キリノ(英語表記)Quirino, Elpidio

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

キリノ
Quirino, Elpidio

[生]1890.11.16. ビガン
[没]1956.2.28. ノバリチェス
フィリピン政治家。 1915年フィリピン大学卒業後,法曹界に入った。 19~25年フィリピン議会下院議員,25~31年同上院議員。 34年フィリピン連邦の成立に伴い,連邦政府の蔵相,内相をつとめた。 46年自由党の M.ロハス大統領のもとで副大統領,48年同大統領急死によって大統領に就任,国内の共産系ゲリラ「フク団」の制圧に力を注いだ。 49年 11月の選挙で国民党を破って再任され,フィリピンの親米反共路線を確立した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

キリノ(Elpidio Quirino)

[1890~1956]フィリピンの政治家。第二次大戦中は抗日運動を指導し、独立後は副大統領、次いで大統領に就任。外交面では反共・親米政策をとった。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

キリノ
きりの
Elpidio Quirino
(1890―1956)

フィリピンの政治家。1915年フィリピン大学卒業、弁護士試験合格。1919年下院議員、1925年上院議員に当選。1935年以後のフィリピン連邦下で財務長官、内務長官を歴任。1943~1945年の日本軍政期に抗日運動を指導。1946年独立とともに副大統領に就任、1948年ロハス大統領の急死で大統領に昇格、リベラル党党首となる。親米・反共路線で経済再建を目ざしたが、1949年の反共太平洋同盟提案、対フク団(抗日人民軍=フクバラハップの略称。のちに人民解放軍に改称)和平交渉のいずれにも失敗、かえって親米路線を批判されるに至った。1953年の大統領選挙で、国防長官としてフク団鎮圧の実績をあげたナショナリスタ党のマグサイサイに敗れた。[黒柳米司]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

367日誕生日大事典の解説

キリノ

生年月日:1890年11月16日
フィリピンの大統領
1955年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

精選版 日本国語大辞典の解説

キリノ

(Elpidio Quirino エルピディオ━) フィリピンの政治家。第二次世界大戦中、抗日ゲリラ活動に従事。一九四六年フィリピン独立後、副大統領。のち大統領(在職一九四八‐五六)をつとめた。(一八九〇‐一九五六

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

キリノの関連情報