翻訳|eschatology
「終わり」に関する観念、思想、教説のことで、終末論とも終末思想ともいわれる。ギリシア語のeschaton(終わり)とlogos(教説)の複合語。この場合「終わり」とは、個人の生の終焉(しゅうえん)、すなわち死を意味する場合と、この世界もしくは歴史の終末を意味する場合との2通りがある。
[月本昭男]
死を前にしてとる人間の態度は、時代により、また文化、宗教によりさまざまであるが、大別して次の4類型に分類される(岸本英夫)。
(1)肉体的生命の存続を希求するもの。
(2)死後における生命の永存を信ずるもの。
(3)自己の生命を、それにかわる限りなき生命に託するもの。
(4)現実の生活のなかに永遠の生命を感得するもの。
このうちとくに個人的終末観(来世観)として種々の展開をみせるのは(2)である。人間は死によって消滅するのではない、別の形で(多くは霊魂として)永続するという観念は、広く流布している。来世が影のような存在と考えられる場合(たとえば古代ギリシアや古代イスラエル)、生前の行為によって死後のあり方が決まる応報観(たとえば古代チュートン人や仏教の一部)、霊魂の輪廻(りんね)(古代インド)、死後の審判思想(古代エジプト、古代ペルシア、キリスト教など)などがあげられる。またゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教などには霊魂の復活や「肉体の甦(よみがえ)り」の思想もある。日本人の間では、死後祖霊として存続する日本固有の死生観のほかに、仏教的な地獄・極楽応報思想などが入り込んで融合している。こういった種々の個人的終末観で重要なことは、それぞれの来世観念が現実に生きる人間の態度や行為に及ぼす影響、つまり心理的あるいは社会的機能であろう。というのは、現実の人間の生き方や社会の倫理規範が来世観念によって規定されたり、抑制あるいは強化されることが少なくないからである。たとえば、死後の応報思想は、ときによっては現実の法的処罰制度より強い倫理規制力をもつことがある。
[月本昭男]
他方、世界の終末という宗教思想は、歴史意識を強度に備えた宗教に多くみられるもので、世界の究極的破局、最後の審判、全人類の復活、破局後の理想世界の到来などの観念を内容とする場合が多い。ゾロアスター教では、ゾロアスター没後3000年を経て現れる救世主(メシア)によって、全人類に溶けた金属による最後の審判がなされ、悪が最終的に滅ぼされる、と信ぜられた。イスラム教にも天変地異を伴う最後の審判思想があり、また仏滅後1500年(あるいは2000年)にして、仏道の困難な時代(末法)が到来し、さらに1万年後仏道が衰滅するという末法思想も、一種の終末思想とよびうる。
終末思想を大きく展開させたのはユダヤ教とキリスト教である。古代イスラエルの預言者たちは、民の罪に対する神の審判を告知し、さらにそれを、神の義の究極的実現のための世界審判の思想にまで発展させた。後期ユダヤ教では、「今の世」が「来るべき世」と対立的に把握され、終末時には前者が後者によって滅ぼされるという終末思想が二元論的神話の形で数多く述べられた(黙示文学)。この終末的な歴史の転換はメシアの到来と結び付けられることが多い。キリスト教においては、一方でイエス・キリストの到来によって終末の時代(神の国)がすでに訪れたと考えられ、他方でこの「神の国」が究極的に完成するのは、イエス・キリストが天よりふたたびきたり(再臨)、悪の勢力を最終的に滅ぼして地上に絶対平和をもたらすとき(千年王国)であると信ぜられる。したがって、「すでに」と「いまだ」の終末論的緊張のなかに、現在という時代を位置づける。
[月本昭男]
このような終末論を信仰の問題としてではなく、宗教思想としてみるとき、次の2点は看過されてはならないであろう。まず、終末思想は単に世界の終わりについての思弁ではなく、罪と悪の世界がはびこっても最終的に破滅するという見方のなかには、むしろ現在の悪(とくに支配権力のそれ)に対する鋭い批判が込められているという点である。第二には、終末が破局のみではなく、現在苦しむ者たちの究極的救済を語り、世界の完全な回復をもたらすものとして理解されるところに、否定的現状のなかで働く希望の原理があるという点である。歴史上、終末思想が革命と結び付いていくのはこのためである。
[月本昭男]
『O・クルマン著、前田護郎訳『キリストと時』(1954・岩波書店)』▽『R・ブルトマン著、中川秀恭訳『歴史と終末論』(1959・岩波書店)』▽『大木英夫著『終末論』(1979・紀伊國屋書店)』
〈この世〉の終りについての観念。未開宗教と高等宗教の別なく普遍的に見いだされるが,とくに他界観や復活思想を含み,地獄や天国あるいは極楽の観念を生みだした。このような観念は神話や宗教文書に描かれ,世界の最後と個体(霊魂)の最終的運命とともに審判や応報の考えを説くのが普通である。
終末観の内容は大づかみにいえば,死後における個人の運命と,世界(人類)の破滅と再生という二つの主題に分けられる。前者は一般に魂の他界遍歴として知られるが,それを語る神話や伝承には上昇-飛翔のモティーフ(天国)と下降-墜落のモティーフ(冥界)が交替してあらわれ,生前の悪行・善行によってそれ以後の運命が定められるという形をとる。そのような観念や表象はギリシア,インド,中国などの古代神話やアフリカの諸部族,アメリカ・インディアンやメラネシア,ポリネシア地域の原住民に見いだされるが,それが最も典型的な形でまとめられたのが古代エジプトとチベットにおいて作られた〈死者の書〉である。そこでは死後の世界が階層的に区分されており,再生のための条件が神話的なビジョンのなかで語られている。また同様の文化伝統は,西欧で中世末に書かれた〈アルス・モリエンディ(往生術)〉や日本の〈往生伝〉にもみとめられる。
ついで後者の,世界の破滅と再生という主題については,主としてゾロアスター教,ユダヤ教,キリスト教,イスラム教などにおいて大きな発達をみた。ゾロアスター教では一回限りの世界過程の終末期に,善神(アフラ・マズダ)が悪神(アーリマン)を破って世界の審判と人類の復活が実現される。ユダヤ教では,世界の終末期における審判と救済の思想は同様であるが,そのほかに神の正義を実現するための代行者(メシア)の思想が登場したところに特色がある。この考え方はキリスト教に強い影響を与え,救済者としてのキリストの出現,その十字架上の死と栄光の復活という過程を通して〈神の国〉(全人類の救済)がつくられるという観念を生みだした。ところで,以上の系列の終末観に対して仏教においては,個人の魂の死後の運命を説く輪廻転生や因果応報の思想とともに,世界の終焉を予告する〈三時〉(正法,像法,末法)の思想が説かれた。〈三時〉とは釈迦の死後,世界がしだいに堕落・衰滅へとむかっていくプロセスを三つの段階に理念化したものであるが,最後の暗黒の時代を象徴する〈末法〉という考え方はとくに浄土教思想の根幹をなし,日本にも甚大な影響を与えた。
近時,心理学や精神医学の分野では事故や墜落によって臨死の体験をした人々のさまざまなビジョンが研究の対象とされるようになった(R.ノイズ,R.A.ムーディら)。それによると,この臨死者たちの意識には地獄や冥界にかんする終末のイメージとともに神秘的で宇宙的な再生のイメージがあらわれることが明らかにされている。もしもそうであるとするならば,これまでもっぱら神話や宗教文書の枠内で論じられてきた終末観の問題も,人間の意識や表象にあらわれる普遍的な現象という観点から考察することもできるであろう。
→終末論 →末法思想
執筆者:山折 哲雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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