シェルスキー(読み)しぇるすきー(英語表記)Helmut Schelsky

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シェルスキー」の意味・わかりやすい解説

シェルスキー
しぇるすきー
Helmut Schelsky
(1912―1984)

ドイツの社会学者。ケーニヒスベルク大学(現、イマヌエル・カント・バルト連邦大学)、ライプツィヒ大学哲学、社会学、歴史学などを学び、ケーニヒスベルクストラスブール、ミュンスター各大学の教授を歴任した。当初、哲学に関心を寄せていたが、第二次世界大戦後は社会学の分野に移行し、家族青年問題、性、経営社会学など幅広い分野で業績をあげた。とくに『現代ドイツ家族の変化』(1953)は、実証的方法による戦後ドイツ家族の位置づけ、家族関係の変化、家族内の婦人地位など、戦中戦後の社会変動のなかでの問題を分析して、高い評価を得た。また青年問題では『懐疑的世代』(1957)を著し、役割理論に依拠しつつ、イデオロギーへの懐疑に揺れ動く青年像をとらえるなどの業績を残している。社会学は「持続的な現在分析」を課題としているという立場から、現代社会のさまざまな領域において発言し、ジャーナリズムの世界においても大いに活躍した。

[鈴木幸寿]

『シェルスキー著、田中昭徳・阿部謹也訳『大学の孤独と自由』(1970・未来社)』

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大学事典 「シェルスキー」の解説

シェルスキー
Helmut

ドイツの社会学者。ケムニッツで誕生し,ケーニヒスベルク大学とライプツィヒ大学で学び,1935年に博士号,39年に大学教授資格を取得。最初はフィヒテの哲学研究を行っていたが,第2次世界大戦後に社会学に移行し,家族・産業・青年・学校・大学を社会学的な立場から分析した。『現代ドイツ家族の変化』(1953年)は,当時のドイツ(西ドイツ)の家族の位置づけを分析し,『懐疑的世代』(1957年)は青年層の精神構造を分析した。またドイツの大学問題に積極的に提言を行い,『大学の孤独と自由―ドイツの大学ならびにその改革の理念と形態』(1963年)は60年代の大学論に大きな影響を与えた。シェルスキーは大学の社会的な観点を重視し,フンボルトの大学理念の現代的再構築を図ろうとした。ジャーナリストなどを経験したのち,1953年からハンブルク大学,60年からミュンスター大学で,社会学の教授。1965年からノルトライン・ヴェストファーレン州文部大臣の委嘱を受け同州における大学の新設関与。ビーレフェルト大学設立の中心メンバーとなるとともに,同大学の社会学教授を務めた。1973年から再びミュンスター大学に戻り,同地で没した。
著者: 田中達也

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シェルスキー」の意味・わかりやすい解説

シェルスキー
Schelsky, Helmut

[生]1912.10.14. カールマルクスシュタット
[没]1984.
ドイツの社会哲学者。 1948年ハンブルク大学社会学教授。ドイツの体系的立場,アメリカのプラグマティズムから出発したが,のち社会哲学に転じ,第2次世界大戦後のドイツ社会を,工業化,家族,若者などの観点から社会哲学的に考察している。主著"Soziologie der Sexualität" (1955) など。

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