出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
日本占領時代フィリピンで結成された抗日人民軍Hukbo ng Bayan Laban sa Haponの略称。日本ではフク団ともよばれる。1942年3月29日、ルソン島中央部の森林の中で結成された。ルソン島中央部はフィリピンでもっとも小作率が高い地域で、30年代には社会党・共産党系の農民運動が盛んであった。フクバラハップはこれらの農民運動を中核に、マニラの労働者、進歩的知識人、中国人らが参加して結成され、日本軍への抵抗と地主制の打倒を目ざした。ルイス・タルクに率いられたその闘争力は抗日ゲリラ中最強で、45年1月アメリカ軍がルソン島再占領を開始したときには、ルソン島中央部はほとんど彼らの手で解放されていた。しかしフィリピンの地主勢力に味方するアメリカ軍は、マニラ占領と同時にフクバラハップの武装解除を命じ弾圧に乗り出した。
第二次世界大戦後、フクバラハップは人民解放軍(HMB)と名称を改め、地主階級を基盤とする反共親米政権に武力抵抗を続けたが、1950年秋マグサイサイ国防大臣が登場して以後衰勢に向かった。
[池端雪浦]
『ルイス・タルク著、安岡正美訳『フィリピン民族解放闘争史』(1953・三一書房)』▽『W・J・ポメロイ著、木谷優梨子訳『比島フク団のたたかい 密林のゲリラ部隊』(1967・理論社)』
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
「フク団」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…しかし,それはまったくの傀儡(かいらい)共和国だったので,反日ゲリラ活動はいっそう激化した。全国各地で結成されたおびただしい数のゲリラ組織は,その大半が連合軍西南太平洋司令部の指揮下に属する〈ユサッフェ・ゲリラ〉であったが,中部ルソンに根拠地を置いたフクバラハップは,それらとは独立に独自の目標,すなわち,日本軍の追放と地主制打倒の二つの目標を掲げて戦った。44年10月,アメリカ軍のレイテ島上陸を皮切りに,アメリカのフィリピン再占領作戦が猛烈な勢いで展開され,45年9月3日,日本軍は完全降服した。…
…戦後の46年にリベラル党のサンバレス州選出下院議員となり,国防委員会議長などを務めた。49年以降フィリピンはフクバラハップによる内戦に直面し,未曾有の政治危機に遭遇した。マグサイサイは50年国防長官に任命されてフクバラハップ討伐の最高責任者となり,アメリカの経済的・軍事的援助の下に鎮圧に成功した。…
※「フクバラハップ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
12/21 デジタル大辞泉を更新
12/21 デジタル大辞泉プラスを更新
12/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/28 デジタル大辞泉プラスを更新
10/28 デジタル大辞泉を更新
10/27 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新