翻訳|anarchism
第二次世界大戦前の日本ではアナキズムは無政府主義と訳され、アナキストは直接行動や一人一殺的なテロリズムを主張する過激思想の持ち主として恐れられていた。しかし、アナキズムは、語源的にはギリシア語のα’ναρχος(アナルコス)つまり「支配者がいない」ということばに由来し、したがって近代西欧思想のなかでは、アナキズムは、権力的支配や国家、政府のような権力機関の存在を極端に嫌い、人間の自由に最高の価値を置く思想として位置づけられていた。
ところで、国家や政府を否定し人間の自由を強調する思想ということであれば、そのような思想は人類の歴史始まって以来つねに存在したし、また現在でも存在している。たとえば、古代中国において、君主が権力的支配を行わないことを理想とした老子の思想や、古代ギリシアにおいて、徳を磨いた自由な個人を基礎とする政府のない社会の建設を説いたストア派の始祖ゼノンの思想もまたアナキズムの源流とみなすことができよう。さらには、近代初期において人間社会に生起するさまざまな不平等や不正義は一部特権者による権力的支配の結果であるとみなし、人間解放の思想や理想社会の確立を唱えた人文主義者やユートピア思想家たち、あるいは、社会主義社会が完成した共産主義社会においては「国家は死滅すべきもの」と述べた19世紀の共産主義者たちも、すべてアナキズムの系譜に属するといえるかも知れない。しかし、アナキズムは、歴史のある段階において一定の立場と役割をもって登場してきた思想である。そこで、ここではまず、「近代的アナキズム」が登場してきた時代状況とその思想的意義について考えてみよう。
[田中 浩]
アナキズムが一つの思想潮流として登場してきたのは、18世紀末から19世紀中ごろにかけてのことであるが、この思想が労働・社会運動、革命運動のなかで世間の注目を浴びるようになったのは、19世紀後半以降の社会主義とくにマルクス主義との対抗関係においてである。17~18世紀の市民革命の結果生まれた近代国家と近代社会は、人間の自由を保障するという面では著しい前進を示した。しかし、その後の近代資本主義の発展は、人間の間に経済的、社会的不平等をもたらし、この格差を維持するために自由の拡大もまた抑圧された。このため19世紀に入ると、国民の大半を占める労働者や農民の地位を改善することを目ざしたさまざまな社会主義思想が登場した。アナキズムはこうした思想状況のなかで登場した思想であるから、それは、空想的社会主義やマルクス主義(科学的社会主義)と同じく社会主義思想の一種とみることができよう。ただこのアナキズムは、当時革命思想として労働者階級の間で指導的地位を確立しつつあったマルクス主義と、その理想社会のイメージおよびそれを実現する方法をめぐって対立関係にたつことになる。したがって、マルクス主義者とアナキストは、歴史上、激しく対立はしたが、ときには、両派は専制支配の打倒や反ファシズムのために共同して闘うこともあった。たとえば、マルクスはアナキズムの代表的思想家プルードンの革命理論を厳しく批判し、第一インターナショナルのなかではマルクス派とバクーニン派が路線問題をめぐって激しく対立した(1869~1873)。また大正期の日本でも、いわゆるアナ(大杉栄)・ボル(堺(さかい)利彦、山川均)論争(大正9~11年)がおこった。他方、マルクスが『フランスの内乱』のなかで絶賛した「パリ・コミューン」の労働者たちのなかには多数のプルードン主義者がいたし、ロシア革命初期あるいは1936年に始まったスペイン内戦の初期にはボリシェビキとアナキストとの共同行動がみられるのである。
