スペインの画家。本名José Victoriano González。マドリード生まれ。美術工芸学校中退後、ユーゲント様式風の挿絵を描く。1906年パリに出てモンマルトルの丘の画室長屋「洗濯船」に住み、ピカソらのスペイン人画家や詩人、批評家を知る。雑誌に挿絵を描いたのち、10年から本格的に絵画に専念。ピカソ、ブラックの影響を受けたが、分析的キュビスムの時代においても、『ピカソの肖像』(1912)にみられるように、その緩やかな形態分析、落ち着いた画面構成、色彩の使い方において独得の個性を保った。12年の夏パピエ・コレの技法を採用、秋に第1回セクション・ドール展に参加後は、著述活動もするなど、総合的キュビスムの指導者の一人となった。この時代の代表作に『本、パイプ、コップのある静物』(1915)がある。しかし20年に健康を害し、27年、尿毒症のため早逝した。
彼のキュビスムは、対象分析よりも色彩による画面構成に関心をもつ時代(1915~17)を経て、形態の抽象化をさらに進め、対象から出発して構成に至る分析的方法とは逆の、構成から出発して対象に至る方法、彼自身のことばによると「円筒形から瓶をつくる」方法で、重厚で静謐(せいひつ)、誠実さと詩情の漂う作品を達成した。『ギターと楽譜』(1926)にはその成果がみられる。
[神吉敬三]
スペイン出身のキュビスムの画家。本名ゴンサレスJosé Victoriano González。生地マドリードでアール・ヌーボーの影響を受けた後,1906年パリに出て〈洗濯船〉に住む。10年,セザンヌやピカソの影響のもとに本格的に絵画の制作を開始する。〈セザンヌは1個の壜から円筒形を作ったが,私は円筒形から1個の壜を作る〉というように,彼の絵画は造形の理念から出発するもので,造形意識のうえでは抽象芸術に近い。しかし,彼は絵画の理想を〈画家と外界との一定の諸関係を表現すること〉とし,現実的対象を捨てることはなかった。彼はまた,キュビスムを絵画の一方法としてではなく,〈一つの美意識,一つの精神状態〉と考える,唯一の首尾一貫したキュビストであった。20年代初めには一時,バレエ・リュッスの衣装,舞台装置を手がける。24年ソルボンヌに提出した論文《絵画の可能性》は,のち公刊された。
執筆者:八重樫 春樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…ボークセルLouis Vauxcellesをはじめとする批評家たちはこの傾向をヨーロッパ美術の栄誉ある伝統を汚すものと非難したが,芸術運動の目的を社会改革におく象徴主義文学運動の後継者であるアポリネールやサルモンらがこれを弁護,支援し,積極的な運動に結束させた。キュビスムにはピカソ,ブラック,グリスらの〈洗濯船Bateau lavoir〉のグループと,画家ジャック・ビヨンJacques Villon(1875‐1963。本名Gaston Duchamp)を中心とする〈ピュトーPuteaux派〉(ビヨンの仕事場がパリ西郊のピュトーにあったため,こう呼ばれる)があり,前者がこの様式の美学的可能性を論理的に探究し深化させる一方,集団示威のような運動には無関心だったのに対し,運動としてのキュビスムの展開を担い,内外から多くの共鳴者を獲得したのは後者であった。…
※「グリス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新