食事に用いる器具の総称。一般には主食、副食、飲み物などを供する道具をいうが、広い意味では食物を調製するための調理具をも含む。本項では食卓で用いる食器を中心とする。
[木内裕子]
食卓で用いる食器を大別すると次の5種類になる。
[木内裕子]
椀(わん)(飯椀、茶椀、汁椀、カップ、ボウル)や皿。食器の起源は、古代の遺跡から発掘されるわずかな遺物から推測せざるをえない。旧石器時代には土器がつくられていないので、木の葉や石を食器としていたであろう。現在でも高温多雨地域で採集狩猟を生業とする社会では、木の葉を食器として用いている。このような葉皿(はざら)文化圏はインドから東南アジア、日本、オセアニアにわたって広く分布していた。インドやネパールのヒンドゥー文化圏では、サラソウジュの葉を竹ひごで縫い合わせた皿を日常的に、また儀礼の際に用いる。オセアニアではタロイモやバナナの葉を、東南アジアのジャワではゴドン・マンコックというウコギ科の植物の葉を用いる。日本でもホオノキ、カシワなどの葉を食器として用いていた。
本格的な食器をつくり始めたのは農耕牧畜段階に入った人々であった。農耕牧畜が始まると、土器がつくられるようになった。しかし、土器は食物の貯蔵具であり、また煮炊き用の調理具として用いられることが多く、食物を盛り付ける皿の類が出現するのはずっと遅れる。アフリカや東南アジアの山地民などの一般的な食事様式は、洗面器大の木鉢や籠(かご)に入った食べ物を、家族が手を伸ばして食べるもので、食器はすべて共食器である。とくに竹製の籠は、強飯(こわめし)のような水分の少ない食物を常食とする社会では有用である。ところが、ヨーロッパ、中国など高度な文明の発展した社会では、共食器と個人の口との間に個人用食器(取り皿、椀皿など)を介在させるようになる。また、インドや日本では個人用食器が非常に発達した。インドでは、ターリーとよばれる金属製の丸い盆に、金属製の小鉢を並べる。インドは熱い汁物のない料理体系であるため、金属器を用いることが可能である。また日本では、膳(ぜん)の上に各自が食べる分の料理をのせる個人食器を置く形式が発達した。
[木内裕子]
フォーク、ナイフ、箸(はし)、杓子(しゃくし)など。多くの未開社会では原初的には手づかみでものを食べていた。現在でもインドのような高文化社会を含め手食をする文化は多数ある。また、西アジアでは麦からつくられたナンやフブスというパンを、いまでも、スープを飲むスプーンに代用したり、食べ物を挟む道具にしたり、料理を盛る道具としている。
この種の道具を使う文化を大きく分類すると、箸文化圏とナイフ・フォーク文化圏に分けられる。箸を使って食事をするのは、米を主食とする日本、中国、朝鮮、ベトナムの人々である。箸は中国で殷(いん)代(前17ころ~前11世紀)にはすでに使われており、漢民族により継承され発展した。日常用としては木製、竹製およびそれらの塗り物が多いが、ハレの際の箸としては象牙(ぞうげ)、黒檀(こくたん)を用いることが多い。しかし、中国では、箸はかならずちりれんげという陶製のさじと併用されており、かつてはさじ主箸従であった。朝鮮でも、さじ主箸従の食事様式が守られており、箸のみが主食事具となっている日本とは対照的である。
一方、ヨーロッパのナイフ・フォーク文化は、箸よりも発生の時期がかなり遅れる。レオナルド・ダ・ビンチや同時代の他の画家の食事の光景を描いた絵にも、肉切り用のナイフは描かれてはいるが、フォークやスプーンは描かれていない。フォークが使われるようになったのは、16世紀ごろのイタリアが最初で、北方へ伝播(でんぱ)した。スプーンは逆に北欧で生まれ、南へ伝わった。こうして、ヨーロッパにおいて手づかみの食事法から、ナイフ、フォーク、スプーンでの食事法へ完全に変わったのは、18世紀なかばである。
[木内裕子]
コーヒーカップ、ティーカップ、湯飲み、タンブラー、酒器(徳利(とくり)、杯(さかずき)、ジョッキ、グラス)など。未開社会では、酒器はヤシの実の殻、竹筒、ウシの角などの自然物を利用したものが多い。日本でも、古くはカシワの葉を杯に代用していた。しかし、古代および未開社会の酒器は一般に酒に限らず普通の飲食器として用いられたようである。飲み物を入れる器についても、イスラム世界のように、一つの器から皆で回し飲みする文化や、インド、中国、日本のように個人用食器として使われる文化がある。