結局、両派の対抗は、ロシアにおける社会主義国家の誕生をもって、マルクス主義とくにボリシェビズムのアナキズムに対する勝利という形で終わり、今日ではアナキズムということばはほとんど死語になりかけている。しかし第二次世界大戦後、各国において大衆デモクラシーの政治が定着し、個人自由の尊重という考えがますます高まり、それに対応して各国の共産党も「プロレタリアートの独裁」という概念を放棄した現状、および人民国家を標榜(ひょうぼう)した社会主義国家においてさえも、スターリン主義といわれる官僚的支配が現出してきたような状況のなかでは、かつてアナキストたちが唱えた徹底した自由の主張を再検討してみる必要があろう。そこで次にアナキズムの代表的思想家の思想内容について概観する。
[田中 浩]
(1)ゴドウィンとシュティルナー 近代アナキズムの理論家としては、プルードン(フランス)、バクーニン(ロシア)、クロポトキン(ロシア)の名前をあげるのが普通である。しかし、この思想の先駆者としては、『政治的正義に関する研究』(1793)の著者ゴドウィン(イギリス)と『唯一者とその所有』(1845)の著者シュティルナー(ドイツ)がいる。彼らはともに、国家権力やその基礎をなす私有財産制を否定し、徹底した個人の自由を主張している。
(2)プルードン しかし、近代アナキズムの父はプルードンである。彼は『財産とは何か』(1840)、『人類社会における秩序の創造』(1843)、『経済的諸矛盾の体系――貧困の哲学』(1846)、『19世紀における革命の一考察』(1851)などを書き、大きな影響を与えた。「財産は盗みである」という有名なことばによって、不労所得が社会にあらゆる悲惨をもたらしていることを指摘し、正義の行われる社会の確立を唱えた。そのため、革命が必要であるとしつつも、将来の政治権力を担う前衛党や労働者階級の主導する暴力革命ではなく、平和革命の道を選択することを勧める。なぜなら、彼によれば、いかなる政治権力(革命政府ですら)も、民衆的なものから金権階級へくみするようになり、その結果、自由と平等を破壊するようになるからである。この点で、彼の主張は、革命後のプロセスにおいてプロレタリアートの独裁を必須(ひっす)のものとするマルクス主義と対立するのである。
プルードンによれば、アナキズムとは各人による各人の統治、つまり自治制を意味する。それは、政治的機能をもたない経済的機能のみをもつ社会の実現を目ざすものであり、ここから、彼の分権的連邦主義の考え方や、生産物を引き換える流通券を発行するための「交換銀行」の設立の主張が出てくる。したがって、彼は、たとえ過渡的ではあれ、強力な国家権力を用いて生産手段の共有化、国有化を図るマルクス主義の理論を批判するが、このため逆に彼は、資本主義的生産様式をそのままにしておいて平等化と正義の実現を図ることの非現実性をマルクスによって反批判されることになる。結局、プルードンの思想は、大工場制が未成熟で手工業者や農民、小商人たちが数多く残存していた19世紀後半のフランスにおいて受け入れられるものであったといえよう。
(3)バクーニン 封建色の濃いツァーの圧制下に育ったバクーニンの思想には、『神と国家』(1871)にみられるように激烈な宗教批判を特色とし、そこから、地上における神=国家の徹底批判がなされる。彼によれば、国家の本質は命令と支配と暴力そのものである。彼の国家批判は強烈であり、「自由のための強制」というルソーの思想は全体主義的独裁以外の何ものでもなく、もっとも民主的な共和国ですら自由を否定するものなのである。彼がインターナショナルにおいてマルクス主義者と争ったことは、プロレタリアートの独裁の理論と普通選挙を獲得して労働者代表を議会に送り込むことを認めるマルクス主義の立場についてであった。アナキズムの潮流の一つに、議会主義を排しテロリズムによる直接行動主義を重視する傾向がその後も根強く残存したのは、バクーニンの影響によるものと思われるが、このような思想は、ツァーの圧政下にあったロシアのアナキストの置かれた状況と無縁ではない。
