クリップス(英語表記)Richard Stafford Cripps

精選版 日本国語大辞典 「クリップス」の意味・読み・例文・類語

クリップス

(Sir Richard Stafford Cripps サー=リチャード=スタフォード━) イギリス政治家。労働党に属し、第二次大戦中駐ソ大使、国璽尚書、航空機生産相などを歴任戦後は商務院総裁、蔵相として経済復興に尽くした。(一八八九‐一九五二

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改訂新版 世界大百科事典 「クリップス」の意味・わかりやすい解説

クリップス
Richard Stafford Cripps
生没年:1889-1952

イギリスの政治家。ビアトリス・ウェッブの甥。ロンドン大学卒業後,法曹界に入る。第2次マクドナルド労働党内閣法務次官を経て,1932年設立の社会主義連盟の指導者として活躍する。緊急権限法や一時的独裁など左派戦術を唱え,統一人民戦線運動の先頭に立つ。39年党を除名されるが,第2次大戦中駐ソ大使,国璽尚書,航空機生産担当相を歴任した。45年労働党に復帰し,アトリー内閣で経済相,蔵相をつとめ,インド独立に関与,経済危機には〈耐乏〉の犠牲精神を説いた。
クリップス使節団
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クリップス」の意味・わかりやすい解説

クリップス
Cripps, Sir Richard Stafford

[生]1889.4.24. ロンドン
[没]1952.4.21. チューリヒ
イギリスの政治家。ロンドン大学で化学専攻叔母が社会主義者として高名な B.ウェッブであったため,早くから社会主義に関心をもった。 1931年労働党下院議員。 39年に挙国内閣を提唱して党から除名された。 40~42年ソ連駐在大使,42年クリップス・ミッション団長としてインド派遣。 42~45年航空機生産相。 45年労働党への復帰が認められ,同年商相。 46年再度インド派遣使節団長。 47年経済相。 47~50年蔵相としてイギリスの経済復興に尽力したが病気のため辞任

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「クリップス」の解説

クリップス
Richard Stafford Cripps

1889~1952

イギリスの政治家。弁護士,法務次官をへて,1931年労働党所属の下院議員となったが,人民戦線に賛成して39年党を除名。40年駐ソ大使に任じられ,42年国璽尚書(こくじしょうしょ),42~45年航空機生産相,戦後アトリー内閣で商務相,蔵相を務め,耐乏生活を強いる緊縮財政によって戦後経済の復興を図った。

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百科事典マイペディア 「クリップス」の意味・わかりやすい解説

クリップス

英国の政治家。ロンドン大学卒業後,法廷弁護士の資格を獲得。1930年第2次マクドナルド内閣の法務次官を経て1931年下院議員となる。翌1932年結成された社会主義連盟の指導者としてとみに左傾化し,極左的な人民戦線を主張したため,1939年労働党を除名。第2次大戦中は無党派で下院議員をつとめ,1940年ソ連大使,以後,国璽尚書,航空機生産大臣となった。1945年労働党に復帰,労働党内閣では経済相,蔵相となり,緊縮財政をとった。ベアトリス・ウェッブの甥。

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