20世紀初頭、アメリカで活躍した無政府主義者。ロシアのコブノでユダヤ人の子として生まれる。1885年12月姉とともにアメリカに渡り女工となったが、社会の不正に憤りを感じて政治活動に身を投じ、無政府主義者となった。マッキンリー大統領の暗殺者が彼女の著書を持っていたため、警察から教唆の嫌疑をかけられ、一躍悪名をとどろかせた。大規模な反戦活動によりバークマンらとともに1919年に国外追放されるまで、労働者や女性のために労働運動や産児制限運動などさまざまな運動を組織、展開した。また、雑誌『母なる大地』Mother Earth(1906~17)を発行して、つねに国家権力に対抗し、個人の権利、自由のために闘った。革命なったロシアへ追放されたが、ロシアの情況に絶望して22年そこを脱出、以後イギリスやフランスに滞在して主として執筆活動に従事、『自伝』や『ロシア革命に対する幻滅』などを書いた。40年5月14日、スペイン内戦で戦う同志たちへの資金調達のため渡航したカナダのトロントで病死。そのなきがらは、希望によりシカゴ郊外のワルドハイム墓地に葬られた。
[太田和子]
『エマ・ゴールドマン著、はしもとよしはる訳『アナキズムと女性解放』(1978・JCA)』▽『太田和子「エマ・ゴールドマン――身体で刻んだ解放史」(『フェミニスト』7号所収・1978・フェミニスト)』
リトアニア生れの女性アナーキスト。1886年アメリカに渡り,ヘイマーケット事件で開眼し,ヨハン・モストの影響を受けた。弁舌にすぐれ,アメリカ・アナーキズム運動を盛り立てた。ロシア生れの同志バークマンAlexander Berkman(1870-1936)とともに《母なる大地Mother Earth》誌(1906-17)を編集・刊行,その他著作,講演活動により自由恋愛,産児制限,労働問題などの社会問題のほか,文芸,特に演劇についても論じ,広い反響を呼んだ。1917年反戦活動のために2年の刑に処せられ,19年にはバークマンとともに国外追放され,ロシアに送還された。しかしロシア革命の現実に幻滅し,21年ソ連を去り,以後イギリス,フランス,カナダなどに居住し,スペイン内戦に際しては共和派支援に活躍した。なお,ゴールドマンは大逆事件に対する国際的な抗議キャンペーンの先頭に立ち,また伊藤野枝ら日本のアナーキストにも敬愛された。
執筆者:野村 達朗
ルーマニア生れのフランスの哲学者。はじめウィーン大学でマックス・アドラーに師事したのち,ブカレストに帰り法律学を学んだ。1934年にパリに行き,哲学に転じた。はじめの主著《カント哲学における人間共同体と世界》(1945)はチューリヒ大学に提出した学位論文。この本の仏訳(1948)とパスカルおよびラシーヌを論じた《隠れたる神》(1956)によってフランス思想界に地歩を固めた。ルカーチの影響のもとに,哲学や文学の創造活動とその社会的基礎との弁証法的関係を追究して,マルクス主義的な思想史研究に新境地をひらき,みずから〈生成的構造主義〉を標榜した。そのマルクス主義的な思想史研究は,アンリ・ルフェーブルの〈思想の社会史〉とともに貴重な試みであった。また彼が〈生成的構造主義〉を自称したのは,のちのいわゆる構造主義とは直接には無関係だが,おのずとその前ぶれとなった。
執筆者:中村 雄二郎
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