デジタル大辞泉
「サンアントニオ」の意味・読み・例文・類語
サン‐アントニオ(San Antonio)
米国テキサス州南部の商工業都市。メキシコへの交通・貿易上の要地。精油業なども盛ん。テキサス独立戦争(1836年)当時のアラモの砦が残る。人口、行政区135万(2008)。
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サン‐アントニオ
- ( San Antonio ) アメリカ合衆国、テキサス州中南部の都市。交通の要地で、農畜産物の集散、精油業、食品加工業などが盛ん。アラモの砦(とりで)の遺跡がある。
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サン・アントニオ
さんあんとにお
San Antonio
アメリカ合衆国、テキサス州南部の商工業都市。人口114万4646(2000)。サン・アントニオ川に面し、周辺に広がる農業地帯の商業・金融の中心地である。食品加工、航空機、建築用資材、化学製品、木工製品、衣服、機械などの工業が発達している。ケリー、ランドルフ、ブルークス、ラックランドの四つの空軍基地が近くにあり、最大の雇用機関となっている。
1718年に建設された伝道教会サン・アントニオ・デ・バレロとサン・アントニオ・デ・ベジャール砦(とりで)が基礎となって町が建設された。スペインおよびメキシコの統治下時代には、テキサス地方の行政・軍事の重要な都市であった。テキサス独立戦争時の1835年12月にテキサスがサン・アントニオを占領したが、36年3月メキシコがアラモの砦を攻撃し、テキサス側の188人の兵士が全員死亡した話はよく知られている。南北戦争後、とくに1877年に鉄道が通じてから、スペインの町のおもかげを残す、牛の取引中心地として発展した。第二次世界大戦後、メキシコからの移民が流入し、住民の半分以上はメキシコ系である。
市街地の中心を曲がりくねって流れている川の両岸は遊歩道になっており、カフェーやレストランが並び、川を観光船が行き来している。1749年建設の旧スペイン知事公邸、サン・フェルナンド寺院などが旧サン・アントニオとよばれる地区にある。ヘミスフェア・プラザには高さ228.8メートルのアメリカ塔があり、ここから市街地とその外側に広がる平原を展望することができる。
[菅野峰明]
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サンアントニオ
San Antonio
アメリカ合衆国中央南西部,テキサス州中央部の都市。エドワーズ高原の南東端,オースティンの南西 130kmに位置する。1691年スペイン人が入植し,1718年5月1日,サンアントニオ・デ・バレロ伝道所(→アラモ)の建設をもって創設された。1821年メキシコ独立革命によりメキシコ領となったが,1835~36年アラモが包囲され,守備隊はメキシコ軍に殺された。1845年アメリカ領となる。1890年代には家畜の集散地として発展,「家畜の通路(チザム・トレイル)」の起点となり,今日も肉牛,野菜,羊毛の集散地で精肉業が盛ん。アメリカ陸軍・空軍の大規模な基地で,兵学校,訓練所がある。メキシコとの陸・空路の要地。スペイン風,メキシコ風の建築物,アラモの史跡,セントメリー大学(1852創立),トリニティ大学(1869創立)などがある。今日もヒスパニックが多く住む。アラモを含む五つの伝道所が 2015年世界遺産の文化遺産に登録された。人口 132万7407(2010)。
サンアントニオ
San Antonio
チリ中部,太平洋にのぞむ港湾都市。首都サンチアゴの西約 90kmにあり,鉄道,道路で結ばれ,首都に最も近い港として重要。背後に肥沃な農業地帯を控え,果実,ワイン,大麦,小麦などを積出すとともに,東南東約 130kmにあるエルテニエンテ銅山からランカグアを経て鉄道で運ばれてくる銅を積出す。また海浜保養地として知られ,沿岸に連なるカルタヘナ,ヨイェオなどの保養地への観光基点ともなっている。人口7万 7635 (1991推計) 。
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サン・アントニオ
San Antonio
アメリカ合衆国テキサス州南部の商工業都市。人口125万6509(2005)。サン・アントニオ川に面し,周囲の農業地帯の商業・金融の中心地。食品加工,航空機,建築用資材,化学製品,木工製品,衣類,機械などの工業もある。また,市の内外には空軍基地などの軍事施設が設けられている。1718年に建設された伝道教会サン・アントニオ・デ・バレロとサン・アントニオ・デ・ベーハル砦が基礎となって町が建設された。1836年,メキシコからのテキサス独立を志した180余名が,約5000人のメキシコ軍を相手に戦い,全員玉砕したアラモ砦の所在地として知られている。1877年の鉄道開通後,牛の取引中心地として発展した。伝道教会をはじめスペイン統治時代の建物が多く残り,住民の約40%がスペイン・メキシコ系。
執筆者:菅野 峰明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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「サンアントニオ」の意味・わかりやすい解説
サン・アントニオ
米国,テキサス州南部の商工業都市。サン・アントニオ川に臨む。農産物,家畜,羊毛の集散加工地として発展,近年は製油・製鉄工業も盛ん。温泉地。陸軍基地がある。1718年スペイン人が創設,フランシスコ会宣教の拠点であった。1821年の米墨戦争でメキシコ領となったが,1836年のテキサス共和国の独立をへて,1845年に合衆国に併合された。132万7407人(2010)。
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