死海北西端の沿岸から約1kmにある遺跡で,ユダ王朝時代(前7~前6世紀)に要塞が築かれた〈塩の町〉(《ヨシュア記》15:62)と同定されている。この遺跡が急に有名になったのは,1947年にこの近くの洞穴から紀元前に書かれた完全な《イザヤ書》巻物写本がベドウィンの少年によって発見され,その後次々に同種の古代写本が周辺の洞穴群から発見されたからである。1951-56年に,古い要塞の跡からこれら古代写本の所有者と思われる共同体の大きな建物の全構造が明らかにされた。それは今日〈クムラン共同体(教団)〉と呼ばれ,出土写本群は〈クムラン写本〉または〈死海写本〉と呼ばれている。この共同体は修道院的性格をもった祭司集団で,前130年ころ〈義の教師〉なる人物によってエルサレムの神殿祭儀に反対して創設された。一般にヨセフスその他の古代文献に見えるパリサイ,サドカイと並ぶ第3のユダヤ教団エッセネ派と同一視されている。彼らは独自の律法解釈にもとづく厳格な規律に従って禁欲的共有財産制の共同生活を営んだ。その中心思想は世界も人間も生と死,光と闇,善の霊と悪の霊といった二つの力や霊によって支配されているとする二元論的終末観によって特徴づけられ,これをペルシア宗教の影響と見る学者もいる。毎日きよめのための全身沐浴を実行し,そのための大きな水槽が多数発見されている。ダビデ系とアロン系の2種のメシアを期待し,〈メシアの饗宴〉と称する共同食事を守っていた。また,エルサレムの正統ユダヤ教とは異なる独自の暦を使用した。思想的にも制度的にも多くの点で原始キリスト教との関係が注目される。この共同体は後70年の第1次ユダヤ戦争のとき,ローマ軍によって破壊されて消滅した。ただし,出土貨幣から第2次ユダヤ戦争のとき,ユダヤ反乱軍がこの遺跡を使用したと思われる。
→死海写本
執筆者:関谷 定夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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