日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケントロサウルス」の意味・わかりやすい解説
ケントロサウルス
けんとろさうるす
kentrosaur
[学] Kentrosaurus aethiopicus
鳥盤目装盾(そうじゅん)類(亜目)エウリポッド類剣竜(けんりゅう)類(下目)ステゴサウルス科Stegosauridaeに属する恐竜。全長約5メートル。アフリカのジュラ紀後期、約1億5570万年~1億5080万年前の地層から産出した。属名は「棘(とげ)のトカゲ」という意味。板状の皮骨が対になって並んでいるのは頸(くび)から背中の中ほどまでで、その後ろからは8対の長く鋭い棘が尾の先まで並んでいる。前半身の板状皮骨はステゴサウルスStegosaurusと比べると小さい。肩甲骨付近には1対の棘がある。仙椎(せんつい)の肋骨(ろっこつ)は4対の個体と5対の個体があるが、これは性的二型を表すらしく、雌が5対であったといわれている。長いスパイク(突起)はおもに防御用のものと思われる。敵と戦ったときには尾を振り回して棘で敵を傷つけたであろう。その点はステゴサウルスよりも有利であった。骨板の表面に血管の跡があるので、体温調節のためでもあったろう。とくに前半身の骨板の主目的は体温調節であると考えられる。両肩の上のスパイクは東アジア産の剣竜類に比べると細く湾曲が少ない。かつて腰の上にスパイクをつけて復原されたことがあるが、誤りであるとわかった。タンザニアのテンダグル層より発掘された化石は50体以上と個体数は多かったが、完全骨格や完全頭骨は発見されていない。化石は、タンザニアがドイツ領の時代、1909~1912年にベルリンのベルナー・ヤネンシュWerner Janensch(1878―1969)らが指揮をして、焼け付くような気候のもと、手作業で発掘された。かつてベルリンのフンボルト博物館に保管されていた資料は第二次世界大戦中に破壊されたものが多いらしい。現地での化石の産出状況から、ケントロサウルスは群れで生息していたのではないかという説がある。化石が発掘された場所は当時の河口の場所であった。ケントロサウルスたちは川の近くに生息して背の低い植物を食べていたのであろう。テンダグル動物相は季節的な乾期を伴う温暖気候に支配されていた陸地由来の海岸に近い堆積(たいせき)物から出ている。同じ地層からブラキオサウルスBrachiosaurusなどの大形竜脚類も発見されている。ケントロサウルスは四肢で動き回り、前肢も頸(くび)も短かったので地面近くのシダ類などを食べたのであろう。ステゴサウルスと同様に、脳は小さく、二つの仙骨の間にある脊髄(せきずい)の拡張部は、後肢と尾のための神経の中継部であった。
[小畠郁生]