリカ文明の影響を受けていることが判断される。

 チコイド型式の土器は、単色の素朴な技術によってつくられているが、その表現力は実に豊かであり、人間や空想的な存在が、古拙的な力強い造型力によって巧みに表されている。コロンブスが第1、第2回航海のときイスパニョーラ島で接触したのは、タイノとよばれるアラワク系の住民であり、彼らがチコイド土器を使用していたわけであるが、同伴したラモン・パネ神父の報告によれば、タイノ人のシャーマンは麻薬の使用者であったというから、チコイド土器に現れた奔放奇怪な表現は、麻薬の使用と関連があったのかもしれない。パネ神父は、タイノ人がセミという石像を守り神として信仰し、首長は自分のセミを安置する社(やしろ)をつくっていた、と報告しているが、セミの遺物は無数に出土している。タイノ人はスペイン植民地時代初期にほとんど絶滅したが、その語彙(ごい)は、カノア(カヌー)、アマカ(ハンモック)、カシケ(首長)、マイス(トウモロコシ)、チチャ(トウモロコシ酒)など、多少スペイン語の語彙に入っている。

 コロンブスが到着した15世紀末において、熱帯林の採集狩猟文化をもつカリブ語族系の民族が、トリニダード島に侵入し、そこから徐々に小アンティル諸島を北上して、プエルト・リコ島のアラワク系住民の間に侵入しつつあった。コロンブスらは、この民族をカリブとよび、人肉食の習慣があるとヨーロッパに伝えたため、カニバルとよばれる食人種の概念が成立するに至った。しかし実際には彼らがほんとうに人肉食の習慣をもっていたかどうかは確定しがたいという説もある。カリブ系住民が居住したことを示す考古学的痕跡(こんせき)はきわめて少ないというので、彼らの小アンティル諸島への侵入は、コロンブス到着の直前に始まったとみてよかろう。

[増田義郎]

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