アフガニスタン南部の都市。人口32万4800(2002)。Qandahārとも記される。古くからアフガニスタン国内でのパシュトゥーン族の最大の中心で,ドゥッラーニー朝のアフマド・シャー・ドゥッラーニー(1722-72)や,ギルザイのミール・ワイス(?-1715)の墓がある。住民の大部分はパシュトゥーンで,用語はパシュトゥー語である。東はパキスタンのクエッタ,北はカーブル,西はヘラートへ,いずれも天然の障害なく通ずる古代以来の交通の要地で,前4世紀にすでに,ギリシア名アラコシアArachōsiaで知られている。商業が盛んで,国際空港もある。ムガル帝国のバーブルが岩山に彫ったチヒル・ジーナ(40階段)が名所の一つである。
執筆者:勝藤 猛
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アフガニスタン南東部、カンダハール州の州都。人口約32万9300(2001推計)で、首都カブールに次ぐ同国第二の都市である。住民はアフガン人とタジク人が半々で、アフガニスタンでパシュトー語が共通語になっている唯一の都市である。市内の道路は直線的で広い。高速道路がカブール、ヘラート、パキスタンのクエッタに通じ、国際空港もある。商業が盛んで、毛織物、果物缶詰の工場がある。町の起源はアレクサンドロス大王がこの地にアラコジアという町を建設したことに始まり、18世紀中期にはドゥッラーニー朝の首都であった。ムハンマド(マホメット)が着ていたといわれるシャツを祀(まつ)ったモスクであるヘルカイ・シャリフ・ジアーラト、岩窟(がんくつ)の望楼チヒル・ジーナ、1709年にサファビー朝に反乱を起こしたギルザイ系アフガン人ミール・ワイスと、1747年にここで即位したアフガニスタン建国者アフマド・シャーの墓廟(ぼびょう)などがある。1880年にアフガン軍がイギリス軍を撃破した古戦場マイワンドは、北西数十キロメートルにある。
[勝藤 猛]
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