改訂新版 世界大百科事典 「ギル」の意味・わかりやすい解説
ギル
David Gill
生没年:1834-1914
イギリスの天文学者。近代における天文観測の大家である。アバディーンの時計製作者の家に生まれ,家業を継ぐために同地の大学で2年学んだ後スイスで時計製作の修業を2年積んだ。帰郷してギルは父の事業を継いだが,その間にしだいに天文学への関心を深めて,簡易経緯儀による天体観測から時刻を求めてアバディーン市の保時に役だてたり,30cm反射望遠鏡にマイクロメーターを取り付けて恒星の年周視差の測定に取り組んだりした。こうして10年を経たころ,リンゼー卿の知遇を得て,おりから建設された彼の個人天文台に雇われ,1872-76年の間同天文台の整備,管理に尽力した。この間にギルはヘリオメーターの観測に習熟したのである。
ギルの功績はヘリオメーターによる火星や小惑星の観測から太陽視差の信頼できる値を求めたことで,77年の火星の大接近の観測から太陽視差8.″78を,また後年の小惑星ビクトリア,アイリス,サフォーの観測から改良値8.″80を得た(1889)。この太陽視差の値はその後長らく基本天文定数として用いられ,今世紀後半になって金星のレーダー観測やマリナー飛翔(ひしよう)体による観測が行われるようになった1968年に至って8.″794に改められたのである。ギルはまた現代の天文測定学の基礎を築いた人でもある。すなわち1879年にアフリカ南西端の王立ケープ天文台長に任ぜられたが,そこでJ.C.カプタインと協力し10余年を費やして約50万個の恒星を含むケープ写真掃天星表を完成した。これは北天のボン掃天星図・星表を南天に拡張したものである。ギルは1906年まで天文台長の職にあって王立ケープ天文台の拡充に尽くした。1882年と1908年の2度にわたって王立天文学会金賞牌を受賞し,1900年にはナイト爵を授けられた。
執筆者:堀 源一郎
ギル
René Ghil
生没年:1862-1925
フランスの詩人,詩論家。ベルギーの出身。詩的エッセー《魂と血の伝説》(1885)で認められ,マラルメの弟子に数えられる。マラルメの序文を添えた《語論》(1886)では,ランボーの《母音》のソネに着想を得て,語の音韻的要素を器楽の音色になぞらえた象徴詩論を展開し,後に象徴主義の一分派をなした。詩は象徴によって観念世界に到達する手段となりうるという主張を,色彩,音楽など多岐にわたる科学的知識で裏付けようとするギルの詩論は,象徴詩の理論面における発展に貢献した。三部作の《著作》すなわち《至善の言葉》(1889),《血の言葉》(1898),《法の言葉》(1936)はその集大成である。
執筆者:田中 淳一
ギル
Eric Gill
生没年:1882-1940
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報