日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゲレーロ」の意味・わかりやすい解説
ゲレーロ
げれーろ
Vladimir Alvino Guerrero
(1976― )
アメリカのプロ野球選手(右投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)、アナハイム・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)の外野手としてプレー。メジャー・リーグを代表する強肩強打の打者で、球界一の悪球打ちの名人ともいわれている。
2月9日、ドミニカ共和国のニザオ・バニに生まれる。1歳上の兄でのちにロサンゼルス・ドジャースなどでプレーしたウイルトン・ゲレーロWilton Guerrero(1975― )の影響で野球を始め、ウイルトンが通っていたドミニカ共和国のドジャースの野球アカデミーでテストを受けるが失敗。1994年、エクスポズの野球アカデミーのテストに合格して入団。同国のサマー・リーグで25試合に出場、打率4割2分4厘をマークして脚光を浴びる。1995年はマイナー・リーグのA級で3割をマーク、96年はAA級で3割6分3厘を打ち、首位打者を獲得。同年9月に20歳でエクスポズに昇格する。しかし1997年はオープン戦で故障、5月に復帰した後も肉離れなどで、出場は90試合にとどまる。だが、打率は3割2厘をマークして大器ぶりをみせる。1998年は球団新記録のホームラン38本を記録したのをはじめ、打率3割2分4厘、打点109はいずれも自己最高。以後も30本以上のホームランは2002年まで5年連続、規定打席を満たす打率3割以上は05年まで続くことになる。シーズンオフには5年2800万ドルで契約を延長する。1999年はさらにパワーを発揮してホームラン42本を記録。打率は前年から8厘下げたが、打点は131と自己最多を更新。2000年も成長は止まることなく、打率3割4分5厘、ホームラン44本、123打点をマーク。また、長打率は6割6分4厘と驚異的な数字を記録する。2001年、02年もチームは振るわなかったが、ひとり猛打をみせつけ、強打者の目安とされる「3割30本100打点」(打率3割以上、ホームラン30本以上、打点100以上)の連続記録を5年に伸ばした。また、2001年は37盗塁、02年は40盗塁を記録してオールラウンド・プレーヤーぶりを発揮。2003年は腰を痛め、112試合のみの出場だったが、それでも打率3割3分、ホームラン25本、打点79をマークする。同年シーズンオフにFA(フリーエージェント)となり、5年7000万ドルでエンゼルスに移籍する。2004年はリーグがアメリカン・リーグに変わったにもかかわらず、打率3割3分7厘、ホームラン39本、打点126で地区優勝の原動力となり、初の最優秀選手(MVP)を獲得。2005年、06年も連続して「3割30本100打点」を記録したが、チームはリーグ優勝に手が届かなかった。
[出村義和]
2007年以降
2007年は150試合に出場し、打率3割2分4厘、ホームラン27本、打点125で、チームの地区優勝に貢献。4年連続「3割30本100打点」は逃したもの、打率3割、ホームラン25本以上の連続記録を10年に伸ばした。
2007年までの通算成績は、出場試合1607、安打1972、打率3割2分5厘、本塁打365、打点1177。獲得したおもなタイトルは、MVP1回。
[編集部]