[木内裕子]
料理品、食料品を貯蔵、保存する食器として飯櫃(めしびつ)、魔法瓶、ジャー、甕(かめ)、壺(つぼ)、瓶子(へいじ)など、また安置する道具として机、台盤、膳、折敷(おしき)、盆などがある。これらは調度品ともみられるものもある。個人用食器の発達した日本やインドでは、それをのせる個人用の台(膳やターリー)が発達した。
[木内裕子]
ヨーロッパでは、17世紀なかばまでは、大皿から手づかみで共食し、フィンガーボウルで手を洗って布でぬぐうという食事形式であった。大皿は、青銅製や陶製であったが、金や銀でつくられたものもあった。料理用のナイフは青銅製、酒器は陶器、木、ガラス製品が多かった。16世紀には個人用食器の普及と並行して、フォークやスプーンが使用され始めた。スプーンは各人によって携行される習慣が生まれ、旅行の際にナイフとフォークを携帯する風習のある地方もみられた。スプーンについては、各種の信仰や風俗が伴っている場合が多い。たとえば、中世の北欧では、魔除(まよ)けや幸福をもたらすために、木のスプーンに彫刻を施していた。イギリスでは、子供が洗礼を受けるときに、柄にキリストの12人の弟子の像を刻んだ一組のスプーンを名付け親から子供に与える風習があり、「使徒のスプーン」とよばれた。また英語のspoonyは、「女に甘い」「ほれ込んだ」を意味するが、元来、スプーンが恋人へのプレゼントであったことに由来している。
一方、17世紀に入ってから、白鑞(びゃくろう)という鉛と錫(すず)の合金が現れ、スプーンや皿、壺が加工の簡単な白鑞でつくられるようになり、さらに、18世紀に磁器がマイセンでつくられるようになると、今日の西洋料理で使われる食器がほぼそろうようになった。
[木内裕子]
殷・周時代から用途別の種々の食器が使われた。日常的に使用されたのは土器であったが、祭器(礼器)は青銅製であった。祭器から推測すると、当時は、鼎(かなえ)(三本足で両耳のついている、肉を煮る道具)から、畢(ひつ)(フォーク状の道具)と匕(ひ)(大形のさじ)で肉を取り出し、俎(そ)(長方形の台に支えの足をつけたもの)にのせ、この上で肉をさばいて各人が手づかみで食べていたようである。また、酒やスープを飲むときには、(し)とよばれる細長いさじを使っていた。漢代になると、料理は盤に盛られ、案とよばれる机より低い膳にのせられ、さじのほかに箸を使って食べるようになった。当時は、床に座る生活をしていた。このような膳に料理をのせる形式は、朝鮮や日本でも発達した。しかし、中国では南北朝以降、案の高さはしだいに高くなり、唐代には、ついに食卓と椅子(いす)が使われるようになった。五代十国時代以降は、食卓と椅子による食事が一般的となった。なお現在、中華料理店では、円形の食卓の中央に回転盤をのせて共食器の大皿を置いているが、これは日本人の発明品といわれている。
食器の材料としては、六朝(りくちょう)時代以後、陶器や漆器が使われた。とくにニレを材料とし、ろくろを回してつくる漆器の皿や椀が多用された。今日では、一部の祭器以外は、ハレのときもケのときも陶磁器製食器を使うことが多い。さらにハレとケの食器の区別が少ないだけでなく、個々の食器の用途の区別も複雑ではない。なぜなら、皿、鉢、丼(どんぶり)などが料理によって使い分けられるにしても、日本と異なり、丼の中のご飯におかずをかけて食べるぶっかけ飯も行儀の悪いこととはみなされていない。そのため、食卓で用いられる個人食器は、小さな取り皿と小さな椀、箸と、ちりれんげ程度で十分である。
[木内裕子]
