ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「グリーリー」の解説
グリーリー
Greeley, Horace
[没]1872.11.29. ニューヨーク
アメリカの新聞編集者で政治指導者。貧農の生れで正規の学校教育は受けず,20歳でニューヨークに出,印刷工を経て,印刷工場経営者となった。 1834年に文学雑誌『ニューヨーカー』 The New Yorkerの編集主幹となったが,熱烈な愛国者として共和党創立に加わり,政治的キャンペーンのため,別に週刊誌2種を発刊した。 41年4月には政治教育などの改革,経済的発展および大衆の知識向上を目指した日刊紙『ニューヨーク・トリビューン』 New York Tribuneを創刊。その論説は強力な政治的影響力を発揮した。政治的には C.フーリエ流の空想的社会主義者であったが,急進的な変革を好まない保守主義者でもあった。また,奴隷制廃止を強く訴え,60年にはリンカーンの大統領選挙出馬を支持し,さらに 72年の大統領選挙にはみずから出馬したが敗れ,負債を残して失意のうちに没した。その明確な言動と強固な信念とによって,アメリカのジャーナリズム史における最高の論説記者といわれる。
グリーリー
Greely, Adolphus Washington
[没]1935.10.20. ワシントンD.C.
アメリカの陸軍軍人,極地探検家。 1876~79年テキサス,ダコタ,モンタナの各州で軍事電信敷設作業に従事。 81年北極探検隊を指揮し,当時としては最北の北緯 83°24′に達しグリーンランドの北方に新陸地を発見。のち,キューバ,中国,アラスカ,フィリピン諸島で電信敷設作業を指揮。アメリカ地理学会の創立に貢献。 1906年地震と大火をこうむったカリフォルニアで救援活動を指揮した。主著『北極探検の3年間』 Three Years of Arctic Service (2巻,1885) ,『極地探検手引』 Handbook of Polar Discoveries (1909) 。
グリーリー
Greeley
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