改訂新版 世界大百科事典 「ユダヤ戦争」の意味・わかりやすい解説
ユダヤ戦争 (ユダヤせんそう)
ローマ帝国とパレスティナのユダヤ民族との間の戦争。第1次(66-70)と第2次(132-135)に分けられる。
(1)第1次ユダヤ戦争 ポンペイウスが前63年にエルサレムを占領して以来,ユダヤ・パレスティナ地方はローマの間接的支配下に置かれ,ローマに背いてアンティゴノスが王号を僭称した前40-前37年を除いて,いずれもローマの傀儡(かいらい)であるヒュルカノス2世(在位前63-前40),ヘロデ大王(在位前40ないし37-前4)によって統治された。ヘロデ大王の死後,王国はアウグストゥスの決裁によって王の3人の息子に分割され,ユダヤ地方を支配したが後6年に失脚し,ユダヤ地方はローマの皇帝所管第3級属州となり(41-44年の王アグリッパ1世による支配期間を除く),ローマ総督の直接支配下に置かれた。このような経緯の中で,ユダヤ教の唯一神信仰に固執して,ローマによる支配をくつがえそうとする人々を中心に,各地で騒乱が続発,ついに第1次ユダヤ戦争に突入したが,ガリラヤに続いて70年にはエルサレムも陥落し,残り火ともいうべきマサダとエジプトの鎮圧をもって,反乱は終結した。
(2)第2次ユダヤ戦争 ハドリアヌス帝治下(117-138)ユダヤ地方に再び大規模な反乱が組織された。ベン・コシバがバル・コホバ(星の子)と称えられて(ラビ・アキバは彼をメシアとまで呼んだ)反乱を指導し,かなりの地域を有効に支配した時期もあったが,結局ベテルの戦に敗れて,反乱は鎮圧され,ユダヤ人はエルサレムへの立入りを禁じられ,祖国を追われることになった。
執筆者:土岐 健治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報