日本大百科全書(ニッポニカ) 「シチュアショニスム」の意味・わかりやすい解説
シチュアショニスム
しちゅあしょにすむ
situationnisme
1950年代末から1970年代初頭にかけて、ヨーロッパ各国を舞台に社会、文化、政治、芸術等の広範な実践を呼びかけた理論・運動の名称。フランスを拠点とした集団、シチュアショニスト・アンテルナシオナル(SI=Situationniste International)が運動の中心を担っていたことからこのように呼ばれるが、運動はフランスのみならずイタリア、ドイツ、北欧諸国にまで及んだ。
主張の中心は、資本主義社会における大量消費型の表現をスペクタクルとみなして徹底的に批判し、社会の諸領域にまたがる実践を通じて、スペクタクルの権力に対抗する「状況」(situation)を構築することであった。その立場は1957年に出されたSIの設立宣言で「われわれはまず世界を変革しなければならないと考える。われわれは、閉塞感に満ちているこの社会と生活を最も自由なものへと変革したい。この変化が、それに適した行動によってもってもたらされるものであることをわれわれはわかっている」と表明されている。芸術の分野では、設立宣言を起草するなど運動の中心的人物であったギー・ドゥボールが、1950年代にはスペクタクル批判の映画を撮影していたほか、詩人イジドール・イズーIsidore Isou(1925―2007)らがレトリスム(ダダイズム、シュルレアリスムを発展させたフランスの前衛芸術運動)、クリスチャン・ドートルモンChristian Dotremont(1922―1979)やアスガー・ヨルンAsger Jorn(1914―1973)らが抽象美術運動コブラなどの同時代の前衛芸術運動グループとコラボレーションを展開、さらにはフルクサス、ヌーボー・レアリスム、エクスパンデッド・シネマ(拡張された映画。ライト・アート、サウンド・パフォーマンスなどを使い、従来の映画の形式を超えようとした試み)など1960年代以降の前衛芸術運動にも大きな影響を与えた。これらの表現形態の多くには、日常生活のなかの無意識を投影する側面が強く認められ、シュルレアリスムの強い影響を受けている。
また、シチュアショニスムの芸術観を語る際、最も重要なのが都市の問題である。ドゥボールをはじめとするシチュアショニスムの牽引者たちは、「心理地理学」や「漂流」といったキーワードを好んで用いていたが、これは資本主義の大量消費の舞台としての都市を、日常生活に蔓延するスペクタクルの象徴として、それをゲリラ的に撹乱する意図に基づいていた。それは、アンリ・ルフェーブル『日常生活批判』Critique de la Vie Quotidienne (1947、1962)に多くを負いながら、ル・コルビュジエの提唱したユルバニスム(アーバニズム。近代以降の都市計画)に対する批判などへとつながっていった。ある意味では1980年代以降のポスト・モダニズムの流れを先取りする立場だったシチュアショニスムは、その後の時勢の変化もあって、1968年のパリ五月革命を活動の頂点として、以後歴史の中に埋没し、長く忘れ去られた。しかし、その後インターネットがさかんに使われるようになると、資本主義の横暴を戒め、また情報の流動性や共有の必要性をいち早く説いたこの運動・理論の先見性があらためて注目され、スペクタクル批判の検討を軸に、さまざまな角度からの再構成が試みられた。
[暮沢剛巳]
『ギー・ドゥボール著、木下誠訳『スペクタクル社会についての注解』(2000・現代思潮新社)』▽『ギー・ドゥボール著、木下誠訳『スペクタクルの社会』(2003・ちくま学芸文庫)』▽『Guy DebordRapport sur la Construction des Situations (2000, Mille et une Nuits, Paris)』