食器の源流としては次の2種類が考えられる。一つは土器であり、縄文時代よりまず最初に煮炊き用、貯蔵用が現れ、それから狭義の食器が登場する。青森県八戸(はちのへ)市にある縄文晩期の是川(これかわ)遺跡には、鉢、壺、甕、注口土器、茶埦(ちゃわん)、皿、高坏(たかつき)などがそろって出土している。もう一つの源流は葉皿である。葉皿は煮炊き用具、食器になり、また餅(もち)や団子などを包むパッケージにもなる。『万葉集』には、有間(ありま)皇子の次のような歌がある。「家にあれば笥(け)に盛る飯(いい)を草枕(くさまくら)旅にしあれば椎(しい)の葉に盛る」。この歌のなかの笥とは「葦(あし)または竹を編んでつくる飯または衣服を入れる四角な箱」のことであり、椎の葉に盛ったのは、椎の葉のついた枝を竹ひごでつなぎ合わせて皿としたものと思われる。この葉皿は現在でも使われ、岐阜県高山市では煮炊き用、食器用として朴(ほお)の葉が売られている。奈良県奥吉野で朴の葉寿司(すし)、長野では朴葉巻きがつくられており、宮中の新嘗(にいなめ)祭では柏(かしわ)の葉でつくった皿が用いられている。
縄文~弥生(やよい)期には、これらの土器や葉皿は共食器として用いられていたものと考えられる。事実、出土する土器は、大形のものが多く、小形の食器は、個人に行き渡るほどはつくられていなかった。個人食器が遺跡から多数出土するようになるのは、6世紀以後のことである。平城京址(し)からは、素焼の土師器(はじき)や、高温で焼き上げた須恵器(すえき)、笥や、漆椀のような木製の食器、重ね式の金属椀、木製・金属製の箸などが多数出土している。中世以降の庶民の食器の主流も、やはり土師器や須恵器であり、また木の椀も多く使われたが、漆器はまだ一般には普及していなかった。漆器が広く使われ始めたのは、近世前半のことであり、近世後半には磁器が普及した。
一方、日本の食器史のなかの特徴の一つとして、膳の発達があげられる。日本で膳の形式が発展してゆく過程は、何人かの人が同じ食卓を囲んで共食器から料理を取り分けて食べる習慣が消失していく過程でもある。古くは、縄文晩期の是川(これかわ)遺跡から、食事を盛り付ける器に足をつけた高坏が出土しており、これは、平安時代には食器をのせる台としての高坏となる。また台としての高坏が出現する以前は、文机(ふづくえ)の大きさに相当する机が食卓として利用され、宴会時には、これらをいくつもつなげて食卓とした。しかし、中世以後は机はもっぱら文机として使われ、食器をのせるものとしては、片木(へぎ)を四方に折り回して縁とした四角い盆である折敷(おしき)や、板製の盤が使われるようになった。これらはやがて足がつけられ、膳となった。膳はもっぱら個人食器をのせるものであり、盤を大形にして足をつけた長台盤のように、いくつもつなげて宴会用に用いられたものは珍しい。一方、庶民の間では、盤や折敷とは違う系統から出た箱膳が用いられた。これは箱の蓋(ふた)をひっくり返して膳とするもので、中には個人の食器が納められていた。初め禅寺で用いられたが、近世に入り武家、庶民にまで普及した。
さらに日本の食器のもう一つの特徴は、ハレとケの食器が著しく分化していることである。貴族や僧侶(そうりょ)、武士によって形成された略式の供宴料理である懐石料理、やや略式の袱紗(ふくさ)料理、冠婚葬祭などの礼式、供宴用の正式な本膳料理の食器は、室町時代に成立し、江戸時代末期までに一般庶民に普及した。本膳料理は、汁と菜の数によって膳の数も異なるが、正式のもので本膳(一の膳)から五の膳までの五つの膳の上に、漆製の汁椀、飯椀、陶磁製の皿などが並べられる。江戸末期以降の庶民の家庭では、ハレとケの二つの食器セットを保有し、その余裕のない家は本家から必要に応じて借りたりしたが、大正時代以後は、欧風料理の導入、生活の簡素化とともにハレの器は使われないようになった。
日本において食器と信仰とが結び付いている例としては、「杓子(しゃくし)」が考えられる。杓子は現在でも、山の神の祭りや農村の祝言(しゅうげん)の際に、杓子舞を踊るために用いられる。また、杓子は穀物をつかさどり福を招く呪物(じゅぶつ)とも考えられ、広島の厳島(いつくしま)神社の杓子、箱根の山杓子などは有名である。さらに、杓子と女性のかかわりはかなり深いものがあり、主婦のことをしばしば「山の神」とよぶ。なぜなら、日本では杓子は主婦権の象徴と考えられてきたからである。たとえば、主婦のことを東北地方では「へらとり」といい、姑(しゅうとめ)から嫁へ主婦権を譲ることを長野や新潟では「しゃくしわたし」、青森や岩手では「へらわたし」というのも、主婦と杓子とのつながりを示すものといえる。
