サキャ派(読み)サキャは(英語表記)Sa skya pa

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サキャ派
サキャは
Sa skya pa

チベット仏教の一宗派。中央チベット,ツァン地方のクン氏のクンチョク・ゲルポ (1034~1102) が 1073年にサキャ寺を建て,新訳のタントラを説いたのに始り,やがて「道果」の教義が説かれ,サキャ・パンチェン (82~1251) がシャキャシュリーバドラの教えを受けたのちは顕教も盛んになった。その甥パスパの時代から元の衰亡までクン氏はチベットに君臨したが,ソナム・ゲンツェン (1312~75) を一族の最後の大人物として,以後はクン氏以外のサキャ派系の学匠がその教えを支え,新サキャ派と呼ばれた。密教ではゴルとゾンの2派が,顕教ではヤクトゥク・サンゲペル (50~1414) とレンダワの2系列が現れ,中観の対立する2派を代表し,後者からツォンカパの系統が成立し,前者の系統はゴル・クンガ・サンポ (1382~1456) のもとに集って対立した。

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百科事典マイペディアの解説

サキャ派【サキャは】

ラマ教チベット仏教)の一派。漢字では薩迦派。宗祖はコン・コンチョク・ギエボ〔1034-1102〕。9世紀半ばラン・ダルマによって破壊された仏教の再建を図ったイェシェウは,インドの高徳アティーシャを招き,密教によって復興させようとした。北部チベットでアティーシャの思想的影響を受けたなかで成立した一つの宗派がサキャ派で,サカルウにサキャ寺を建て,秘密新派の観行を提唱した。13世紀,中国元朝の帰依を受けてより,チベットの政教両権を掌握したが,14世紀末,元朝の衰退とともに衰え,現在ではサキャ寺,デルゲ寺を中心とする地方勢力となった。
→関連項目カダム派

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世界大百科事典内のサキャ派の言及

【チベット】より

…このようにしていくつかの宗派が発生した。有力な氏族は,教団にまつわる利権を捨てきれないで,サキャ派のように僧にならないうちに子をもうけて親子で教団を相続したり,身内のものを教団の中枢に送りこんで,枢要な地位をおじ・おいの間で相続して教団を私有化し,氏族単位で系列化して氏族の名を冠する宗派が発生した。この傾向は教団の質を低下させる結果を生じたので,転生活仏を法主とする教団も後年現れるようになった。…

【パスパ】より

…一時帰国ののちフビライ・ハーンの命を承けて〈蒙古新字〉(パスパ文字)をつくり(1269),その功により帝師に昇任し大宝法王の称号を受けた。サキャ派の始祖としてチベット仏教隆盛の途をひらいた。なお,パスパとは,〈聖なる〉〈すぐれたる〉の意。…

【ラマ教】より

…彼等は11世紀以前の混乱期における破戒無愧の仏教に懲りて,吐蕃時代以来の寂護,蓮華戒によって説かれた瑜伽行中観派の仏教をもっぱら奉じた。 当時インドでは無上瑜伽タントラが流行して,インドに留学してそれらをチベットに広めたマルパ(1012‐97)や,その弟子ミラ・レーパ(1040‐1123)などと,サキャ派のように吐蕃時代のタントラ仏教と新しい無上瑜伽タントラを併せ説いたもの,吐蕃時代の無上瑜伽タントラと南宗禅由来の見解を継承した古派,捨身供養をタントラ仏教的観想法によって意義づけたシチュー派などが発生した。アティーシャの傾向に近い弟子の系統から,後にガンポパ(1075‐1153)のような無上瑜伽タントラ系の不思不観の瞑想法をとり入れるものも現れた。…

※「サキャ派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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