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ケファリニア島 ケファリニアとうNísos Kefallinía

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ケファリニア島
ケファリニアとう
Nísos Kefallinía

ケファロニア Kefaloniáともいう。古代ギリシア語読みではケファレニア Kephallēnia。ギリシア西部,イオニア諸島の最大の島。パトライコス湾の湾口沖にある山がちな島で,最高点 1628m。西部に南から深い入江が湾入,その東岸に中心都市アルゴストリオンがある。ミケーネ文化の重要な中心地で,ホメロスの『オデュッセイア』にもその名が現れる。ローマ,ノルマン,ナポリベネチアオスマン帝国フランスイギリスなどに次々と支配されたのち,1864年ギリシア領。 1953年地震により大きな損害を受けた。主産業はオリーブブドウ,穀物,ワタなどの栽培,レース,絨毯などの製造,造船である。面積 781km2。人口2万 7649 (1981) 。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ケファリニア島
けふぁりにあとう
Kephallina

ギリシア西部、イオニア諸島最大の島。ケファロニアKephallonaともいう。面積781平方キロメートル。東側に隣接するイサキ島といくつかの小島をあわせてケファリニア県を構成する。県の人口は、4万0200(2003推計)。県都はアルゴストリオンArgostlion。おもに石灰岩質の丘陵と山岳からなり、最高峰はエノス(古代のアイノス)山で標高1628メートル。海岸線は複雑である。南東部には肥沃(ひよく)な平野が開け、ブドウ、オリーブ、小麦を産する。また商業、海運業が盛んである。古代にはミケーネ文化の一中心地で、マザカルタとダカタに当時の墳墓が残っている。ペロポネソス戦争ではアテネ側につき、のちにアイトリア同盟の一員となった。ローマ征服(前189)以後、断続的ながら長くベネチアの影響下にあった。1798年よりフランス支配、1809年よりイギリス支配を経て、1864年からギリシア領。[真下とも子]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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