[木内裕子]
芸術的にも材質的にも高価な食器は、各家庭でたいせつに保存され、特別なときに使用されるようになったが、第二次世界大戦後は合理性が優先し、使い捨てや次々と買い換えのきく安価な食器類が多くなってきている。料理の形態によって、その国ごとの特徴ある形をもつが、普通は和食器、洋食器、中国食器に大きく分けられる。
(1)和食器 椀(わん)、皿、鉢、小物類に分かれる。用途により、椀は飯碗(めしわん)、汁椀、蒸し椀、煮物椀があり、材質には木製、漆器、陶製がある。茶碗は、本来茶用であったものが転化したもので、茶用は抹茶茶碗、湯飲み茶碗とよばれて区別されている。皿の多くは円形で、花形、四角、八角、隅切り、隅丸(すみまる)、扇面(せんめん)などの変形があり、用途によって刺身皿(向付(むこうづけ))、焼き物皿、手塩(てしお)皿、しょうゆなどを入れる小皿などがある。また深皿、浅皿、大皿、中皿、小皿の別もある。特殊なものでは、高知県の皿鉢(さわち)料理を盛る超大皿(皿鉢)もある。鉢では丼(どんぶり)鉢、煮物用鉢、菓子鉢、漬物などを取り分ける小鉢、つゆを入れるためのそば猪口(ちょく)などがあり、そのほか小物としては、しょうゆ差し、酒徳利、佃煮(つくだに)入れ、箸(はし)置き、壺(つぼ)などがある。
(2)洋食器 和食器のように複雑ではなく、主体は皿で、ほかにボウル、グラス、カップ、ナイフ、フォーク、スプーンなどがあり、いろいろな大きさと形がある。皿には、前菜を盛り入れる大皿、各人用のパン皿、スープ皿、肉皿、フルーツ皿、デザート皿などがある。ボールにはサラダボウル、パンチボウル、フィンガーボウルが、カップ類にはスープ用、飲み物用、ミルク用が、グラス類には酒用のグラス類、タンブラー、ゴブレットなどがある。
(3)中国食器 陶磁器が一般的だが、一部には銀器もある。碗には、スープ鉢の湯碗(タンワン)、温かい料理を入れる蓋(ふた)つきの蓋碗(カイワン)といった大形のものと、ご飯茶碗の飯碗(ファンワン)、各人に取り分けるための小鉢などがある。皿類では、平皿の盤子(バンツ)、足のついた盆子(ベンツ)、丸ごとの魚を盛る魚盤(ユイバン)、取り分け用の小皿などがあり、小物では箸、ちりれんげ、調味料や薬味入れ、また、徳利の酒壺(チウフー)、杯の酒(チウハイ)、湯のみ茶碗の茶盅(チャーチョン)といったものがある。
(4)その他 子供用には特殊な形のものがいろいろあり、とくに乳幼児用の初期の食事学習に便利なようにくふうされたものもある。また遠足や旅行、登山などの携帯に便利な弁当箱、重箱、バスケット、水筒などもあり、木や竹、プラスチック、籐(とう)、紙、金属とさまざまなものが使用されている。
[河野友美・大滝 緑]
食器は材質によって、金属食器、陶磁器、漆器、ガラス食器、プラスチック食器、紙食器、木製、その他に分類することができる。
(1)陶磁器 もっとも広く食器に利用され、絵柄などにくふうを凝らすとともに、目的にあった形態や美的形態などが折り込まれたものが多い。また品質に大きな差があり、柔らかいものは衝撃で欠けたり割れたりするので、注意が必要である。
(2)漆器 椀、皿、籠(かご)、酒器、膳(ぜん)、盆、箸など、かなり幅広く用いられている。土台としては木がもっとも多く使われるが、竹や紙、合成樹脂なども用いられる。新しい漆器で漆(うるし)のにおいのするものは、米櫃(こめびつ)の中に4~5日埋めるか、缶などに脱臭剤とともに入れておくとにおいがぬける。中性洗剤を用いてぬるま湯で洗う。ぬらしたままにしておくと塗りがはげるので、洗ったあとは手早く水きりし、乾いた柔らかい布でよく拭いて、水けをとっておくことがたいせつである。
(3)金属食器 金、銀、銅、錫(すず)、真鍮(しんちゅう)、ステンレススチールなどが使われるが、おもに鉢、皿、ボウル、ナイフ、フォーク、スプーン、弁当箱、カップなどに利用される。鉄では鋳物、鉄板の打ち抜き、ほうろう引きが、またアルミニウムでは、紙アルミ、アルマイト、表面被膜加工品などがある。ステンレスやアルミニウムなどは比較的手入れが簡単だが、金、銀、銅、錫などの柔らかいものは、表面に傷がつかないようにスポンジで洗い、水きりしたあとはさびないように、すぐ乾いた布で拭いて水けをとっておく。また、ほうろう引きは落としたりぶつけたりしないようにするとともに、表面に傷がついて汚くならないよう、硬いたわしなどで洗わないようにする。
