サドラザム
sadrazam
オスマン帝国の大宰相職。帝国の主権者であるスルタンの印璽を預かり,世俗・軍事の全権を委任された代理人として,トプカプ宮殿内の御前会議(ディーワーン・ヒュマユーン)を主宰し,すべての文官・武官の任免権を有した。戦時,スルタン親征以外の場合は,帝国軍総司令官を務めた。ただし,宗教的事がらに関しては,シェイヒュル・イスラム(シャイフ・アルイスラーム)が最終的決定権を有し,裁判官(カーディー)の任免についてはカザスケルkazasker(大法官)が権限を行使した。15世紀以後,デウシルメ制が発展すると,非トルコ系諸民族出身者が主としてこの職に任命された。18世紀以後,帝国における政治の中枢がトプカプ宮殿からサドラザムの公邸(バーブ・アーリー)に移行すると,その権限は拡大し,バーブ・アーリーBab-ı`Ālī(〈高き門〉。ヨーロッパではSublime Porte)は,オスマン朝政府そのものを意味するようになった。1830年代に,マフムト2世は改革政策の一端として,大宰相府から内務・外務・財務の三つの職務を独立させてサドラザムの権限を縮小し,後の内閣制度の基礎を築いた。
執筆者:永田 雄三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by 
サドラザム
sadrazam
ヴェズィラザムともいう。オスマン帝国の大宰相。スルタンの絶対的代理人として政治,外交,軍事に責任を負った。国政の最高意志決定機関である御前会議を主宰し,スルタンに代わって対外遠征の指揮をとることもあった。17世紀以降官僚機構の拡大に伴い,官邸であるバーブ・アーリー(大宰相府)は名実ともにオスマン政府そのものとなっていった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
Sponserd by 
サドラザム
Sadrazam
オスマン帝国で大宰相を意味する官職名。スルタンの代理人として行政権を一手に集め,16世紀末以後は戦場における総司令官 Seraskerでもあった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内のサドラザムの言及
【ワジール】より
…しかし1360年代初めには,その第1ウェジールvezir‐i azamに当たる者を大宰相とする制度が生まれ,やがてはスルタンに代わって,行政と軍事の国政全般を処理する者となった。ただし称号としては,初めはウル・ウェジールulu vezirも用いられたが,もっぱら[サドラザム]が使用された。一方ウェジールの数は時代によって変遷があり,4人ないし7人任命されたが,時代が下ると,なんらの職権も保持せず,単にスルタンの娘婿というだけでウェジールの称号を与えられるなど乱れた。…
※「サドラザム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 