デジタル大辞泉 「ゴリツィア」の意味・読み・例文・類語 ゴリツィア(Gorizia) イタリア北東部、フリウリベネチアジュリア自治州の都市。スロベニアとの国境に位置する。第二次大戦後、東の一角がユーゴスラビア領(現スロベニア)ノバゴリツァになった。2004年、スロベニアのEU加盟後は国境の壁や検問所が撤廃され、自由な往来が可能になった。ゴリツィア城、ゴリツィア大聖堂などの歴史的建造物が残っている。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
改訂新版 世界大百科事典 「ゴリツィア」の意味・わかりやすい解説 ゴリツィアGorizia イタリア北東部,フリウリ・ベネチア・ジュリア州の都市。人口3万6615(2004)。スロベニアとの国境に位置し,主産業は綿・絹織物,セメント,建材製造など。16世紀以来,オーストリア領であったが,第1次大戦中,オーストリア軍とイタリア軍の激戦地となり,1919年イタリア領となった。47年,ユーゴスラビア領(現,スロベニア)となった北部地域に,ノバ・ゴリツィアの町ができた。執筆者:町田 亘 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゴリツィア」の意味・わかりやすい解説 ゴリツィアGorizia スロベニア語ではゴリツァ Gorica。イタリア北東部,フリウリベネチアジュリア州ゴリツィア県の県都。トリエステの北北西約 35km,スロベニアとの国境に位置する。コレデルカステロからイゾンツォ河岸まで広がる高地が北風をさえぎるので,温暖な気候に恵まれている。 1001年にさかのぼる交通上の要地で,文化の一中心地をなし,14世紀の聖イグナチオ聖堂,かつての領主であったゴリツィア伯の古城などがある。農産物の集散地で,織物,化学,機械製造が主産業。中世以来オーストリア領の時代が第1次世界大戦まで続き,大戦時にはイタリア軍,オーストリア軍の大激戦地の一つとなった。 1947年,東の一部がユーゴスラビア (現スロベニア) 領となった。人口3万 7999 (1991推計) 。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゴリツィア」の意味・わかりやすい解説 ゴリツィアごりつぃあGorizia イタリア北東部、フリウリ・ベネチア・ジュリア自治州ゴリツィア県の県都。人口3万5401(2001国勢調査速報値)。イソンツォ川左岸、スロベニアとの国境沿いに位置する。16世紀以降長らくオーストリアの支配下にあったが、第一次世界大戦によってイタリア領となる。第二次世界大戦後、東の一角がユーゴスラビア領(現スロベニア)になった。旧ユーゴ地域との交通、商業の拠点であるほか、近郊を含めて、工業都市としての性格を強めつつある。[堺 憲一] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例