(4)ガラス器 グラス、ボウル、鉢、皿などのほか、一部のカップ、スプーン類に利用される。グラス類には耐熱、耐衝撃性の材質も使われ、鉢や酒用グラスにはクリスタルガラスが使われる。曇りが気になるガラス器は、洗剤を使って柔らかいスポンジでそっと洗い、湯を通して水がきれたのち、乾いた麻のふきんでこするように磨くと、きれいに光り、透明となる。
(5)プラスチック食器 形が自由につくれるので、あらゆる種類の食器に利用されている。各種の材質が使用されるが、食器用はとくに配合添加物や色素顔料などの食品用規定に合格したものしか使用できないため、合格マークのシールが貼(は)ってあるものを選ぶことがたいせつである。また熱に弱く、高温になると変形するものもあるので、熱湯には注意する。傷がつきやすく、長期間使用すると汚れも自然に付着するが、これはこすってもとれないし、強くこするとかえって汚くなるので、適当に廃棄したほうがよい。
[河野友美・大滝 緑]
食器は、器の中の食物を美しく見せて食欲をそそるとともに、手に持ったときの手ざわりや重量感、口をつけたときの飲みやすさなど、各種の働きがある。心理的要素も大きく、たとえば薄いクリームがかった白色のほうが、純白のものよりも緑の野菜を引き立たせるというように、中に盛った料理が引き立つ色や柄(がら)のものはおいしく感じる。材質そのものの色も、料理の見栄えに大きな影響を与える。手に持つ茶碗などでは、持ったときの手に感じる安定感や重量感もたいせつで、いくらかずっしりとしていて、手のひらに安定してのるものがよい。また、湯飲みのように直接口に触れるものは、表面がざらつかず、温かみがあって飲みやすいものを、グラスでは清涼感とともに、中の液体が光の屈折でおいしそうに見えるものを選ぶことがたいせつである。
[河野友美・大滝 緑]
『家庭画報編『家庭画報料理教室24 食器と台所』(1980・世界文化社)』▽『『週刊朝日百科 世界の食べもの136号 食器と食卓の文化』『週刊朝日百科 世界の食べもの113号 食器と食事様式』『週刊朝日百科 世界の食べもの19号 食器・食卓・台所用品』(1981~1983・朝日新聞社)』▽『日本民具学会編『食生活と民具』(1993・雄山閣出版)』▽『神崎宣武著『「うつわ」を食らう――日本人と食事の文化』(1996・日本放送出版協会)』▽『成美堂出版編『洋食器の事典――世界の一流食器コレクション』(1997・成美堂出版)』▽『芳賀登・石川寛子監修『全集 日本の食文化9 台所・食器・食卓』(1997・雄山閣出版)』▽『第一出版センター編『最新版 美しい和食器の世界』増補改訂版(1998・講談社)』▽『神崎宣武著『図説 日本のうつわ――食事の文化を探る』(1998・河出書房新社)』▽『今井秀紀著『洋食器を楽しむ本』(1999・晶文社)』▽『毎日新聞社「至宝」委員会事務局編『宮中の食器』(1999・毎日新聞社)』▽『ノリタケ食文化研究会編『器物語――知っておきたい食器の話』(2000・中日新聞社)』▽『葵航太郎・木村一彦著『オールド大倉・東陶・名陶――大正・昭和モダン食器』(2001・トンボ出版)』
食事に用いる器具。狭義では,椀,茶碗,皿,鉢,杯,グラスなど,特に食卓で使う飲食用器と,箸,スプーン,ナイフ,フォークなど飲食用具をさす。広義では,これに加え鍋,釜,すり鉢,包丁などの調理用器具,保存用器具,食膳,盆,重箱なども含む。ここでは狭義の食器のみをとりあげる。