(4)クロポトキン 『パンの略取(征服)』(1892)を書いて有名なクロポトキンは、『近代科学とアナキズム』(1901)によってアナキズム理論を体系化した。彼は古代から20世紀初頭までのアナキズムの思想を概観し、理想社会としては、権力機構や法律によらない自由な人々の結合に基礎を置く相互扶助の組織を構想した。それは、コミューンや労働組合や個々人の結合した集団に基礎を置く連合組織で、そこには中央集権的な国家の入る余地のないものであった。
(5)アナルコ・サンジカリズム 労働運動の主流はドイツ社会民主党の隆盛によっていまやマルクス主義に傾斜していった。こうしたなかでアナキズムは、フランス労働運動の思想的支柱であったアナルコ・サンジカリズムのなかにその後継者をみいだした。アナルコ・サンジカリズムは、ドイツ社会民主党の議会主義的方式に反対し、生産点におけるボイコット、サボタージュ、ストライキ(とくにゼネスト)などの手段による直接行動を通じて、労働者の自主管理を確立しようとするものであった。今日、このアナルコ・サンジカリズムは、レーニン以後のボリシェビズムの勝利のなかでほとんどその力を失ってしまったが、第二次世界大戦後の旧東欧社会主義国家のうち、とくに旧ユーゴスラビアや1980年代のポーランドにおける自主管理制の実施や主張のなかにその影響をみることができよう。
(6)日本のアナキズム 近代日本のアナキズムは樽井(たるい)藤吉らが設立したヒューマニズムの色彩の強い東洋社会党(1882創立)にその源流をもつといわれる。しかし、日本においてアナキズムが注目されるようになったのは明治末年から大正期にかけてのことである。このころ日本でもようやく労働運動や社会主義運動が高まり、社会民主党(1901、即日禁止)や日本社会党(1906)などの社会主義政党も結成されている。こうしたなかでアメリカにおいてアナキズムの影響を受けて帰国(在米期間、1905.11~1906.6)した幸徳秋水と片山潜、田添鉄二、西川光二郎、堺利彦らとの間でマルクス主義とアナキズムをめぐる論争がおこった。幸徳は、合法主義的議会主義を通じて労働者階級や国民大衆に社会主義の影響力を及ぼしていこうとするマルクス主義的立場に反対し、ゼネラル・ストライキによる直接行動主義を主張した。この論争はいわゆる「アナ・ボル論争」として大逆事件で幸徳が刑死(1911)したのちにも大杉栄に引き継がれたが、関東大震災の真っただ中で大杉が虐殺(1923)されて以後、アナキズムは実際政治のうえでその影響力をほとんど失ってしまった。このほか、日本のアナキズムの草分け的存在として戦前・戦後にかけて活躍したアナキストには石川三四郎や岩佐作太郎がいる。両者とも日本社会主義運動史上見落とすことのできない人物であるが、石川はクリスチャンとして、マルクス主義者たちとも幸徳・大杉たちとも異なる独自のアナキズムを主張し、1930年代には『無政府主義研究』(1931)をはじめとするアナキズム関係の著作を多数発表した。また戦後は、天皇を中心とするアナキズム革命を唱えた。岩佐作太郎は、「大逆事件」に際しアメリカから明治天皇に向けて公開状を発表し注目を浴び、戦後はアナキスト連盟の委員長として活躍し、マルクス主義に反対しながら非妥協的な革命を主張し続けた。しかし石川(1956没)、岩佐(1967没)亡きあと、今日の日本においてアナキズムの影響力はほとんど失われてしまったものといってよいだろう。
[田中 浩]
『松田道雄編『アナーキズム』(『現代日本思想大系 16』1963・筑摩書房)』▽『大沢正道著『アナキズム思想史』(1966・現代思潮社)』▽『G・ダニエル著、江口幹訳『現代のアナキズム』(1967・三一書房)』▽『猪木正道他訳『世界の名著 42 プルードン・バクーニン・クロポトキン』(1967・中央公論社)』▽『G・ウドコック著、白井厚訳『アナキズム』(1968・紀伊國屋書店)』
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