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ゲード ゲードGuesde, Jules

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ゲード
Guesde, Jules

[生]1845.11.11. パリ
[没]1922.7.28. セーヌ,サンマンデ
フランスに初めてマルクス主義の思想を移入した社会主義者。パリ・コミューンを支持したためにジュネーブに亡命。そこで新聞『国際的目ざめ』を創刊し,社会主義革命の宣伝と活動の拠点とした。帰国後マルクスの女婿 P.ラファルグらとともに,フランス社会主義労働者党の綱領を起草した。のちフランス労働党を設立し,第2インターナショナルの有力な指導者となった。第1次世界大戦では挙国一致体制=「神聖連合」に加担して愛国主義者に転向した。 1914年8月から 16年 12月まで国務相

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世界大百科事典 第2版の解説

ゲード【Jules Guesde】

1845‐1922
フランスの政治家。本名はジュールバジルJules Bazile。10歳代からパリで新聞活動に身を投じ,第二帝政末期のフランスで,熱心な共和派活動家となった。1871年のパリ・コミューンの際,南仏で新聞の編集者だった彼は,熱烈に支持する記事を書いたことで訴追され,国外へ脱出。亡命先のジュネーブで多くの亡命革命家たちと接触した。末期第一インターナショナルでは,スイスの反マルクス派と行動を共にし,アナーキストに近い立場をとった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ゲード
げーど
Jules Guesde
(1845―1922)

フランス第三共和政期の社会主義者、政治家。本名マチュー・バジルMathieu Basile。第二帝政(1852~1870)末期には共和派ジャーナリストとして反帝政運動に参加、投獄されている。1871年パリ・コミューンを支持して有罪判決を受け、ジュネーブに亡命。当地でバクーニン派集産主義の影響を受けたが、ミラノに移ってからはアナキズムの立場を離れ、マルクス主義に接近する。1876年時効成立後に帰仏。『エガリテ(平等)』紙に拠(よ)っていわゆる「ゲーディスト」を率い、フランス労働党を結成(1882)してマルクス主義の普及に努めた。世紀転換期には、労働組合によるゼネスト革命を主張するサンジカリストらに対抗、1893年以後は議会選挙活動を中心とする大衆的社会主義政党の建設を目ざし、自らも下院議員となった。ドレフュス事件や社会主義者ミルランの入閣問題(1899)では階級的立場を固持してジョレス派と対立したが、1905年には同派と和解して社会党を結成、四分五裂状態にあったフランス社会主義運動の統一を果たした。第一次世界大戦では、かねて主張していた労働者の国際的連帯の立場を捨て、「挙国一致」内閣に入閣した。戦後の社会党分裂(1920)に際しては少数派に転落、第三インター派の共産党結成(1921)には参加せず他界している。[谷川 稔]

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世界大百科事典内のゲードの言及

【タイセイ(大青)】より

…アイヌ人が染料にしたといわれる。【村田 源】
[染料]
 ヨーロッパではホソバタイセイが用いられ,染料名をパステルpastel,ゲードguèdeという。青色,媒染剤を用いると黒に近い青色をあらわす。…

※「ゲード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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