飲食用の器具には,食事を共にする何人かが共同で使う共用器と,各自が使う銘々器とが区別できる。日本の現代の食器でいえば,湯飲み用の土瓶,煮ものなどを盛りつけた大鉢,サラダの大皿などが共用器,飯茶碗,汁椀,小皿,湯飲み茶碗,箸などが銘々器である。現在では,欧米,中国,朝鮮半島ほか世界各地の食事で共用器,銘々器が併用されている。しかしアフリカ,西アジアの牧畜民,農耕民のあいだでは共用器のみを用い,銘々器を使わない食事が広くみとめられる。日本の縄文人をはじめ,世界の先史時代の食料採集民の古い段階の土器には,本来,共用器も銘々器も存在しないらしい。新しい段階(後・晩期)の縄文土器,海外では先史時代の農民の土器には共用器が存在する公算も大きい。ヨーロッパでは,ローマ時代の赤色土器(テラ・シギラータ)に共用器,銘々器がともに存在する。しかし中世に入ると銘々器は姿を消しており,その後半になってようやく再現した。16世紀後半,フランスのモンテーニュは南ドイツに旅して,めいめいが杯をもって飲むさまに一驚と書き残している。〈最後の晩餐〉をテーマとする絵画のうち,古いものには共用器のみで銘々器を欠くもの,パンを銘々皿として代用しているものが多い。中国ではおそくも漢代に共用器と銘々器を併用し始め,朝鮮半島ではおそくも三国時代以来,両者を用いている。日本では弥生時代末ころの高杯(坏)(たかつき)や鉢が銘々器の可能性があり,《魏志倭人伝》の籩豆(へんとう)(高杯)を食事に用いた,という記事との関連も興味深い。須恵器出現(5世紀)後,土師器をも含め坏,皿など銘々器は全国的に普及した。
世界の食器を通観して日本の食器に特徴的なのは,銘々器に誰々のもの,と所属が決まっているものがある事実である。銘々器は各自が使うものであるから,飲食が始まると終るまで他人は使わず,〈一時的な属人性〉が認められる。しかし,形,文様や記入した名前などによって他と区別可能な器を特定の人が使うことが認められていることもある。この〈恒常的な属人性〉がみとめられている銘々器を属人器とよんでおく。日本では,飯茶碗,箸,湯飲み茶碗が属人器であることが多く,朝鮮半島では,飯碗,汁碗,箸,匙が属人器にぞくしている。中国および欧米には属人器はない。ヨーロッパではナプキンおよびナプキンリングに恒常的属人性を認めているところがある。このほか,スリランカでは飯皿,台湾南東方の蘭嶼ではトビウオ料理をのせる木皿,モンゴルでは携帯する鉢,ナイフが属人器である。朝鮮半島における属人器は,飲食にあたって飯や汁を配る順序のめやすに有効という。日本の属人器もその役割を果たしてきた。西日本および朝鮮半島においては,葬式の出棺に際して戸口のところで飯碗を割る儀礼がある。属人器をもつ社会にのみ通用する儀礼といえよう。奈良平城宮の土器には,他人の使用を禁じる墨書をもつものがあり,属人性の主張をしめすものとして興味ぶかい。ローマ時代の軍団駐留地の銘々器にも名や記号を刻んだものがある。いずれも集団生活が営まれる場所で食器の混同を嫌った所産である。16世紀の近畿地方の漆器の椀には名前らしい文字を記したものがあり,また当時の飯用木椀が属人器だったことを示す記録もある。しかし,属人器の存在が顕著になる動機のひとつになったのは,銘々膳(箱膳)から共用膳(食卓)への転換であった。また木椀から陶磁器の茶碗への転換も文様の種類の選択が可能になるなど,属人器の発達をうながす動機となったといえよう。
執筆者:佐原 眞
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…これらの食事行動のちがいも文化の問題に帰するものである。食品加工や料理と食事行動にまたがる分野としては,食器類の製作と,その使用法に関する問題などもある。人類の食事文化のうち食品加工や料理については他の項目にゆずり,ここでは主として人類の食事行動を中心に考察することにする。…
…おそらくは黒地朱漆塗仕上げであるところからその名が生まれたのであろう。
[黒地朱塗の漆器]
〈根来〉と称されるものの遺品は,椀,皿,鉢,酒器,盤,折敷,高杯などの食器,食膳具をはじめ,茶器,薬器,神饌具,仏具,武器,武具,調度など多種・多岐にわたる。とりわけ食膳具が主流を占めているのは,伝存する遺品のほとんどが社寺の什器として神饌・仏供の具に使用されたり,社寺での接客・饗宴用にしつらえられた品々だからである。…
※「食器」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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